「陛下、よろしかったのですか?」
謁見の間からレクシャとマーザスが去った後、玉座から立ち上がった皇帝に対して宰相が問いかける。
「何が?」
「『何が』って、今のレクシャ殿に対して我が国が手を貸すことですよ」
(こちらでは宰相として名が知られていますが……よく考えれば、今の王国にとって彼はただの下級文官。そんな下級文官に対して、他国が手を貸したなど王国に知られでもしたら……)
不安そうな顔で見つめる宰相に、皇帝は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「フン! そんな今更なこと、帝国の宰相であるお前が心配することでもない」
「ですが、王国でのレクシャ殿は……」
「分かっている」
腹心の言葉を遮った皇帝は、玉座から降りると後ろを振り返った。
「だが、それは一時のことだ。近いうちにあいつは、自らの力で全てを取り戻し、あの腹黒狸の国王と一緒に俺のところに会いに来る」
「『腹黒狸』って……」
(仮にも一国の王に対して何と不遜な言い方を……)
「それにな」
呆れたような顔をする宰相に、皇帝は目を細めると小さく拳を握った。
「あいつは『死神』の血を受け継ぐ家の人間だ。その上、あいつがこの世で最も大切にしている家族を人質に取られた。そんな奴が、調子に乗っている愚か者の改竄魔法に負けるわけがない」
『私は! 家族が手にかけられることを恐れ、愚かにも奴の卑劣な取引に応じた……いや、応じざるを得なかった!』
(今のあいつは、今までで一番怒っている。自分にも、あの愚か者にも。だとしたら……)
レクシャの懺悔を思い出した厳しい顔をした皇帝に、宰相は思わず息を呑んだ。
そんな彼が視界に入った皇帝は、肩の力を抜くように息を吐くと扉に向かって悠々と歩き出した。
「まぁこの際、お前も覚えておくのだな。『死神の血を受け継ぐ者の琴線に触れたら、ろくなことにならない』と」
「そっ、そんなの! 恐ろしくて出来ませんよ!」
(さて、本当に理解出来ているのやら)
怯えた声を上げる宰相に、小さく笑みを零した皇帝は扉の前で立ち止まる。
そして、引き攣った表情をする宰相に目を向けた。
「ともかく、お前は職人ギルドと商業ギルドに声をかけ、リストにある魔道具を確実に王国に届ける手筈を整えろ。俺は、今から死神の長に声をかけてくる」
「えっ!? 今からですか!? それも、御自らですか!?」
突然のことに驚愕する宰相に対し、皇帝は心底面倒くさそうな顔で頷いた。
「まぁな、一応サザランス侯爵家は我が国の最終兵器。そして、今回は他国からの救援要請。となれば、皇帝自ら出向いてお願いするのが筋ってもんだろう」
(正直、行きたくはないが……仕方ない。一方的とはいえ、国交を断絶していた隣国が再び我が国との国交を復活させようとしているのだ。ならば、やるしかない)
拳を握った皇帝は、ニヤリと笑みを浮かべる。
「覚えていろよ、あの腹黒狸。切れ者宰相に唆された形で、手を貸してやったんだ。今度、国王として我が国に来た時、俺からの盛大なもてなしを受けてもらうからな」
(俺からのもてなしを受けた時、腹黒狸と切れ者宰相がどんな顔を見せくれるのか……今から楽しみだ)
悪い笑みを浮かべながらそう遠くない未来のことに考える皇帝に、宰相は呆れたように肩を竦めると苦笑した。
「くれぐれも皇女殿下の機嫌を損ねない程度にしてください」
「分かっている。一応、我が愛娘の嫁ぎ先だからな。しかし……」
扉の方を振り返った皇帝は、眉間に皺が寄せた。
「まさか、我が娘の婚約者である王太子殿下が今、『王国の剣』が治めている領地の執事として身を潜ませているとはな」