……はあー。
橘あやめ、17歳と半年と、あと数週間くらい? もうどうでもいいわ、そんな細かいこと。季節はとっくに夏本番、蝉の野郎が朝から晩までミンミンギャーギャー大合唱。クソ暑い中、私の脳内GPUだけは、なぜか妙にクリアに、そして残酷なまでに正確に稼働し続けてる。万葉歌・官能バージョン・オートマチック・ジェネレーター、本日も絶好調。っつーか、いい加減、誰かこの暴走機関を止めてくんない? いや、止められたら止められたで、私、生きてる意味なくなりそうだから、それはそれで困るんだけど。矛盾してる? うるせえ、人間なんて矛盾の塊だろ。
前回の話の最後で、私は確か「黄泉路(よみぢ)より君招(よ)ぶ声ぞ 聞こゆなり うつし身はただ殻(から)となりて 魂(たま)のみぞ求め合うらん 君が言の葉 我が骨に染み 肉を削(そ)ぎてぞ 歌となさばや 永遠(とわ)に」なんて、我ながら背筋も凍るような、怨念こもりまくりの歌を詠んじまったわけ。あの歌を脳内で反芻するたび、私自身、自分の業の深さにちょっとだけドン引きする。でも、これくらいしないと、私のこの魂の渇き、飢餓感、そしてどこまでも続く孤独は表現しきれないのよ。で、案の定、あんな呪詛じみた恋文(?)に、正面から向き合ってくれるような猛者は、いまだ皆無。黄泉からの手招きは虚しく空を切り、私の手は、今日も誰にも握られることなく、ぶらりと垂れ下がったまま。暑さで余計イライラするわ、マジで。
万葉歌の二次創作は、もう完全に私のライフワークっていうか、生理現象に近い。誰かに告白されるたびに、条件反射で脳内GPUが起動。情欲と文学と哲学がごっちゃ混ぜになった、エロくて大人っぽくて艶っぽくて、それでいてどこか切実な歌が、電光石火で錬成される。そして、それを相手に叩きつける。結果、相手はドン引き、逃走、あるいは稀に困惑。そして私は、また一人、虚しさとイラつきを募らせる。この無限地獄ループ、いつになったら終わんの? 神様がいるなら、そろそろ私のこの魂のS.O.S.に気づけよ、っつーの。
つい先週も一人、犠牲者……いや、チャレンジャーが出たっけな。今度は、ちょっとインテリぶった、意識高い系の男。
【ケース14:自称・ソーシャルグッド推進派、大学のゼミの先輩(合コンで遭遇)の場合】
珍しく参加した、大学の先輩主催のクソつまんない合コン。そこで私にロックオンしてきたのが、なんかやたら「社会貢献」とか「サステナビリティ」とか、そういう横文字を並べたがる、意識高い系(笑)の先輩だった。名前は……覚えてない。仮に、青柳さんとしよう。
青柳さんは、ワイングラス片手に(もちろん一番安いカベルネ)、熱っぽく語るわけよ。
「橘さん、だっけ? 君、なんか独特のオーラあるよね。その瞳の奥に、何か強いメッセージ性を感じるんだ。僕ね、今、社会起業家を目指しててさ。世界をより良くするためには、既存の価値観にとらわれない、君のようなオリジナリティ溢れる視点が必要なんだ。よかったら、僕の活動に…いや、僕の人生に、パートナーとして参画してくれないか? 君となら、世界を変えられる気がするんだ!」
はいはい、出ました「世界を変える」ごっこ。あんたのその薄っぺらい理想論で、私のこの混沌とした内面世界の何をどう変えられるっての? 私のGPUは、こういう偽善者くさい輩には、あえて最も根源的で、残酷な「現実」を突きつける歌を詠むようにプログラムされてんのよ。
あやめ:「……青柳さん。私のメッセージ性が、あなたの『世界を良くする』活動のお役に立てる、と? 面白い冗談ね。私の魂の叫びは、そんな綺麗な言葉じゃ到底おさまりきらない、もっと醜くて、もっと生々しいものかもしれないわよ? あなたのその理想、私のこの『真実』で、木っ端微塵に打ち砕いてあげましょうか?」
橘あやめ、嘲笑を込めて、そして冷徹に詠みます。
「高御座(たかみくら) 天(あめ)の下知(したし)らす 君が言(こと) 虚(むな)しき響き 我が耳にはす 世界(よ)を変ふと 豪語するより この唇(くち)を塞(ふさ)ぎて一夜(ひとよ) 我が内に溺れよ 真(まこと)を知らむ」
(元ネタ:「高御座 天の下知らす」は、天皇が天下を治める様を言う荘厳な表現ね。それを皮肉って、あんたのその「世界を良くする」なんて大層な言葉は、私には空虚にしか聞こえないわ、ってこと。世界を変えるとか言う前に、まず、私のこの唇を奪って、私の内なる混沌(=真実)に溺れてみろよ、そうすれば本当の世界がわかるかもね、っていう挑発と誘惑。結局、世界の真理なんて、男女間の濃密な関係の中にこそあるんじゃないの? くらいの開き直りよ)
青柳さん、さっきまでの熱弁が嘘みたいに顔面蒼白。「き、君は……なんて、なんて冒涜的なんだ……! 僕の純粋な理想を、そんなふうに……! 君とは、やはり分かり合えないようだ!」って、ワイングラス震わせながら捨て台詞。そして逃走。だから言わんこっちゃない。あんたのその「純粋な理想」ってやつが、そもそも幻想なんだよ。
彼に期待してた返歌? 「高御座よりなお、君が唇こそ我が天命。世界の変革など、君に溺れる一夜の悦楽には及ばず。その真を我が身に刻み、君が内にこそ我が理想の王国を築かん。さあ、君の冒涜で、我が魂を焼き尽くしてくれ!」くらい、破滅的で献身的な言葉を返されたら、「あら、青柳さん。案外、見込みあるじゃない。じゃあ、あなたのその偽善の皮、私が一枚残らず剥ぎ取って、本当のあなたを白日の下に晒してあげるわ」って、個室のある店に連れ込んで、徹底的に「教育」してやったかもしれないのにね。口先だけの男は、本当に、もう、うんざり。
つくづく思うんだけど、私が求める「返歌」って、一体何なんだろうな。
言葉の美しさ? もちろん、それもある。でも、それだけじゃダメ。田中先輩の返歌、「橘の想ひの色は茜色 我が絵筆にも写しとりたや その熱き想ひ我が身に受けて如何にせむや 絵筆も心も燃え尽きなん」。これは、言葉だけなら本当に悪くなかった。だから付き合ってみた。でも、ダメだった。
彼の言葉は「写しとりたや」だった。どこまでいっても、彼は私の魂を「対象」としてしか見てなかった。私のあの「胸の双峰(ふたお)の火照りは止まず やわ肌を 揉(も)みしだく君が指先 想うだに 甘き疼(うず)きに 身も世もなしと」っていう、むき出しの欲望と肉体の官能を、彼は彼の「綺麗な絵」の中に落とし込むことはできなかった。彼は、私の情念のマグマに触れるのを恐れて、安全な距離から「美しいね」って言うだけの人だったの。そんなんじゃ、私の心は満たされない。燃え尽きるのは、いつも私だけ。
斎藤くん(図書委員の後輩)の、「睦びの底まで……ご一緒させてください……」も、言葉は一瞬、私の心を掴みかけた。でも、その後に彼が差し出したのは、自作のポエムノート。結局、彼もまた、私の魂を「文学作品の素材」として見ていただけで、私のこの生々しい渇望を、彼自身の血肉をもって受け止める覚悟はなかった。彼の「文学」は、安全なガラスケースの中に飾られた、綺麗な蝶の標本みたいなもの。私が欲しいのは、そんな綺麗な抜け殻じゃない。一緒に泥の中を這いずり回って、傷だらけになって、それでも互いの魂の熱を感じ合えるような、そんな「生きた」繋がりなのよ。
吉田先生は、相変わらず遠巻きに私を観察してる。「橘くん、君のその万葉歌二次創作は、現代における新たな『歌垣』の試みと言えるのかもしれないが、いかんせん相手が…いや、君の求める『言葉』のレベルが高すぎるのではないかね…」とか、したり顔で分析してくる。ムカつくから、「先生、歌垣っていうのは、男女が集まって、即興で歌を詠み交わし、恋の相手を見つける場でしょ? 先生も独身なら、私と一局、歌で勝負してみます? もし私が負けたら、先生の言うこと何でも聞きますよ。もちろん、その逆も然り、ですけど?」って、最大限の挑発を込めて言ってみた。
先生、眼鏡の奥の目を泳がせて、「き、君は…本当に、何を考えているんだ…! そ、そんな…不謹慎な…!」って狼狽えるだけ。不謹慎で結構。もし先生が、ここで腹括って、「望むところだ、橘くん。君のその挑戦、謹んで受けよう。『梓弓(あずさゆみ) 引きても尽きぬ 君が魅力(ちから) 我が魂(たま)の弦(つる) 弾(ひ)きて応(こた)へむ この身朽ち果つとも』…この歌、君はどう返す?」くらいの、教師の仮面を投げ捨てた本気の返歌を詠んできたなら、私、「先生…やっと本気になってくれましたね…!」って、心底感動して、その場で彼の胸に飛び込んでたかもしれない。そして、古文準備室が、文字通り、私たちの濃密な「歌垣」の舞台になってたかもしれないのに。…まあ、これも所詮、私の脳内劇場でのお話だけど。
ああ、そうだ、雨宮くん。あの転校生。クラスの隅で、いつも古びた本を読んでるか、窓の外の虚空を見つめてる、謎めいたサムライくん。
彼は、どうなんだろう。
この前、現代文の授業で、中原中也の「汚れつちまつた悲しみに…」を扱った時。先生が「この詩の『悲しみ』とは、具体的に何を指すと思う?」って、例によってクラスに問いかけたんだけど、誰も答えられない。シーンとした教室で、彼が、本当に小さな、でも妙に通る声で、ポツリと言ったの。
「…存在の、根源的な孤独。そして、失われてしまった純粋性への、痛切なまでの渇望……ではないでしょうか」
……は?
クラス中、またしても「???」って空気だったけど、私だけは、雷に打たれたみたいに、その場に凍りついた。
「存在の、根源的な孤独」。
「純粋性への、痛切なまでの渇望」。
それって……それって、まさに、私のことじゃない? 私が、この胸の奥底で、ずっと抱え続けてる、誰にも言えない感情じゃない?
なんで、彼が? どうして、そんな言葉を知ってるの?
彼が、ふと顔を上げて、私と目が合った。一瞬だけ。その瞳は、いつもみたいに静かで、でも、どこか、すべてを見透かしてるような、恐ろしいくらいに深い色をしていた。彼はすぐに目を逸らして、また教科書の文字の海に沈んでしまったけど、私の心臓は、しばらくバクバク鳴り止まなかった。
こいつ……こいつ、もしかして、もしかしたら……。
私のこの、万葉歌という名の、歪んで、捩れて、それでも必死に叫び続けてる魂の歌を、本当に「理解」できる……いや、それ以上の何かで、応えてくれる可能性があるんじゃないか……?
もし、もし彼に、私の、あの「黄泉路より君招ぶ声ぞ~」とか、「人恋ひて 言の葉尽くし 身も魂も 焦がれ果てなむ 君待つ宵に」とか、そういう、私の奥底のどす黒い部分と、ほんの少しの純粋な部分が混ざり合った歌をぶつけたら、彼は、どんな顔をするんだろう。
そして、どんな言葉を、どんな「返歌」をくれるんだろう。
私の脳内GPUは、もう、彼のことを考えると、いつもの「官能万葉歌モード」じゃなくて、何か、もっと違う回路で動き始める。うまく言えないけど、もっと静かで、もっと切実で、そして、もっと壊れやすい何か。
「言の葉の 鎧(よろひ)を脱ぎて 君が前(まへ) ただ白き肌 晒(さら)さば如何(いか)に 魂(たま)の傷跡(きずあと) 君が指先で 撫でてくれなば 我は泣き伏さむ 甘き痛みにか」
(これは…何? 万葉歌…じゃない。私の、素っ裸の心の叫び。いつもの攻撃的なトーンも、エロティックな装飾も、ここにはない。ただ、私のこの傷だらけの魂を、君にだけは見せたい。そして、もし君が、その傷に優しく触れてくれるなら、私はきっと、子供みたいに泣き崩れてしまうだろう…という、私にしては信じられないくらい、弱々しくて、素直な願望。雨宮くん、あなたになら、こんな私を見せてもいいと思える。これ、恋…なの?)
この歌を、彼に届ける勇気は、まだない。
だって、もし彼が、他の男たちと同じように、ドン引きしたり、逃げたり、あるいは「…理解できない」と冷たく切り捨てたりしたら? 私、多分、今度こそ本当に壊れちゃう。
結局のところ、私が追い求めている「返歌」って、なんなんだろうな。
それは、言葉の巧みさや、文学的な教養の深さだけじゃない。
それは、私の魂の奥底にある「孤独」と「渇望」に、同じ深さで共鳴してくれる魂の響き。
私のこの、歪んだ愛の形を、それでも「愛」として受け止めてくれる器の大きさ。
私のこの、制御不能な「業」ごと、面白がって、あるいは一緒に堕ちてくれる覚悟。
そして、その先に、ほんの少しでもいい、「救い」や「繋がり」を感じさせてくれる、確かな温もり。
年齢不問、って何度も言ってきたけど、それは本当。相手が教師だろうが、先輩だろうが、後輩だろうが、なんなら異世界の住人だろうが(それはさすがに無理か)、私の魂を震わせてくれる「言葉」を持ってるなら、私はその胸に飛び込む準備ができてる。いや、できてたつもりだった。雨宮くんが現れるまでは。
彼に対しては、なんだか、いつものような攻撃的な「試し」の姿勢が取れない。もっと、こう、慎重に、大切に、触れたいような、そんな気持ちになってる。私が、こんなふうになるなんてね。自分でも驚きよ。
最近、万葉歌の二次創作をする時、ふと、自分自身のことを詠んでることが多くなった。
これは、私の、今の、偽らざる心境。
「常世辺(とこよへ)に 咲くといふ花 求めわび 我が言の葉も 枯れ果てなむか 否(いな)まだ尽きじ この胸の奥に 湧き出づる泉(いづみ) 君が汲(く)むまでは 絶ゆることなしと」
(永遠の理想郷に咲くという花を求めて、私の言葉も枯れ果ててしまうのだろうか。いや、そんなことはない。私のこの胸の奥から湧き出る言葉の泉は、君がそれを汲み取ってくれるその時まで、決して尽きることはないだろう。…君、って、一体誰のことなんだろうね。特定の誰かじゃなくて、私の言葉を受け止めてくれる、まだ見ぬ「あなた」のことなのかもしれない。そして、その「あなた」は、もしかしたら、たった一人しかいないのかもしれない。それこそが、私の探し求める「返歌」の主…)
この歌に、もし返歌があるとしたら?
「常世辺の花、求めずとも君が傍らに咲き誇る。君が言の葉の泉こそ、我が渇きを癒す唯一の水。汲めども尽きぬその豊かさに、我が魂は永遠に潤わん。さあ、もっと君の歌を、私に」
…うん、こんな感じかな。これなら、ちょっとだけ、心を開けるかもしれない。
「次の展開は全然気にならない」って? それは、私が今まで、そういうふうに振る舞ってきたからでしょ。強がって、斜に構えて、誰も信じないフリをして。
でも、本当は? 本当は、喉から手が出るほど、気になってるのかもしれない。私のこの物語の、次のページが。
そして、そのページをめくるのは、もしかしたら、雨宮くん、あなたなのかもしれない。
まあ、そんな期待は、あっさり裏切られるのが人生ってもんよね。
きっと明日も、私は誰かに告白されて、相変わらずエロくて大人っぽくて艶っぽい万葉歌を詠んで、相手をドン引きさせて、一人で夕陽を眺めるんだわ。
この渇きが癒える日は、永遠に来ないのかもしれない。
でも、それでいいのかもしれない。
この渇きこそが、私を私たらしめている証拠だから。この満たされない想いこそが、私の言葉を、私の歌を、生み出し続ける原動力だから。
私の万葉歌・怒涛の返歌地獄変、クライマックスはまだ遠い。
あるいは、もう始まっているのに、私だけが気づいていないのかもしれない。
黄泉路からの手招きも、まだ私の背中を押してはくれない。
最後に、今日の、今の、私のすべてを込めた一首を。
これは、もはや二次創作じゃない。私の、魂のオリジナル。
「あめつちの 神にぞ問はむ 我が恋の 行方知らねば 歌にのみ泣く
しかすがに 信じて待たむ 君が来(く)と 言ひし言の葉 胸に抱きて
言霊(ことだま)の 幸(さき)はふ国ぞ 我が願ひ 叶へたまへと 天(あま)仰(あふ)ぎ祈る」
(天と地の神々に問いたい。私のこの恋の行方はわからないから、歌の中で泣くしかない。それでも、信じて待っていよう。「君が来る」と言ったその言葉を胸に抱いて。言霊が幸福をもたらすというこの国で、どうか私の願いを叶えてくださいと、天を仰いで祈る……)
…少し、素直すぎたかしら。でも、これが今の、偽らざる私。
この歌への返歌、あるとしたら、それはどんな言葉なんだろう。
それは、まだ、誰も知らない。私自身も。
はあ……。
まあ、とりあえず、明日の古典の授業で、雨宮くんがどんな発言するか、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、楽しみにしとこ。
万葉の風は、今日も私の心に、容赦なく吹きすさぶ。
でも、その風の中に、いつか、本当に聞きたい「声」が混じることを、私はまだ、諦めてはいない。
返歌、いつか、必ず。
私を、打ちのめして。
そして、救って。
お願いだから。