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第33話 シャインアクア②

 夜が深くなってきた頃、俺は自分の家の屋根の上に居た。

 すでに2時間近くここに居る。空を見上げると綺麗な星空が広がっているが、見惚れるわけにもいかない。俺の予想が正しければ、アイツはそろそろ出てくる。


 カタ……と小さな音を立てて、俺の隣の家――ヴィヴィの家の扉が開かれる。


 家から出て来た赤青毛の少女はキョロキョロと辺りを見渡し、扉を閉める。

 背には杖、腰にはストレージポーチ……確定だな。


「……こんな夜更けに、どこへ行くんだ?」


 屋根の上からヴィヴィに声をかける。


「――っ!?」


 ビクッ! と肩を震わせるが、声は上げない。大声を出せば近所のフラムやアランが目を覚ましかねないからだろう。こっちが風下で、ヴィヴィの方が風上。高低差もあるし、嗅覚で俺を探知することはできなかったみたいだな。


 俺は屋根から飛び降り、通りに出る。カッコつけた代償に足が痺れるが、顔に出さずヴィヴィの前まで歩いていく。


「イロハ君……どうして」

「お前なら、1人でシャインアクアを採りに行くだろうと思った。プライドの高いお前がこのまま引き下がるとは考えにくかったしな。だからと言って、危険な場所に俺たちを付き合わせようともしない。お前は……意外に他人の痛みに敏感なところがある」


 ヴィヴィは唇を噛みしめる。


「……要求は?」


 近所に響かないよう、小さな声でヴィヴィは問う。

 俺も声の調子をヴィヴィに合わせる。


「どうしてそこまで賢者の石を求めるのか、教えてくれ」

「前にも言っただろう。ただ自分が最強である証が欲しいから……」

「それは結論だ。俺が聞きたいのはその結論に至る過程だよ」


 なぜそこまで最強を目指すのか、それを知りたい。

 ヴィヴィは自分の家に足を向ける。


「……入りたまえ。ここだと、話し声が誰かに聞こえてしまう恐れがある」



 ---



 家の中……と言っても部屋に案内はしてくれず、玄関で止められた。

 だが玄関でも、思春期女子特有の甘ったるい香りがするな。と感想を抱いたところでヴィヴィに睨まれた。鼻の動きは最小限に抑えたつもりだったが、こういう時の女子の勘の鋭さには驚かされる。


「まずは……そう、私の過去について話さなければね」


 ヴィヴィの過去。俺が知っているのは12歳の時にニコラス賞を取ったということだけだ。


「私は生まれてから10歳に至るまで、とある施設で育った。施設の名は“ヘルメス”。錬金術の神の名から取られた名前だ」


 話し出しこそ好調だったが、ヴィヴィは一度嗚咽を我慢するように口を押さえた。俺が背中をさすろうと一歩近づくと、右手で制された。


「……大丈夫だ」


 反応から見るに、思い出したくない過去であるのは確実だ。


「施設の目的は賢者の石を作れる存在を作り出すこと。そして、その賢者の石で伝説の錬金術師――ニコラス=フラメルを復活させることにある」


 賢者の石というワードが早速出てきたな。


「ニコラス=フラメル……もしかして、ニコラス賞となにか関係があるのか?」

「ニコラス賞は彼の名から取られたモノではあるが、直接的な関係はないよ」


 このニコラス=フラメルという名、なんか覚えがあると思ったら、アルケーに来る前、図書館で見た錬金術の本にその名前があった。外の世界にある本ですら、彼を錬金術師の代表として書き記していた。それだけの偉人ってわけか。


「施設は子供たちを集め、英才教育を施した。朝から晩まで錬金術漬けの日々、それ自体に不満はなかった。錬金術は楽しいからね。ただ……7歳を過ぎた頃から明確に子供たちに優劣がつけられるようになった。一度失敗作の烙印を押されれば脳に電極をぶっ刺されたり薬漬けにされたり、実験動物扱いさ。その結果、死ぬ者もいれば、特別な能力をもって復活する者もいた」


 ヴィヴィの声色が低くなっていく。

 話すのが辛いようだ。それでも俺は止めない。この話をちゃんと最後まで聞くことは、この先ヴィヴィという人間と付き合っていく上で必須だと考えているからだ。


「前も話したが、私は生まれつき色彩識別能力が欠如している。常人より優れた嗅覚でなんとか喰らいついていたものの、8歳の時、ついにになった。私は一か月もの間、培養槽ばいようそうに沈められ、元より優れていた嗅覚を更に強化するための薬品を投入され続けた。地獄だったよ……眠れず、ひたすら鼻に激痛を叩きつけられ、狭い水槽の中を浮かぶのはね。トラウマって奴さ。あれ以来、私は閉所恐怖症になったよ」


 想像もできない地獄。

 身動きできない状態でひたすら痛みを与え続けられる。それを一か月……とても精神を平常に保つことはできないだろうな。


「私の嗅覚は進化を遂げ、それからは失敗作に落ちることはなかった。最初は116人いた子供たちも10人を切った頃、私が10歳の時……ヘルメスは錬国の守護者フラスコの手で解体された。けどあの研究所の幹部たちと、そして残った8人の子供の内4人は錬国の守護者フラスコから逃れ、行方を眩ました」


 ヴィヴィは遠くを見るように、目を細める。


「行方を眩ました子供の中には……私の妹もいた」


 ということは、


「妹もその施設で教育を受けていたのか」

「そうさ」


 話の峠は乗り切ったのか、ヴィヴィの顔色が戻る。


「最強の錬金術師であるという証明、そのために賢者の石を追い求めているというのは嘘じゃない。賢者の石をビー玉に変えるという目的も本気だ。奴らの仰天する顔をぜひ拝んでやりたい」


 けれど。とヴィヴィは言葉を紡ぐ。


「それだけじゃない。私が賢者の石を作れば、あるいは賢者の石に近づけば、奴らは必ず奪取に動いてくる。接触してくる。そうすれば、妹の行方を奴らから探れる。妹の救済、それも賢者の石を追い求める理由の一つだ」


 ヴィヴィの真っすぐな瞳。

 確固たる意志が、眼から伝わってくる。


「そういうことなら……わかった。止めない」


 というか止めても無駄だろう。


「ノアヴィス洞窟へ

「行こう? ちょっと待った、その言い方だと、君もついてくるように聞こえる」

「当たり前だろ。お前のような運動音痴のスタミナ0女1人で洞窟を突破できると思ってるのか?」

「ぐっ……反論は、できない……!」

「お前が他人に迷惑を掛けたくないのは、ヘルメスでの競争が原因か?」

「君は……鋭いな」


 人は感情の上下が顔色に出やすい生き物だと思う。

 俺は顔色から人の感情を察知し、人心を把握する能力に長けている。


 これは、シロガネにはできないこと。


 人の心を持ち、人に強い関心がある俺だからこそ、できることだ。


「……その通りだ。今でも覚えているよ。私と競い、落ち、そして這い上がれず息絶えた友の顔を」

「ここはヘルメスじゃない。他人に迷惑を掛けるのも、他人を蹴落とすのも自由だ。少なくとも俺には遠慮なく頼ってくれ」

「……」


 ヴィヴィは訝し気な瞳を向けてくる。


「率直な疑問なんだが、なぜ君はそこまで私に尽くすんだい? 君がタダの初心な14歳ならば、私に惚れているのだと結論付けることができるが、君にはモナリザという想い人がいるだろう」

「前にも言ったが、この世界に俺を引き込んでくれたこと、深く感謝しているんだよ」


 納得のいかない、という顔をするヴィヴィ。

 仕方ない……俺は首に掛けたロケットペンダントを開き、モナリザの絵を見つめる。


「少しだけ、俺の雑談に付き合ってくれるか?」

「手短に済ませてくれるなら構わないよ」


 ヴィヴィは壁に肩を預ける。


「モナリザってさ、良く見る人によって印象が変わるって言われているんだ。嬉しそうに笑っているようにも見えるし、苦笑しているようにも見える。喜んでいるようにも、悲しんでいるようにも見える」

「不思議な絵だよね。見る人によって解釈が変わる。君はモナリザをどう考察する?」


 急いでいるはずなのに、ヴィヴィは俺の無駄話に付き合ってくれる。


「モナリザは、見る人間の世界観を表していると俺は考察しているんだ」

「世界観?」

「世界を悲観している人間には悲し気に見えて、世界を楽観している人間には楽し気に見える。そう考察している。昔の俺は……モナリザが悲しんでいるように見えた」


 つまり、世界を悲観的に見ていた。


「だけど今は違う。今は……彼女がとても楽し気に見える。やっぱり、女性が楽しんでいる姿は魅力的だな。余計に彼女に惚れこんでしまった」


 俺はペンダントを閉じる。



「彼女を心から笑顔にしてくれたお前に、俺はちょっとでも恩返しがしたいんだよ」



 俺が笑ってそう伝えると、ヴィヴィは呆れたように笑った。


「君はおかしな人間だね……呆れて物も言えない」


 ヴィヴィは俺を見据える。


「……ありがとう……」


 そう、声を絞り出した。

 自分の過去を全て曝け出した清々しさからか、ほんのり瞳は濡れていて、頬はほんのりピンク色になっていて――色っぽい笑顔だった。俺は照れて、つい視線を外した。

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