放課後の保健室――
いつものように、誰よりも早く“布団を温めて”いた由貴は、冷たい指先を胸元で組みながら、小さく鼻歌を口ずさんでいた。
♪あした せんぱいが しあわせになるように
あした せんぱいが あたしを見てくれますように♪
(……見てくれないなら、見せに行けばいい)
それが、川原由貴という少女の恋のスタイルだった。
少しだけ押しが強くて、距離の詰め方を知らなくて、感情が“0か100”になってしまう――そんな自覚は、実は彼女の中にもあった。
(でも……好きなんですもん)
小学校の頃、いじめられていた由貴に差し伸べられた、たったひとつの手。
「できるまで一緒にやろう」
蒼馬がそう言ってくれた記憶は、今でも心の中に灯りのように残っている。
ある日。
廊下で蒼馬とばったり出会った。
「あっ、せんぱいっ♡ こんにちは〜。由貴ちゃんのこと、覚えてますか〜?」
「いや、今朝ホームルームで話しただろうが。今さら記憶の確認すんな」
「だって……由貴がどれだけ“好き好きビーム”出しても、先輩ってぜんぜん効かないんですもん。バリアでも張ってるんですか?」
「むしろ、お前のビームが出力強すぎなんだよ。心が焼けるわ」
「……じゃあ、もっと弱くします?」
「いや、それもなんか寂しい気がする」
「ふふふ……じゃあ、ちょうどいい強さを見つけるまで、“毎日調整”していきますね?」
冗談めかしてそう言うが、その瞳は本気だった。
由貴は、笑っている。だがその笑みの奥には、確かな決意と、かすかな怯えがあった。
(いつか、先輩が誰かを“本当に選ぶ日”が来たら……その時、私は)
そのときどうするか――本当は、自分でも答えが出ていない。
でも、それでも今は、
(選ばれなくても、“ちゃんと好きだった”って、覚えてもらえたら)
そう思えるようになったのは、ほんの少しだけ、大人になった証かもしれない。
帰り道、空に星が浮かび始めたころ。
由貴は一人、自転車を押して歩きながら、独り言をつぶやいた。
「せんぱい、今日も無事でいてくれてありがとう。明日もまた、“だいすき”って言わせてくださいね」
風が頬を撫でる。
それはちょっと冷たくて、でも心にしみるやさしさだった。