目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第37話 保護指定種族

「リーチちゃん、さっきからギリコさんに熱い視線を送っちゃってどうしたの? 彼のことが気になるの?」

「あの人と、もう少し話をしてみたいなと思いまして」

「こんなことは言いたくないんだけど、サキュバスとリザードマンでは子供を作ることはできないわ。何故かというと、サキュバスは胎生、リザードマンは卵生なの」

「なんの話をしてやがりますか」

「うふ、冗談よ。もうラストオーダーも取り終わったし、行ってらっしゃい。リーチちゃんの社会勉強にもなるし。もちろん、ギリコさんが構わないって言ってくれたらだけど」


 スミレナさんが「ちょっと待ってね」と言い、新しいグラスを用意した。そこへ、コロンと鈴の鳴るような音を立てて氷を入れ、無色透明な【コング芋の火酒】を注いだ。


「これ、ギリコさんに持って行ってあげて」

「スミレナさんって、過保護ですよね。でも、ありがとうございます」

「過保護なのは義理の妹限定よ。その分、実弟に厳しくして帳尻を合わせるわ」


 すまん、エリム。シワ寄せはお前に行くらしい。


 オレはトレイに酒を載せ、いそいそとギリコさんのテーブルへと向かった。

 ギリコさんは、追加で注文した【コカトリスの出汁巻き卵】を食べている。


「すみません、もしお邪魔でなければ、ここ座ってもいいですか?」


 ギリコさんの対面に立って尋ねた。

 了承をもらえたら、近くのテールブルからイスを拝借するつもりだ。


「どうかされたのであるか?」

「少し、話をさせてもらえたらと」

小生しょうせいと?」


 まずは手土産に持たされた酒を、「どうぞ」と言って差し出した。


「注文した覚えはないのであるが?」

「スミレナさんからのサービスです」


 ギリコさんがカウンターにいるスミレナさんに、ちらりと鋭い三白眼を向けた。

 スミレナさんは、にこやかに微笑んで、ひらひらとこちらに手を振っている。


「これはまた、なんともわかりやすい袖の下であるな」


 グラスを手に取り、くすりと笑ってくれた。


「いただこう。だが生憎あいにくと、小生、若い婦女子を楽しませられるような話題など、持ち合わせていないのであるが」

「あ、いいんです。そんな話をされても、オレの方がついていけないと思いますし」


 意気揚々と自分の座るイスを引っ張ってきたはいいが、いざ話をするという段階になって、わずかばかりの不安が頭をもたげてきた。


「ギリコさんに訊きたいことがあるんです。だけど、その質問は、ギリコさんの気分を害して怒らせてしまうようなことかもしれません。その判断が、オレにはまだできなくて」


 それに、どう取り繕っても楽しい話にはならないと思う。

 酒を一口含んだギリコさんが、もむもむと噛むようにして味わい、喉を通した。


「人は酒と同じである。種類によって、味も違えば適量も違う。飲んでみなければ本当の良さなどわからないのである。もっとも、飲み過ぎで痛い目を見ることもあるが」


 踏み込んだ質問をする気なら、痛い目を見る覚悟もしろと言われた気がした。

 しかし、表情を硬くするオレを見たギリコさんが、また笑みを浮かべた。


「ここまで前置きをされ、しかも、スミレナ殿の後押しまでされているのである。小生が気分を害することなどありえないのであるよ。何より、リーチ殿がリザードマンという種族のことを、好意的な意味で知ろうと考えてくれているのであれば、それがどんな質問であっても、喜びが怒りに勝るのである。どのような問いをされても、小生は受け止めるのであるよ」


 ちょ、この人、イケメンすぎやしませんか!?


「どうかしたのであるか?」

「や、やりますね。危うく(おとこらしさに)惚れてしまうところでしたよ」

「む、そのような発言は相手に誤解を与えかねないので、慎むべきであるな」


 ギリコさんの濃緑の肌が、ほんのりと紅を差した。

 オレは居住まいを正し、改めてギリコさんの目を真っ直ぐに見据えた。


「不躾な質問をします。リザードマンは、保護指定されていないんですよね?」

「いかにも」


 オレの訊きたいことというのは、リザードマンみたいに人間の保護下にない種族が、世間から具体的にどのような扱いを受けているのかだ。

 スミレナさんに訊いてもよかったんだけど、実体験を伴っている人の話を聞ける機会が巡ってきたので、席を設けてもらったという次第だ。


「魔物指定されているわけでもないんですよね?」

「種族としては中立を表明している。中立といえば、平穏を第一としているように聞こえるかもしれないのであるが、実際は、人間と魔王、どちらの勢力にもいい顔をしたいだけなのであるよ。中立であれば、とりあえずは種族が滅ぶ心配もない。もしどちらかの勢力が完全に倒れれば、残った方に尻尾を振るのである」


 それを不服そうに、ギリコさんは鱗に覆われた太い尻尾を一度だけ波打たせた。


「リザードマンは、特に掘削や建築といった作業を得意としている。そのため、仕事自体には事欠かない。人間と魔王、どちらの勢力からも仕事が入ってくるからである。報酬が出れば、人間の城、魔王の城、どちらであっても築く。プライドを持たぬ種族なのである」


 自身を嘲弄するように言って、ギリコさんはちびりと酒を一口含んだ。

 リザードマンに仕事を依頼する以上、魔物指定にはできない。かと言って、魔王勢力にも手を貸している相手を保護指定にもできない。そんなところか。


「リザードマンに幻滅したであるか?」

「いいえ、全然。それって、プライドを持たない種族と言うより、面倒な争い事に巻き込まれたくないだけなんじゃないですかね」

「物は言いようであるが。リーチ殿は、どちらつかずでふらふらするリザードマンを腹立たしく思ったりはしないのであるか?」

「むしろ気持ちがわかりますよ。勢力とか、派閥とか、本当面倒臭い。勝手にやってろよって感じですよね」

「……勝手にやっていろ、であるか」

「うあ、ごめんなさい。こういうところなんです。何が失礼に当たるのか、相手の反応を見るまで考えが及ばないっていうか」

「否、感銘を受けたのである」


 カン、とテーブルにグラスの底が打ちつけられ、小気味いい音が響いた。


「一つだけ、言い訳をしてもいいであるか?」

「言い訳? 何にです?」

「リザードマンは、人間による保護指定など、別に受けなくてもいい。ほとんどの個体がそう考えているのである。腹が減れば、森で、川で、いかようにでも生きていけるからである」

「おお、たくましいですね」

「こういう考えは、リザードマンに限ったことではないのである。例えば、実際に保護指定を受けているエルフやドワーフ。彼らほど高い能力があれば、逆に人間の方が矮小な存在に見えているはず。彼らは多くを語らないだけで、人間に保護されているなどとは考えていないのであるよ。人間だけが、静謐せいひつを好む彼らを同胞に加えた気になっているのである」

「人間……カッコ悪いですねえ」

「ただ、保護指定による恩恵に魅力を感じないわけでもないのである」

「恩恵。何かあるんですか?」

「そうであるな。まず、保護指定されていなければ、人間の町で店を構えることはできないのである」


 マリーさんは店を持っている。

 てことは、やっぱりクー・シーは保護指定されている種族だったんだな。


「あとは、冒険者として登録ができないのである」

「あ……」


 思い返せば、ギリコさんは「冒険者ののようなことを生業にしている」と言った。


「登録できない以上、ギルドから任務を受注できない。そうなると、他の冒険者を介したり、パーティーに入れてもらったりするしかないのであるが、ぼったくられることも少なくはないのである」


 はあ? 何それ。能力給と言わないまでも、せめて均等割りにしろよ。


「リーチ殿、思い切り顔に出ているのである」

「だって、そんなことされたらムカつくじゃないですか」

「クアッ、クアッ。これには腹を立ててくれるのであるな」


 喉を震わせるように高い声を出し、ギリコさんが愉快そうに笑った。

 リザードマンって、そういう笑い方をするのか。


「言ったように、リザードマンは稼ぎ口には事欠かない。であるから、リーチ殿の心配には及ばないのである。でも、小生のために不満を覚えてくれたことには感謝するのである」


 ギリコさんはそう言うが、オレは尖らせた口を元に戻せないでいた。


「納得できないという顔であるな。冒険者からすれば、少しでも取り分が減るのは避けたいことであろう。冒険者でもない輩を煩わしく思うのは仕方ないのである」

「ギリコさん、大人すぎですよ」

「実際、こんなことは、どうということもない些事なのである」


 その言い方は、比較にならないデメリットが他にあることを示唆しさしていた。


「人間の目から伝わってくる温度が全く違うのであるよ」

「……それって、差別ですか?」

「と言えるかもしれないであるな。場合によっては商売敵にもなる冒険者からならまだしも、そうでない一般人からも、そんな視線を向けられるのは意外とこたえるのである」


 想像して、ゾッとした。

 ギリコさんが言っているのは、保護指定されていないの種族への態度だ。

 それが魔物指定された種族へ向けられるものであれば、そこに殺意が混じったとしてもおかしくない。


「リーチ殿、これは警告に近い助言だと思っていただきたい」


 物騒な物言いにドキリとし、オレは下を向きかけていた顔を上げた。


「何があっても王都には行くべきではない。【メイローク】の領主の意向はともかくとして、この町の寛容さは、他の都市と比べて破格である。どういう経緯があったのかは知らぬが、ここまで世事に疎いリーチ殿が、真っ直ぐスミレナ殿の庇護下に入って来られたのは、信じ難いまでの幸運であったと言える」


 大げさだとは、全く思えなかった。

 ギリコさんの言葉は、それくらい真に迫っていた。


「やっぱり、オレが人間じゃないって気づいていたんですね」

「種族まではわからないのである。あの不思議な動物に騎乗していなければ、気に留めることもしなかったであろう」

「リザードマンには見えたりするんですか? 人間とは違う、その、オーラみたいなものが。人間か、そうじゃないかって、案外簡単にバレちゃったり?」


 もしそうだとすれば、これからは下手に外を歩けくなくってしまう。

 それどころか、こうして働いているのすら危険だってことに。


「クァックアッ、安心されよ。そんな大それたものではないのであるよ。あの時、リーチ殿は小生から目を逸らすことなく見返していた。小生の強面を見ても脅えぬ女人が、ただの人間であるはずがないのである。おっと、スミレナ殿は例外であるな」

「悪人面だなんて、ドラゴンみたいでカッコイイじゃないですか」

「ド、ドラゴンであるか?」

「ちょっと鱗に触ってみてもいいです? 実は、さっきから気になってたんです」


 包容力に溢れたギリコさんのことだから、てっきり、気の済むまで触ればいいと言ってくれるかと思いきや、ただでさえ小さな黒目を、さらに小さくしてぽかんとしてしまった。


「ギリコさん? あれ?」


 動かなくなったけど、触っちゃっていいのかな。

 オレは恐る恐るギリコさんの、前に突き出た口に手を伸ばしていった。

 その瞬間、ギリコさんが、ガバアッと大口を開け、ギザギザに並ぶ歯を見せた。

 さすがに、ちょっとビビッた。


「クアーッ、クアッ、クアッ! まさかのドラゴンとは、これはまた最上級の世辞をいただいてしまったのである。リーチ殿、礼と言うわけではないが、好きな場所を好きなだけ触ってくれて構わぬ。ちなみに、小生の鱗で一番硬くて艶のある部位は尻尾である」


 ドラゴンに例えられたのがよほど嬉しかったのか、ギリコさんは上機嫌を絵に描いたような高笑いをした。喜んでもらえたのなら、言ったオレも気分がいい。


 何はともあれ、お言葉に甘えまして。

 ギリコさんの尻尾を撫でさせていただこうと、オレはうきうきと席を立った。

 その時――


 ダンッ!


 と、わざと大きな音を立てるように、オレとギリコさんの間にあったテーブルにグラスジョッキが叩きつけられた。ぱたた、と【ラバンエール】の泡が飛び散り、ギリコさんが食べていた【コカトリスの出汁巻き卵】にもかかった。

 叩きつけたのは、ギリコさんと似た板金鎧を身に着けた体格のいい男だった。


「ずいぶんと楽しそうじゃないか、トカゲ。俺も交ぜてくれよ」


 男の、どう解釈しても友好的には取れない絡み方によって、楽しかった雰囲気は一瞬で霧散してしまった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?