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第60話 ラブコメっぽいじゃない

 目算で三百人近くにものぼる町民が領主邸を包囲した。

 中には女性もいれば、老人もいる。

【メイローク】はそれほど大きな町じゃない。詳しい数字までは知らないけれど、人口は千人に届かないだろう。それを考えると、こんな深夜に、こんな短時間で、これほどの人数が集まるというのは驚異的以外の何物でもない。

 スミレナさんは、自分だけの人望ではないと言ったけど、やっぱり彼女の求心力あってこその光景だと思う。オレはそれに乗っかっただけだ。


 駆けつけてくれた人たちのうち、五十人ほど――おそらく直接的な戦力になれる大人の男たちが邸内へと入って来た。その先陣に立っているのは、【オーパブ】の常連であり、町の守衛でもあるロドリコ・ガブストンさんだった。

 目が合うと、バチッ、と不格好なウインクが飛んで来た。反射的にギリコさんの背中に隠れそうになったけど、オレはどうにか踏みとどまり、接客で培った愛想笑いで応えた。ただし鳥肌は立った。


 彼らは直ちにカストール領主の私兵に武装解除を求め、戦闘不能中のゴブリンを拘束していった。ついでに気絶しているグンジョーも簀巻すまき状態にしてもらった。目を覚ますと、また面倒を起こしそうな気がしたので。

 相手がいくら戦闘に長けた傭兵であったとしても、ここまで多勢に無勢では戦闘が起こりようもなかった。


 それにカストール領主の私兵だって、何も犯罪者というわけじゃない。勝てないとわかれば素直に従ってくれる。唯一、オレにやましいことをしようとはしていたけど、屋敷に攻め込んだのはこっちだし、寛大な心で忘れてやる。


「変態紳士は……」


 姿を見せないようだ。領主を守る以外に目的があるようなことを言っていたし、このまま潜んでいてくれるなら、それに越したことはない。奴が出て来ないなら、この場の平定は問題無いだろう。

 となると、残る問題は一人、カストール領主だ。

 ミノコを置いて飛び出して来たけど、その後はどうなっただろうか。


「まさかミノコの奴、むしゃむしゃしてないだろうな」


 なんてな。ミノコほどできた牛は他に知らないし、その心配はしていない。

 説得か。脅迫か。

 どちらにせよ、それがオレの……この町での、最後の仕事だ。


「リ、リーチちゃん……」


 この場をロドリコさんたちに任せ、ミノコとカストール領主の所へ戻ろうとした矢先に、スミレナさんが珍しく動揺した声を出した。そんな彼女の視線は、オレの背後に送られている。

 振り返ると、


「あれ? お前、自分で下りて来た――んぶっほあ!?」


 そこにいたのは他でもない、屋敷の三階で別れたミノコだった。

 思わず吹いてしまった。

 何故って?

 むしゃむしゃしていたからだ。

 カストール領主と思しき体が、腰より下半分だけ、ミノコの頬張った口から外にだらりと垂れ下がっている。絵的にヤバすぎる。


「ミ、ミノコ、おま、何食って……!?」

「モ」


 心配するな。そう言って、ミノコが、んべ、と口の中身を吐き出した。

 べちゃりと地面に落ちたカストール領主には、ちゃんと上半身もついていた。

 どうやら甘噛みしていただけらしい。心臓に悪いのでやめてください。


「それ、ちゃんと生きてるのか? 動かないぞ……」


 外傷は見当たらないけど、唾液まみれだし、目は虚ろで、ぐったりしている。

 明らかに、性的に乱暴されて捨てられました、的な惨状だ。


「モォ~ウ」

「え、心が折れてる?」


 どういう意味?

 詳細を求めると、ミノコは上で見たことを、モゥモゥと説明してくれた。

 スミレナさんが自ら飛び降りた後、カストール領主は、すぐにこんな無気力状態になってしまったのだという。


 手を後ろに縛られた状態で、三階から飛び降りる。

 地面に頭から落ちれば、確実に死んでいた。

 死ななくても、下には大量の飢えたゴブリン。死にも等しい目に遭っていた。

 にもかかわらず、人質に取られるくらいなら、笑って死を選ぶ。

 それを容易くやってのけてしまうスミレナさんを、自分ではどうあっても屈することができないと理解してしまい、頭が完全敗北を認めてしまったのだろう。


 ――というのがミノコの推測だ。牛すげーな。


 別にカストール領主の心が折れていようが、骨が折れていようが構わないけど。

 となると、どうなるんだ? オレやスミレナさんの処遇は?

 そのあたり、どうお考えなのかと尋ねようとしたら、唐突に、カストール領主が無表情のままさめざめと泣き出した。


「え、あの、領主さん?」

「……敵いません。……敵いませんねぇ。心でも……人望でも……。うふふふ……物凄い数の人が集まっていますねぇ……」


 誰に言っているわけでもない。嗚咽で声をかすれさせながらの独白だ。

 オレは話しかけるのを止めて、その言葉に耳を傾けた。


「諦められればいいのに……。どうしても、この醜くて、煮えたぎるような嫉妬は消えてくれない……。なんなんでしょうねぇ。本当、制御不能ですよ……」


 次第に表情も崩れていき、本格的に悔し涙のそれへと変わっていく。

 唇を震わせ、カストール領主は積年の思いを吐露していった。


「こんな気持ちを味わうくらいなら、領主になどならなければよかった。そうすれば、自分と比べることも、比べられることもなかったのに……」


 肉を抉らんとするくらい強く、カストール領主は自分の胸に爪を立てた。

 ぎゅっと閉じられた目蓋に切り取られた大粒の涙が頬を伝っていく。


「このまま嫉妬に狂って生きていくくらいなら……死んだ方がマシですねぇ……」

「死んだ方がマシなんて、そんなこと言うなよ」


 思わず言葉を挟んでしまった。

 実際に死んだ経験のある身として、言わずにはいられなかった。

 カストール領主が、涙に濡れた目だけをオレに向けた。


「死んだら、取り返しのつかないことになる場合だってあるんだぞ」


 具体的には、異世界に飛ばされたり、男から女にされたりとかな。


「死んでから後悔したって、もう遅いんだぞ」


 もっと親孝行しておけばよかった……とかな。

 引きこもりだったオレにも優しかった両親。思い出さない日は無い。


「説教ですかぁ? こんなにも多くの人が味方してくれるアナタに、わたしの何がわかるというんです?」

「全部とは言わないけど、アンタが自分に自信が無くて、性格がねじ曲がっちまうくらい辛かったってことは、なんとなくわかる」

「ふん、そんなわけが――」

「わかる。オレだって少し前まで、自分になんの自信も持てなくて、引きこもっていたような奴だったから。友達だって、一人しかいなかったし」

「……はあ? アナタが?」

「嫉妬する気持ちだって超わかるぞ。その友達は、オレには無いものをいーっぱい持っていて、いつだってオレはそいつに嫉妬してたから」


 大きすぎる怒りに隠れていたせいで気づけなかった。


「近くに優秀な奴がいると、比べちゃうよなあ。どうしたって比べちゃうんだよ。あいつにはできて、自分にはできないことを見つける度に、どうして自分はこんななんだろうって落ち込むんだよな」


 オレはカストール領主の気持ちを、理解しようと思えばできたんだ。


「……妙ですねぇ。アナタは、致命的に嘘が下手な人だと思っていましたが。……どうにも、嘘を言っているように聞こえませんねぇ……」

「嘘なもんか。人間なんだ。嫉妬くらいするさ。コンプレックスが一つも無い人間なんていやしない。だから自分だけが醜いなんて思う必要はない。他人を嫉妬する気持ちは誰にでもあるんだから」

「……誰にでも、ですかぁ?」

「誰にでもだ。大小はあるだろうけど」

「そちらの女性にも?」

「あるさ。スミレナさんだって、実は小さい胸に――」

「リーチちゃん?」

「あ、いえ、なんでもないです」


 うっかり口を滑らせそうになった。にっこり笑顔なのが逆に恐ろしい。


「まあ、そういうことだ」

「ふ、うふふ、魔物に諭されるとは……。とことん落ちぶれてしまいましたねぇ」

「落ちるとこまで落ちたんだから、後はもう上るだけだろ」

「うふふふ……簡単に……言ってくれますねぇ」


 カストール領主の泣き方が、悔し涙から泣き笑いへと変わった。


「せっかくなので、一つ聞かせていただいてもぉ?」

「オレに?」

「アナタは、その友達への嫉妬を克服できたのですかぁ?」

「今だって嫉妬してるさ。でも、この気持ちとの付き合い方は知ってるよ」

「ほう。よろしければ、それを教えていただけませんかねぇ」


 皮肉なんかじゃなくて、カストール領主は、本気でオレの言葉を参考にしようと意見を求めている。だからオレも、突っぱねたり、適当な言葉を返したりはせず、真摯には真摯で応えることにした。


「相手を好きになればいいんだ」

「相手を好……は?」

「相手を好きになれたらな、嫉妬だけじゃなくて、そこに憧れの気持ちも生まれてくるんだ。そうしたら、今度はそいつを目標にする。嫉妬じゃ無理だけど、憧れている相手ならできるだろ。この違いが大事だ」


 オレの場合、目標にしていたのはもちろん拓斗たくとだ。

 あいつみたいになりたくて、主に筋トレを頑張っていた。成果はお察しだけど。

 羨むだけじゃ、人は成長しない。

 だけど明確な目標を設定することで、人の成長はより顕著に、より大きくなる。


「相手を……好きになれば、ですか。……なるほど」

「そう、好きになればだ」


 自信たっぷりで頷くと、後ろから、ガシッとスミレナさんに肩を掴まれた。


「待って。リーチちゃん、ちょっと待って。それ以上は待って。この流れは良くないわ。きっと良くない」

「何がですか?」

「好きになるって、どういうつもりで言ってるの?」

「もちろん、人としてです!」

「でしょうね」


 スミレナさんが、オレとカストール領主に背を向けて頭を抱えてしまった。

 カストール領主は、オレの意見を吟味してくれているのか、無言になった。

 あれ? オレ、何か変なこと言った?


 長い沈黙――と言っても一分間くらいだと思うけど、その後に静寂を破ったのはカストール領主だった。何かしらの答えが自分の中で出たのかもしれない。


「スミレナ嬢」

「な、名前を呼ばれたのって、もしかしなくても……初めてよね。何かしら?」

「わたしは、今からでも変われるでしょうか」

「人が変わろうとするのに、遅いも早いもないと思うけれど……」


 カストール領主からそんな言葉が出たことが嬉しくて、オレは顔を綻ばせた。

 それまでの恨み辛みも忘れて、全力で応援したい気持ちが込み上げてくる。

 変わりたい。そう思う気持ちもまた、オレには痛いほどわかったから。


「そのとおりです! 変わろうと思えば、人はいくらでも変われるんです!」


 オレがその実例だ。と胸を張って言ってもいいだろうか。


「カストール領主の経営手腕は尊敬できるって、さっきスミレナさん言ってましたよね!? これで領主としても尊敬できるようになったら、その人のことを全部好きになったのも同じことですよね!?」

「リーチちゃん、それも人として、という意味で言ってるのよね?」

「はい! 互いを認め、高め合える関係って尊いと思うんです! スミレナさんとカストール領主も、そういう良いライバルになれたらいいなって」

「そう、わかったわ。もう黙っててくれるかしら」


 ちょっとしょぼんした。もう少し言わせてほしかった。

 会話から締め出されてしまったオレに代わり、ようやく起き上がったカストール領主がスミレナさんを真っ直ぐに見据えた。光の宿ったその瞳には、過去の自分と決別しようとするかのような意思の強さを感じさせた。


「スミレナ嬢」

「……慣れないわね。何かしら?」

「今になって思うと、わたしは以前から、アナタに認めてもらいたい。それだけを望んでいたのかもしれません。強く、気高く、そして美しいアナタに」

「そ、そう。光栄だわ」

「憎いと感じていた気持ちも、いわゆる、愛情の裏返しだったのでしょう」

「愛……それは……どうかしら。結論づけるのは早いと思うわよ」

「いいえ。これまでわたしがしてきた行いを振り返れば、自ずと一つの答えに辿り着きます。事ある毎にちょっかいをかけてしまったのも、どのような感情であれ、自分を意識してもらいたいがため。言わば、気になる女子をいじめてしまう心理。ようやく理解しました」


 心なしか、カストール領主の口調も、はきはきと男らしくなっている。


「領主さん、いったん落ち着いて。アナタは今冷静じゃないわ」

「そうかもしれません。ですが、それも仕方のないこと。わたしの心は、とっくに奪われているのですから。この意味、おわかりいただけますか?」

「さ、さあ、わからないわ。あ、やめて言おうとしないで。言わなくていいから」


 スミレナさんが止めるも、カストール領主は自分の胸にそっと手を添え、そこに温かくて大切な想いが詰まっているかのように、穏やかな声で言う。


「わたしは既に、アナタのことを好きになっていたようです」

「ごめんなさい。そろそろ気持ち悪いわ」


 え、何この急展開。カストール領主って、スミレナさんのことが好きだったの?


「そう言われるのはわかっていました。ですが、相手を好きだと自覚するだけで、こうも気持ちに差が出てくるのですね。罵倒さえ、今は甘美な響きに聞こえます」


 ごめんなさいと言われたのに、頬を桜色に染めるカストール領主は幸せそうだ。


「メロさん、まずいわ。アホな子のせいで、開けてはいけない蓋が開いてしまったみたい」

「う、うむ。こやつ、覚醒しおったな」


 んん? 今、どういう話になってんの? ページ飛ばしちゃった?


「これまでのことを、全面的に反省します。この気持ちに気づくきっかけをくれたサキュバスのお嬢さんにも、数々の無礼を謝罪したい」

「うおお、スミレナさん、凄い! ここまでの流れはよくわかりませんでしたが、相手を自分に惚れさせることで一気に解決へと持っていくなんて! さすが大人の女性って感じですね!」

「アタシ、今ならリーチちゃんの処女を奪うことに躊躇しないわ」

「いきなり怖いこと言わないでください!」


 オレの言葉の何がきっかけで、カストール領主がスミレナさんへの気持ちを自覚したのか、全く見当もつかないけど、この一難去って恋が始まる展開は、なんだかラブコメっぽいじゃないか。


「心が軽い。まるで憑き物が落ちたかのようです。そうだ。これを機に、名を改めさせていただけないでしょうか。以前のわたしであったら、領主が己の名を恥じて改名するなど、世間体を気にして絶対にできませんでしたが、新しい自分に生まれ変われたという意味で、お許しくださればと思います」


 ザブチン・カストール。

 この名前もコンプレックスの一つだったのは疑いようがない。

 チ●カス領主とか、ザブチン・カスマミレさんとか散々言ったし、多分昔からも言われてきただろう。もしかすると、いじめられたことだってあるかもしれない。


 ヤバい。ここへ来て、カストール領主への共感が天井知らずだ。

 うんうん。チ●カスはあんまりだよな。変えなさい。好きな名前に変えなさい。

 どんな名前でも、オレは祝福するよ。


「これからは、ザブチン・カストレータという名で生きていこうと思います」


 チ●カスは残すのかよ。

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