その剣術の名を、【
そこからできるイメージは前にも言ったとおりだ。
正解かどうかは、今まさにアーガス騎士長が目の前で体現してくれている。
「近づいて来るな! 剣戟に巻き込んでしまうぞ!」
「アーガス騎士長一人じゃ手に余ンだろ。助太刀するぜ」
周囲には散乱した松明が転がっているため、明かりには困らない。
傷ついた他の騎士たちの中には意識を失っている者もいる。そっちはカリーシャ隊長に任すとしても、彼らが全員撤退するにはもう少しかかる。
俺の接近に気づいたホログレムリンが、キィアァァ、と女性の悲鳴みたいな声を出した。図体に似合わず、ずいぶんと甲高い。ふと、中学の修学旅行で奈良公園に行った時に見た鹿も、あんな声で鳴いていたっけと思い出した。
戦うと決めてしまうと、そんなことを考えられるくらいには冷静になれた。
どちらを攻撃しようか迷っているのか、ホログレムリンの縦に長い菱形の単眼が、ぎょろ、ぎょろ、と俺とアーガス騎士長の間を交互に行き来する。
「キィィアアアア!!」
敵はどちらか一方を選ばず、どちらをも選んだ。四本指を一点に固めた状態で、右腕を俺に、左腕をアーガス騎士長に向かって伸ばしてきた。
初戦でどこまでやれるか。実戦経験では足下にも及ばないが、反応速度だけなら天界人補正のある俺の方がアーガス騎士長より上だ。
奴が腕を持ち上げた瞬間に剣を構え、腕が伸び始めた頃には防御姿勢を完了している。あとは、俺がどの程度の練度で武極羅神剣を習得しているかだ。
見てわかるとおり、敵は4mに達しようかという巨体だ。真っ向から攻撃を受け止めても力勝負になんてなるはずもない。それはアーガス騎士長も同じこと。
だから彼は、上手くヒットポイントをズラし、衝撃を緩和している。
俺もそれを真似、構える剣にわずかな角度をつけた。
「しゃ、来いやッ!」
ガィンッ!!
剣の腹で敵の攻撃を受け流した――つもりだった。
だったが、ほとんど衝撃を殺せず、俺はごろごろと地面を無様に転がされた。
ゴン、と壁に頭をぶつけるところまで吹っ飛ばされた俺は、「あれ?」と間抜けな呟きをもらした。
「タクト、
アーガス騎士長の方は、ちゃんと防御に成功している。
何が違った? どこを間違えた?
「も、もう一回だ」
落とした剣を握り直し、俺は再度ホログレムリンの攻撃圏内へと入っていった。
さっきの一打で俺を雑魚だと見なしたのか、奴はわざわざ腕を伸縮させて勢いをつけたりはしなかった。それはまるで、指の体操でもするみたいな攻撃だった。
「くっ、んが、こなくそ!」
右へ左へ。アーガス騎士長と戦う片手間にあやす程度の攻撃に翻弄されている。
素人目にも理解できた。こんなのは剣術じゃねェ。
止められない。流せない。なんだよこれ、無条件に体が動くんじゃねェのかよ。
実戦に入りさえすれば、体にインストールされた技術が勝手に展開されるのかと思っていたのに。これじゃ、子供がただ棒切れを振り回しているだけだ。
すぐ傍に手本があるのに、全くトレースできていない。
「素人剣術でどうにかなる相手ではない! いいから退くんだ!」
俺が武極羅神剣を模倣しようとしていることにすら気づいてもらえない。
それくらいお粗末だってことだ。
そこで、ギクリとした。
アーガス騎士長を攻めあぐねていることに苛立ち、コバエのようにまとわりつく俺から先に片付けようと思ったのか、じろ、とこっちを見たホログレムリンの口がぷくりと膨らんだ。口の隙間から、ゴプ、と緑色の液体が溢れている。
奴が上体を反らせたのを見た俺は、反射的に後方へ大きく飛んだ。
それと同時に、上半身に羽織っていたマントを脱いで投げつけた。
「ブシャアアアアッ!!」
そこへ、ホログレムリンがびしゃりと口に溜めていた液体を吐きつけた。
ゲロ? 唾液? 胃酸?
なんでもイイが、とにかく溶解液だ。
俺の身代わりになったマントがみるみる腐食し、溶けていった。
「わ、わりィ! 借りたマントをダメにしちまった!」
「そんなことはいい! 追撃が来るぞ!」
俺が着地で膝を曲げたところを狙い、またもや伸縮攻撃が襲い掛かってきた。
あ、デジャブった。
最初に騎士二人を助けた時と同じだ。
反応はできる。かわそうと体も動き始めている。
だけど、運動能力が反応速度に追いつかない。
今度はアーガス騎士長の助けもない。ヤベェ、死――
ひょい。
「…………あら?」
なんか、かわせちゃった。
軽快なサイドステップで、容易に攻撃の範囲外へと逃れることができた。
さっきは無理だったのに、妙にあっさりと。
ホログレムリンが腕を引き戻し、さらに追撃を仕掛けてくる。
今度はかわすのではなく、俺はしつこく剣を盾に見立てた防御の構えを取った。
これで無理なら諦める。アーガス騎士長の言うとおりに撤退する。
「キシャアアアア!!」
「ぬ、くォオオ!」
ヒットする瞬間に力を流す方向を変えるとか、おそらくそういう微細な匙加減が要求されるんだろう。だけどそんな加減、全ッ然わかんねェ。
剣に重い衝撃を受け、思わず後ろに倒れそうになる。
――でも、それだけだった。
倒れそうになっただけで、倒れなかった。
さっきみたいに吹っ飛ばされることもなかった。
「キ、キィィ?」
ホログレムリンが動揺しているような鳴き声を出した。
そのわずかな隙を、防御に徹していたアーガス騎士長は見逃さなかった。
「【秘技・
下段からのアッパースイング。俺には一振りにしか見えなかったのに、ホログレムリンの体には二つの斬撃傷が刻まれた。
「ギ、ギィィィイイイ!!」
後方に倒れたホログレムリンが壁にぶつかると、拍子に奴の頭上の岩壁が崩落を起こした。致命傷までは期待できないだろうが、奴の体が落石で埋まる。
なんそれ、カッケエェ……。
拍手と賛辞を送ろうとするが、アーガス騎士長が俺をじっと見つめてきた。
え、なに? そんなナイスミドルな顔で熱い眼差しを向けられると、男の俺でもドキッとすンだけど。
「カリーシャ、今のうちにタクトのレベルを確認してくれ」
「そいつのレベルですか? それなら先程、16だと」
「もう一度だ」
「わ、わかりました」
アーガス騎士長に続き、カリーシャ隊長も俺をまじまじと見つめてきた。
こちとら思いがけず乳首丸出しなもんで、ちょいと恥ずかしいですよ。
「……なっ!?」
「どうだ?」
「レベル20……上がっています。この短時間で、4つも!」
「やはりか」
今の戦闘でレベルアップしたってこと?
ゲームとは違って、敵を倒さなくても経験値って入るンだろうか。
なんてことを考えていると、アーガス騎士長がつかつかと俺に歩み寄って来た。
そのまま俺の肩あたりで、ドンッ、と壁に手をついた。
……何事?
「オッサンに壁ドンされて喜ぶ趣味はねェんだけど」
聞こえていないのか、アーガス騎士長が、ぺたりと俺の胸板に触れてきた。
無骨で逞しい男の手。ぞわぞわと、全身に鳥肌が立った。
「よく見ると、なかなか良い体をしているな。入れたくなってきたぞ」
「
「お前を騎士団に」
倒置法やめようぜ! 心臓止まるかと思ったわ!
「何故、私の言葉を無視して戦った?」
一転して、俺を咎めるように鋭い声音へと変わった。
「や、転生する時の特典で、俺も武極羅神剣をマスターしてるはずだったンだよ」
「武極羅神剣を? とてもそうは見えなかったぞ」
「そーなんだよ。だから俺も混乱してて」
答えると、アーガス騎士長が、俺の剥き出しの上半身を食い入るように見つめて思案を始めた。このオッサン……そっちの
その予想は、もしかすると的中したかもしれない。
何を血迷ったか、アーガス騎士長が俺の下半身を覆うマントに手を掛けたのだ。
「え、ちょ、オッサン、何してンの?」
「お前を裸にする」
「いやいや」
「悪いようにはせん」
「いやいやいやいや!」
「さらなる高みへと誘えるかもしれん」
「いいいやいやいやいやいやいや!!」
なに? アーガス騎士長って、そんなテクニシャンなの?
じゃ、なーくーて。
「カリーシャ隊長、アンタんとこのボスがおかしくなったぞ!? 止めてくれ!」
「騎士長のなさることに間違いなどない」
「ならせめて、その手に汗握るポーズをやめろ!」
「なんのことやら皆目見当もつかないが、潔く騎士長に尻を、ではなく、その身を差し出せ。ほら、
「テメエ、さては腐ってやがるな!? 後で覚えてろよ!」
何がどうなってんだ。こいつら、敵から精神攻撃でも受けたンじゃねェのか。
それともなんだ? 武極羅神剣は攻防一体の剣技だって話だが、まさかそっちの方でも攻防一体だってのか!? シャレになんねェンですけど!?
ぐいぐい、ぐいぐいと、アーガス騎士長がマントを引っ張ってくる。
「タクトよ、時間が無い。私に身を任せろ」
「もっとよく状況を考えようぜ。ほら、ホログレムリンが動き出してますよ?」
「だからこそ急ぐのだ。大丈夫。裸にするだけで何もせん。何もせんから」
全く大丈夫に聞こえねェ!
マジで、ホントやめて、引っ張らないで。お願い、お願いしますから。
「あ、も、いや、ア、アア、ア―――――――ッ!!」
とうとう下のマントも剥ぎ取られ、俺は一糸纏わぬ生まれたままの姿にされた。
…………もう、お婿に行けねェ。
と、ここでホログレムリンが、瓦礫を爆散させるように勢いよく跳ね起きた。
「ギィィィイイイイイイ!!」
怒り狂っている。
そのまま四足歩行の獣のように、真っ直ぐ俺たちへと突撃して来る。
「いかん、カリーシャ!」
アーガス騎士長が、カリーシャ隊長を抱きかかえて飛び退いた。
人のことを剥いておいて、こっちは放置ですかい。
ホログレムリンは進路を変えない。
お前を斬ったの、俺じゃなくて、そっちのオッサンなんですけど。
獲物を逃がすまいと、ホログレムリンが両腕を左右に広げた。
これで逃げ道も無い。うあー、ミンチだ。嫌だ、嫌だ嫌だ。
「タクト、上に跳べ!」
アーガス騎士長の声を耳が拾った時には、俺は地面を蹴っていた。
上って、こいつがどんだけでかいか見てわかんねェのかよ。
あ、こいつ頭のテッペンに穴がある。鼻の穴かな。
知ってるか? イルカの鼻も、実はあの辺りにあるんだぜ。
「……て、うええええ!?」
飛び越えていた。
ホログレムリンは四足歩行で突っ込んで来ているので、直立時ほどの高さはないけど、それでも俺は、4m近い高さを助走無しのジャンプで叩き出していた。
ホログレムリンは、速度を一切落とさず壁に激突した。
さっきより大きな崩落が起こり、またもやホログレムリンの体が埋まる。
俺はくるくると空中で回転して体勢を整え、安全地帯に着地。
さあ、俺の体に何が起こった?
「まさかとは思ったが、間違いないようだ」
アーガス騎士長が物知り顔で言った。
「タクト、お前が習得しているという武術は、どうも武極羅神剣ではないようだ。武極羅神剣ではないが、お前の動き見ていて該当するものに一つ心当たりがある」
「え、どゆこと?」
「武極羅神剣は、大国【ラバン】において、国技とも言えるほどに有名な剣術だ。有名であるが故にこれを真似た流派が乱立した。中身が伴っているならまだしも、武極羅神剣を
「俺のも、そういうパチもんの一つだって言いてェのか?」
「おそらくな。そして、お前のそれは、中でも特に酷い」
説明求ム。
「何故なら、下品も下品。子供がフザケて考えたようなしろものだからだ。武極羅神剣の品位を特に卑しめるものだったので、記憶に残っている」
「下品て……え?」
「いったい、どんな適当な仕事をすれば、こんな間違いが起こるのか……」
「し、知ってるなら教えてくれよ。俺のこの、異様な身体能力を引き出してるのはなんて名前の武術なンだ!?」
「気を確かに持て。その武術の名は――」
ごくり、と無意識に喉が鳴った。
そしてアーガス騎士長が、重い口振りでその名を告げる。
「――【
異世界デビュー大失敗のお知らせ。
局部? 俺は自分の股間を指差した。アーガス騎士長がこくりと頷く。
裸身? 肩から足にかけて、なぞるように問う。またまた頷かれる。
「厳密には剣術ではなく、どちらかと言うと拳法に分類されるが、そもそもこれは設定だけで、使い手のいない架空の武術だ」
「設定って?」
「確か、人前で脱ぐという過程を経ることで高まってゆく性的興奮を運動能力へと変換する、だったか。さらには股間の振り子をも運動エネルギーとして利用する、巨根の男にのみ許されし幻の武術――という設定だったはずだ」
つまり俺は、理論とか無視したトンデモ設定な武術を、転生特典で偶然マスターしちまったってことですかい。
「き、騎士長、改めてレベルを確認したのですが、そいつ今、レベル26になっています! 騎士長と同じレベルですよ!?」
カリーシャ隊長が、顔を恥ずかしそうに手で覆いながらも指の隙間からばっちり俺の裸体を見やりつつ言った。
「でも俺、アンタらと初めて会った時も全裸だったぜ? そん時に一度ステータスを見られたけど、16だったんじゃ?」
「言っただろう。人前で脱ぐという
どこまでも変態設定か。
「タクトよ、お前は、人前で脱げば脱ぐほど強くなる!」
アーガス騎士長が、そうまとめてくれた。
俺もちょっと、自分でまとめてみようと思う。ええと……。
《転生前の理想》
武極羅神剣を体得し、剣を構えた時の肉体強化と合わせて無双の力を発揮する。
《転生後の現実》
局部裸身拳を体得し、脱衣を経て全裸勃起した時(多分)無双の力を発揮する。
この差……この差ァァァ!!
前略。
転生支援課の、名も知らぬオネエサン。
向こうでは大変お世話になり〈中略〉俺はアナタを一生恨みます。
「ギ、ギイィィィ」
ここでホログレムリンが起き上がり、真っ赤に充血した目を俺たちに向けた。
どうやら、【技能習得】で得た力も肉体強化の一種ってことになるらしいな。
てことは、もう武極羅神剣の型にこだわる必要は無いわけだ。
なんだか身も心も解放された気分だ。実際、解放されてるしな。
さあ、第二ラウンドといこうか。
「かかって来いやアアアアアアアアアッ!!」
俺は涙に暮れながら、洞窟をビリビリと震わす気勢を敵に叩きつけた。
フルチンで。