夢うつつに聞こえていた。
『あれ? 姉さん、その人、酔い潰れちゃったの?』
『ええ。リーチちゃんと家の中に運ぶから、少しの間、一人でお店をお願いね』
なんという失態だ。
酒を飲んだのが初めてとはいえ、任務中に泥酔してしまうなんて。
『スミレナ殿、女人の力で運ぶのは大変である。
『それなら僕が。ギリコさんはお客さんなんですから』
『二人とも大丈夫よ。女性を介抱するんだから、男手は必要無いわ』
『左様であるか。ではエリム少年について店の方をしばし手伝うとするのである。食器を下げるくらいしかできぬであるが』
『ごめんなさい。でも助かるわ。後で一杯奢らせてもらうわね』
『困った時は、お互い様なのである』
ぐぅ、最悪だ。潜入調査なのに目立ってしまっている。
しかも、他の客にまで迷惑をかけている。
彼はリザードマンか。保護指定にない種族と、これほど親しくしているとは。
凶悪な顔から、もっと気性が荒い種族なのだと思っていた。
あの個体に限ったことなのか。もしくは種族全体が意外と温厚なのだろうか。
ふむ。
ふむふむ。
これなら……うん、イケるかもしれない。
『ギリコさん、すみません。手伝ってもらってしまって』
『何を言っているのである? 小生は初めからエリム少年と二人きりになりたいと思っていたのであるよ』
『どういうことですか?』
『とぼけなくていいのである。正直に言うのである。さっき、小生が女人に触れるのを嫌がったのであろう? 嫉妬したのではないのか?』
『そこまでわかっているくせに、酷いです……』
『ついイジメたくなったのである。お詫びに、思い切り可愛がってやるのである』
『今ここでですか? でも、仕事が』
『拒否権は無いのである。心配無用。カウンターで見えないのであるよ』
『わ、わかりました』
『さあ、早く尻を向けるのである。ちなみに、リザードマンのアレが二本あるのは知っているであるか。せっかくなので、両方使わせてもらうのである』
『え、でも、僕は男だから、一つしか』
『一つに、二本とも挿れるのであるよ』
『そんな、壊れちゃいます』
『優しくするとは言っていないのである』
『あ、ああっ!』
『まだ一本目である。本番はこれからなのであるよ』
『あひぃぃ、拡張されちゃうぅ!』
イケる。イケるぞ異種姦。悪くないじゃないか。
これは想像の幅が革命的に広がったかもしれない。
「――さん」
「ふふ、次は少年×リザードマンで」
「お姉さん!」
「ハッ!? え、あれ?」
慌てて周囲を見やる。
白い壁と天井。薄桃色のカーテン。ベッドと、小さなタンスが一つ。
あまり物が無い、見慣れない部屋で私は寝かされていた。
「……ここは?」
「オレの部屋です」
可愛らしい声がした方に首を向けると、そこには靄のかかった頭と酔いが一瞬で覚めるような美少女がベッドの傍らに正座していた。
「今、私を呼んだか?」
「凄く呼吸が荒れていたんで、起こした方がいいかなって」
金色の髪に、フェンリル級――いや、ギガンテス級はあろうかという巨乳。
この子だ。本当に一目でわかった。この子が領主邸を襲撃した張本人だ。
「介抱してくれたのか。私はどれくらい気を失っていた?」
「三十分くらいです」
質問に答えた少女の態度が変だ。そわそわとしていて、視点が定まらない。
まさか、寝言でうっかり騎士であることを口走ったりしてしまったのだろうか。
自信が無い。酒に酔って自分を見失うとは、こんなにも恐ろしいことなのか。
ん?
今気づいたが、さっきまで私が着ていた服と違う。着替えさせられている。
「もしや、私は吐いてしまったのか?」
「ええと……はい」
頭を抱えた。どこまで醜態を晒せば気が済むのか。
せめて、課された任務だけは最後まで遂行しなければ。
私は少女をじっと見つめた。
アラガキタクトは、少女が魔物などではないことを祈っていた。
私も少なからず、そう願っていた。部下が落ち込むのは見たくないからな。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
【リーチ・ホールライン】
レベル:8(14/128)
種族:サキュバス
年齢:17
職名:酒場の男限定無敵看板娘
特能:
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
……サキュバス。
いたずらに人間をたぶらかし、堕落させる種族。
――魔物だ。
事前に、サキュバスの可能性が高いという報告は受けていた。
可能性。ただの可能性であってほしかった。
アラガキタクト、辛いだろうが、残念な結果が出てしまった。
「ところで、君はさっきから、どうして私と目を合わせようとしないんだ?」
「え、や、それは」
「何か隠していることがあるのではないか?」
領主邸で捕えられた複数のゴブリン。連中を扇動していたのも、この魔物の仕業だと考えられている。騎士団同様に、【オーパブ】を危険視していた領主を襲撃する行動力。他にも企んでいることがあるのではないか?
「何かやましいことがあるから、目を合わせられないのではないか?」
「ご、ごめんなさい!」
「ごめんなさい?」
例の襲撃事件に対する謝罪だろうか。
「服を脱がしたのも、体を拭いたのもスミレナさんなんですけど、その、オレも、お姉さんの下着姿を……ちょっとだけ見てしまいました!」
「だから?」
「ほんのちょっとです!」
「いや、だから?」
「だから、ごめんなさい!」
謝られる理由がさっぱりわからない。
女性が女性の下着姿を見たからどうだというんだ?
彼女が男の子だというのならともかく。
男の子、だったら。
「…………まさか、な」
「どうかしました?」
「不躾な質問をさせてもらうが」
この子はサキュバスだ。
サキュバスといったら男好き。淫乱の代名詞のような存在ではないか。
私はあり得ないと思いつつも、確認の問いを投げた。
「君はもしかして、同性愛者だったりするのか?」
「え?」
「女性のことを、異性のように感じているのではないか?」
「それは、はい」
肯定しただと?
なんと。この子もまた、私のように特殊な性的嗜好を持つ者だったのか。
アラガキタクト、どうやら貴様には、最初から望みが無かったようだぞ。
私は同性愛者というわけではないが、性的
もう少しだけ踏み込んで尋ねてみたい。
「もしや、男は男同士でカプればいい……などと思っていたりは?」
「そうですね。今となっては、そうなってくれればいいのにって思います」
「おおお!」
「その方が気が楽だし、レベルも上がったりしないでしょうし」
「レベル?」
「あ、こっちの話です」
初めてだ。自分以外に、この趣味に理解を示す者に初めて出会った。
この子は魔物だ。
だというのに……語りたい。語り明かしたい。
そんな気持ちに駆られてしまう。
「明け透けに答えてくれるが、君は自分の嗜好を隠してはいないのか?」
「特に隠しているつもりはないですね。スミレナさんとか、マリーさん――常連のお客さんなんかは、そのへんをわかってからかってきますし。スキンシップが過剰すぎて、いつもドキドキさせられてます」
「オープンなのだな……」
「お姉さん、男同士の恋愛とか好きな人なんですか?」
「大好物――いや、生き甲斐だ。しかし、私は君と違い、この趣味を隠している」
最近、アラガキタクトと騎士長にはバレてしまったが。
「なんで隠すんですか?」
「なんでも何も、人様に言える趣味ではないだろう?」
「まあ、言う必要は無いと思いますけど、お姉さんは、その趣味がバレたくらいで世間に顔向けができないような生き方をしてるんですか?」
少女はすぐにハッとし、「偉そうなことを言ってすみません」と謝ってきた。
他意の無い、純粋な質問なのだろう。私は気を悪くすることもなく答えた。
「力不足を感じているところはあるが、今までも、これからも、己を恥じる生き方だけはしないつもりだ。誰にでも胸を張れる自分になろうと努力もしている」
「なれますよ。オレはお姉さんのこと、その趣味込みで好きですよ。ああ、好きと言っても、変な意味じゃなくてです! 人としてです!」
「ずいぶんと高い評価だが、君に気に入られることをした覚えはないぞ?」
私のような女がタイプなのか?
「お酒、美味しいって言ってくれたんですよね?」
「美味しかった。申し訳ないことに、吐いてしまったがな」
はは……と、少女は苦笑いで頬を掻いた。
「あのお酒の材料になる牛乳、牛っていう動物が出すミルクなんですけど、オレがしぼったんです。誰がしぼったって味が変わるわけじゃないのに、それでもなんか嬉しくて」
言葉どおり、少女は本当に嬉しそうに照れ笑いをした。
それは魔物であることを忘れさせてしまうほど、人間と変わらない表情だった。
「酔いは覚めたかしら?」
「ご迷惑をおかけした」
遅くなったが、会計を済ませた。
店主の気遣いで、他の客と顔を合わせないよう裏口から見送られている。
着て来た服は、水洗いまでしてくれてあった。借りた服を返すのは後日でいいと言われた。返しに来られるかはわからないが。
「いい子だったでしょう?」
「……そうだな」
「あの子ね、少し前に、男の人に襲われそうになったの。性的な意味でね」
「な……っ!?」
「幸い、未遂だったんだけど、その時、相手に大怪我を負わせちゃったのね」
大怪我? それはもしかして、グンジョー・マツナガ氏のことか?
「その怪我だって、あの子がやったわけじゃないわ。怪我した本人が、どう言っているのかは知らないけどね」
「どうして、そんな話を私に?」
「騎士団の隊長さんには知っておいてもらいたいと思ったからかしら」
ズクン、と心臓が跳ねた。
「気づいて、いたのか」
「騎士団がウチを警戒しているように、ウチも騎士団を警戒している。それなりに情報を集めるのは当然だわ。アナタと面識は無いけれど、他人のステータスを視ることができる、若くして隊長になった騎士がいるっていうのは知ってたから、近いうちに来るだろうと思っていたのよ」
「では、彼女も」
「あの子は知らないわ。ありのままをアナタに見てほしかったから」
確かに、演技をしていたようには見えなかった。
「上にどう報告するかは任せるわ。ただし、敵対するというのなら、ウチは全力で抵抗するから。あの子は死んでも守ってみせる。これは【メイローク】の総意だと思ってもらって構わないわ」
【オーパブ】の店主は臆すことなく、まるで騎士団に宣戦布告をするように言い、店に入って行った。
逆に私が気圧され、しばらくその場に呆けていた。
日を跨がぬうちに【メイローク】を出て、私は王都【ラバントレル】へ戻った。
その足で、騎士団本部で待機している騎士長のもとへと急ぐ。
「カリーシャ・ブルネット、ただいま戻りました」
「早速だが、報告を聞こう」
騎士長は、会議でも使われる部屋に一人でいた。
空気が張りつめており、自然と鼓動が早くなる。
「【オーパブ】の店主スミレナ・オーパブと、その弟エリム・オーパブはただの人間でした。レベルも低く、特能を授かっているということもありません」
「例の娘はどうだった?」
「対象の名はリーチ・ホールライン。低レベルながらも特能を授かっていました」
「特能持ちか。襲撃の詳細を聞いて予想はしていたが。それで、肝心の種族は?」
サキュバスだった。
魔物だった。
私がそれを告げれば、彼女は討伐対象として確定する。
魔物の討伐は騎士の存在意義であり、義務だ。私情で歪めていいものではない。
どのように見えたとて、彼女の存在が危険を孕んでいることには変わりない。
そして私は騎士だ。ならば、言うべきことは一つしかない。
私は騎士長の厳格な視線を真っ直ぐに受け止め、それを言う。
彼女との会話を、一つ一つ思い出しながら。
「彼女は、人間でした」
騎士長が目を剥いた。
騎士として、私は間違ったことを言っているだろう。
しかし、私は彼女に言ってしまったのだ。
――己を恥じる生き方はしないと。
「カリーシャ、虚偽の報告は」
「人間でした! 我々と同じように人を愛し、喜び、そして笑う。人間と同じ心を持っていました! あの者は、悪ではありません!!」
悪ではない者を討伐することなどできない。していいとは思えない。
たとえそれが、相手が魔物であっても、思えなくなってしまった。
この訴えは、彼女が魔物だと言っているのと同義だ。
だけど、偽りの言葉を並べても騎士長に届くはずがない。
「一人で行かせるのは失敗だったか。洗脳されている可能性があるな」
「私は洗脳などされていません!」
騎士長が重々しく目を伏せた。
彼女を見て、言葉を交わして感じたことを、私は騎士長にそのままぶつけた。
これが一番、相手の心に届くと思ったから。
だけど。
それでも、息の詰まる空気が晴れることはなかった。
「ご苦労だった。カリーシャ・ブルネット、及び療養中の第三小隊は
届かぬ言葉に唇を噛み、拳を握りしめて心の中で謝った。
アラガキタクトと、あの少女に。