店の中にいた間に
牛が無双したことで、自分の出番が終わってしまったことに少しばかり寂しさを覚えつつも、事の顛末を見届けるため、俺は【オーパブ】陣営の一人として改めて騎士団と対峙する。
話がこじれそうなので、魔王ザインには、しばらく店内待機をお願いした。
スミレナさんとロリサキュバスを筆頭にして外へ出ると、店と利一を守るようにして、町の男たちが騎士団と睨み合っていた。
「リーチちゃんには指一本触れさせない!」
「彼女と出会って、ようやく俺の人生は始まったんだ!」
「愛ゆえに人は苦しまねばならぬ! 愛ゆえに人は悲しまねばならぬ!」
「おぅぱあああああああああいっ!」
最後の掛け声はよくわからなかったが、スゲェな。ここまで慕われている利一に感心する反面、あれだけの可愛さならばと妙に納得してしまう。
彼らを掻き分け、最前列へと出る。騎士団側は、鎧を着直したアーガス騎士長を先頭に立て、第一・第二部隊の総勢二百名が勢揃いして隊列を組んでいた。
周囲の家屋から漏れる明かりや、騎士たちが持つ松明のおかげで逆光が作られることもなく、互いの姿はちゃんと見えている。武器をチラつかせている輩はいねェようだが、充満する剣呑な空気は全く隠れていない。
「お疲れ様と言うのも変かしらね。とりあえず、数に物を言わせて店に押し入って来なかったことだけは評価してあげるわ」
スミレナさんの高圧的な台詞で話は切り出された。
これにアーガス騎士長は返さない。交渉を進める権利はこちらが握っている。
「まず、この
「勝ち名乗りでもするつもりか?」
「いいえ。そこのところ、勘違いしないでほしいわね。私たちは勝つために戦っていたんじゃなくて、守るために戦っていたのよ。勝敗なんて観念は、アナタたちが勝手に持ち込んだものだわ」
この戦いに勝ち負けはない。大切なのは互いを認め合うことだ。
おそらく、スミレナさんはそう言いたいんだろう。
「ただ、勝者を気取るつもりはないけど、騎士団が敗者なのは確定よね。人の話をろくに聞かず攻めてきた挙句、手も足も出せずに醜態を晒したんだから。これからする話は敗者として傾聴しなさい」
「き、貴様ッ!!」
そんな甘い人じゃなかった。
そして怒りを露わにしたのは、アーガス騎士長ではなくシコルゼだった。
スミレナさんに掴み掛かりそうな勢いだったので、反射的に俺がスミレナさんを庇うようにして前に出た。
「落ち着けよ」
「これが落ち着いていられるか! その女は騎士を侮辱しているんだぞ! 我々は正義の下に戦ったというのに!」
「正義の反対が悪だって決めつけるのはよくねェぞ。まあ、それ以前に、騎士団が正義だってとこも怪しいけどな。今回のことに関してだけ言えば」
「アラガキ……貴様、どこまでも【オーパブ】の肩を持つつもりか!?」
「一回冷静になれよ。自分が正しいと信じて疑わねェから一方的な見方しかできない。それはアンタの、いや、騎士団全体の短所だぜ」
「短小の何が悪い!?」
「ンなこと言ってねェだろ。とにかく落ち着けって」
俺が何を言っても怒りの矛を収めようとはしないシコルゼに、アーガス騎士長が窘めるように「シコルゼ」と強く呼んだ。これにはシコルゼも怒声を詰まらせる。
その様子に、ロリサキュバスがこれ見よがしに嘆息した。
「騎士を侮辱のう。すみれなの言った、守るために戦う。本来であれば、騎士団が掲げて然るべき信条のはずでありんすが」
「魔物風情がわかったようなことを言うな! 僕たちは、この国を――」
「おっと、国を守るため、脅威を払おうとしていたなどと綺麗事は聞きとうない。お前さんらがやっていたことは、ただの侵略行為じゃ。サキュバス討伐に加えて、あわよくば【オーパブ】も潰してやろうと考えていたでしょや?」
ロリサキュバスが揶揄するように言い、アーガス騎士長に視線を移した。
「侵略行為という言い方には同意しかねるが、他種族への【オーパブ】の影響力を断ちたいと考えていたことは否定せん。それが秩序の維持に繋がるからだ」
「どちらが正しいかなんて議論するつもりはないわ」
憮然と答えたアーガス騎士長に、すかさずスミレナさんが続けた。
「力でねじ伏せたところで、相手の理解を得られるなんて思えないもの。騎士団もそうでしょ? だからこそ、最初から討伐なんていう野蛮な手段に出たのよね?」
口調は穏やかなのに、突きつける一言一言が刃物のように鋭い。
味方として聞いている俺でさえそう思う。
「理解を得られなくても、この町と王都で住み分けができていると思っていたわ。協力はできなくても、互いに手を出さない、関わらないことで共存はできていた。それなのに、騎士団はこちらの領域に土足で踏み込んできた。これを侵略と言わずになんと呼べばいいのかしら」
「命を取られても、文句は言えんわなあ? ま、やらんがの」
やれるけどやらない。【オーパブ】はその力を見せつけた。
ただ一つ、騎士たちが理解していること。
それは自分たちが、相手の温情で生かされているってことだ。
「まだ自分は負けていないと主張する者がおるなら、今すぐ前に出て来んさいや。こやつが相手になってくれようぞ。わちきでも構わんが」
カカ、と相手をからかうように笑ったロリサキュバスが牛の頬を撫でた。
「カリーシャ、あの生き物のレベルはいくつだ?」
アーガス騎士長が、俺の後ろにいるカリーシャ隊長に尋ねた。
騎士でありながら騎士団と敵対してしまった手前、後ろめたさもあるンだろう。一瞬だけ視線をさまよわせたが、自分の信念に基づいて行動したカリーシャ隊長は誰に恥じることもなく、毅然とした声で質問に答えた。
「レベル36とあります」
た……か。
騎士団のみならず、その事実に【メイローク】の住人もざわめいた。
「それだけではありません。特能とは異なるようですが、【状態異常完全耐性】【全属性完全対応】【不老不死】など、数々の特徴が挙げられます」
チート、ここに極まれりだな。
「……逆立ちしても勝てんな」
アーガス騎士長が、騎士たちの気持ちを代表して言葉にした。
自分がレベル30になれると知った時は、もしかしたら、この強さで天下を獲ることだってできるンじゃねェかと思ったりもしたけど、笑っちまうな。
調子に乗らなくてよかったぜ。上には上がいる。
「ところで、そちらの被害はどれくらいなのかしら?」
「魔王の特能を受けた者たちを除けば、手足の骨折以上の重傷者はいない」
「町の人たちも同じよ。部隊長さんにやられた一人を除いてね」
「リザードマンか。……息を引き取ったのか?」
「一命を取り留めたわ。命拾いしたわね」
命を拾ったのは騎士団。もし彼が死んでいたら、チート牛の枷は外れていた。
スミレナさんは、言外にそう告げている。
「さっきの魔物たち、見るからに危険だったわね。それなのに、どうしてこんなに被害が小さくて済んだのかしら?」
「あえて言わせるか。そこの生き物が迅速に事態を収拾したからだ」
「正直に答えてくれて嬉しいわ。お礼に紹介してあげる。この子はミノコちゃん。そして、彼女を意のままに使役できるサキュバスのリーチちゃんよ」
「モゥ」「ど、どうも」
牛が面倒臭そうに低く鳴き、利一が恐縮しながら会釈した。
「ありゃ? すみれなよ、騎士共の目を見なんし。まだ敵意が剥き出しじゃぞ」
「え、噓でしょう? それって恩知らず。いいえ、恥知らずってこと?」
「受けた恩を仇で返しよるか。いやはや、崇高で気高き騎士など、所詮は夢物語の中にしかおらんのかや」
あの二人、表情には出さないけど、利一を狙われ、【メイローク】に攻め込まれたことを相当腹に据えかねていそうだ。
俺は腰を屈め、こっそりと利一に耳打ちをした。
「何を要求するつもりなンだ?」
「変態が出てきて状況が変わったから、出せる要求も少し変わったとかで詳しくは聞いてないんだけど、それ以前は、オレが安全に暮らせるように魔物扱いをやめさせるとか、そういうことで話を進めてたんだ」
なるほど。それはさておき、マジで可愛い声になっちまったな。
あと、耳打ちするくらい近づいたことで、凄くイイ匂いがする。くんかくんか。
ちなみに、変態って俺のことじゃねェよな? 魔王のことだよな?
「茶番はよせ。スミレナ・オーパブ、貴様は我々を敗者と言った。ならば何かしらの要求があるはずだ。まずはそれを提示しろ」
「話が早くて助かるわ」
営業スマイルをたたえたスミレナさんが、「要求は三つ」と指を三本立てた。
「一つ目は、サキュバスのリーチ・ホールライン、メロリナ・メルオーレ、そして牛のミノコちゃん。この三名を【ラバン】国内限定で構わないから、特別保護指定個体として認めてもらいたいの」
国内限定か。真っ当な理由があるならともかく、敗戦して突きつけられた要求を他国にまで受け入れさせるのは、さすがに無理か。
この要求に対し、当の利一が「え?」と不思議そうな顔をした。
「スミレナさん、ギリコさんは?」
「断られたわ。リーチちゃんを助ける気持ちに私欲を混ぜたくないんだって」
「ギリコさん……」
おや、気のせいか?
利一の瞳が、一瞬だけ恋する乙女みたいに潤んだような……。
あれ? なんか、胸ンとこがざわつくぞ。
「リーチちゃんから、騎士の皆さんに何か言いたいことはない?」
「言いたいことっていうか、一つだけ訊きたいことが」
スミレナさんが騎士団に静聴を促し、利一が発言できる空気を整えた。
あの、えっと、と声をどもらせる姿の、なんと庇護欲をそそられることか。
無条件で応援したくなる。頑張れ、利一。
「何も悪いことをしてないのに命を狙われるっていうのは、やっぱ納得いかないというか、やめてほしいです。サキュバスがどういう種族なのかは聞きましたけど、オレはこれからも何かするつもりなんてありませんし。だからその、いきなり討伐じゃなくて、まずは監視とかじゃダメだったんですか?」
「あらあら、リーチちゃん、痛いところをついてしまったわね」
「痛いところ?」
「彼らはね、実際に事を起こされたら、対処できる自信がないのよ。怖くて怖くてブルっちゃってるの」
「こんなにたくさんいるのにですか?」
「こんなにたくさんいるのによ」
ぷーくすくす、とスミレナさんはわざとらしく笑った。利一の挑発は無自覚か。
「自分たちの無力さを棚に上げて、今回みたいに一方的に難癖をつけられて攻めて来られたら堪ったものじゃないわ。返り討ちにした後で王都を攻め落としてやろうかって思うわよね。私がリーチちゃんなら思うわ。ううん、今だって騎士団の誠意次第ではやるわ」
スミレナさんの双眸が細められ、騎士たちを冷たく睨み据えた。
瞬間、騎士団に戦慄が走ったようで、何人かは剣に手を伸ばそうとしている。
が、アーガス騎士長が腕を水平にし、それらを制した。
そうするとわかっていたように、スミレナさんは落ち着き払っている。
見ているこっちの心臓に悪い。
「それで、認めるの?」
「特別保護指定……王都議会にかけ、冒険者ギルドに承認させればできなくはないだろう。だが、それは過去に犯罪を犯したことのない者であればの話だ」
「リーチちゃんは、いつだって清く正しく可愛らしいわよ?」
「金髪のサキュバスと、その生き物については検討の余地もあろう。だが、銀髪のサキュバス、貴様が犯した罪、忘れたわけではあるまい!」
ズビシッ! とアーガス騎士長がロリサキュバスを指差した。
「二十年も前のことじゃ。時効でありんす。それに、わちきは罪を犯したなどとは思っておらん。魔物じゃからと捕えられた。殺されとうないから逃げた。それだけのことでありんす」
「その時、貴様が手にかけた者たちの中には、再起不能なまでに心を傷つけられて騎士を引退した者までいるのだぞ!」
「それは悪いことをしたの。許せ」
「この恨みは、そんな謝罪で拭えるものでは――」
「ビーチクパーチク喚くな
「――ぬ、ぐっ!!」
幼女の外見から発せられたとは思えないプレッシャーが吹き荒れた。
あのアーガス騎士長が、言葉を飲み込ませられた。
「カカ、ビビらせてすまんの。わちきはもう黙っているから、話を進めなんし」
そう言って、ロリサキュバスが一歩退がった。
しばらくロリサキュバスから視線を外せずにいたアーガス騎士長が、ややあってスミレナさんに意識を向けた。
「魔王は、そちらのサキュバスに執心しているようなことを言っていた。この町で匿う限り、また今回のような危険を呼び寄せることになるのではないか?」
「逆よ。リーチちゃんの存在意義を見誤らないでくれる? 彼女の働き次第では、魔王を無力化するだけじゃない。味方にさえできるかもしれないのよ? 何百年と叶わなかった魔王勢力との戦争終結も夢じゃないってこと、ちゃんと理解してね。理解できたらよく考えて。アナタ個人の恨みと世界平和、どちらが重いのか」
いつの間にか、主張が逆転している。国の平和のためだと謳っていた騎士団が、今は世界平和を盾に論破されようとしている。
「リーチちゃんには親切にしておいた方がいいと思うわよ」
「魔王の無力化。仮にそれが可能だとして、魔王を個人が服従したなどとあっては他国が黙っているとは思えん」
「ああ、魔王を倒した国が世界の覇権をどうたらいうあれ? 興味ないわ。手柄は全部あげるから、そっちで上手くやってちょうだい」
アーガス騎士長が熟考に入った。アーガス騎士長に熟考させる。大きな進展だ。
その間に、スミレナさんが先ほどの補足を入れる。
「よく考えてね。検討の余地とか、こっちはそんな曖昧な答えを求めてないから。素直に認めるか、認めざるを得なくされるか。二つに一つよ」
笑顔で言っているのが、また余計に怖い。
「……善処しよう」
「善処。曖昧な言葉ね」
「この命に代えても」
「アナタの命なんていらないわ」
「どうしろと言うのだ」
「議会を通し、冒険者ギルドの承認を得る。それができなければ王都が陥落する。その覚悟だけ持っておきなさい」
核保有国が、満足な武力を持たない小国に脅しかけてるみてェだ。
アーガス騎士長は、断腸の思いを顔に滲ませながら「承知した」と答えた。
「これが一つ目の要求とは、先が思いやられる」
「そんなに気を滅入らせる必要は無いわよ。アナタたちが不利益を被る要求なんて一つも出さないから。私たちは、ただ平穏に暮らしていたいだけなの。その平穏を脅かしているのがアナタたちなの。結局のところ、突き詰めれば、自国で好き勝手されるのが気に入らないだけなのよね?」
「何が言いたい?」
「だから独立するわ。それが二つ目の要求」
「ど、独立……だと?」
「ここに独立都市多種民族国家【ホールライン】の建国を宣言するわ」
さらっと言った。
この世界の常識をまだ完璧に把握しているわけじゃねェけど、それを差し引いたとしても、とんでもねェこと言ってるよな、これ。
「ス、スミレナさん、ホールラインって、オレの?」
「ええ、リーチちゃんの名前から取ったの。これでリーチちゃんは、お姫様ということになるわね。一国の姫ともなれば、おいそれと手出しもできないし、名案だと思わない?」
「お、お姫様……!?」
いやはや、なんつー展開だよ。
「リーチ姫、バンザイ!!」
突然、男の一人が大声で叫んだ。
あれって確か、俺が酒場で注意したオッサ――オニイサンじゃなかったか。
男は両腕を上げ、何度も「リーチ姫、バンザイ!!」と繰り返した。
その音頭は、瞬く間に町民たちへと広がっていく。
「「「リーチ姫、バンザイ!!」」」「「「リーチ姫、バンザイ!!」」」
「「「リーチ姫、バンザイ!!」」」「「「リーチ姫、バンザイ!!」」」
「「「リーチ姫、バンザイ!!」」」「「「リーチ姫、バンザイ!!」」」
「やめ、やめろおおお!! ピーチ姫みたいに言うなああああああああ!!」
発火しそうなほど真っ赤になった利一の悲鳴は、町を揺るがす大音声によって掻き消された。