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第4話 姫を守れ

 朝、目が覚めると、オレは必ず自分の体をあちこち触る。

 これをスミレナさんに言ったら「あらあら、やっぱり中身は男の子なのね」と、ほっこりした顔で言われるけど、断じて違う。


 おっぱい……有り。

 ちんちん……無し。


 パジャマ越しでもはっきりわかる。まごうことなき女の体だ。

 続けて、頭と背中にも手を伸ばす。そこには人間の頃は無かった物が存在する。


「角と翼……有り」


 ――結論、サキュバスだ。

 はぁ、と溜息を一つ。

 寝る前にいつも淡い期待をする。サキュバスに生まれ変わったなんて悪い夢で、本当のオレは、まっとうな種族に男として転生しているんじゃないかって。

 そして夢じゃなかったことを確かめて落胆する。この繰り返しだ。


「あ、そうだ」


 ベッドから床に足を下ろしたところでハッとし、オレは自室を飛び出した。

 今日に限っては、もう一つ確認しなきゃならないことがある。

 これについては、夢ではないことを祈った。


 焦り、もつれる足で廊下を走り、酒場に繋がる扉を乱暴に開け放つ。

 目に飛び込んできたのは、木組みのイスにゆったりと腰掛けたスミレナさんと、静かな朝を壊されて不満そうに尻尾を揺らすミノコの姿だった。

 いつもの光景だ。


 おはようございますの挨拶も忘れて、オレはきょろきょろと店の中を見渡した。

 フロアに他の人はいない。

 バーカウンターの奥にもいない。


「……いない」


 そう呟いた途端、ぽっかりと胸に穴が開いてしまったみたいな喪失感と、世界にたった一人残されたかのような孤独感に襲われた。

 やっと出会えたと思ったのに。

 これが夢とか、あんまりだろ。


「――ふィ~、あらかた掃除できたっス。これでひとまず寝床は確保かな」


 棒立ちになっていると、まさに頭に思い浮かべていた人物が、すすのついた顔をして酒場のスイングドアを押しやり店に入って来た。


 いた。

 目が合うと、相手がぎょっとした顔をした。


「あ、ああ。なんだ、利一か。髪下ろしてるから、一瞬どこの天使かと思ったぜ。……て、え? オイ、どうし――」


 オレは肩を怒らせ、ズカズカと無言で近づいて行く。

 そして、そのまま相手を捕まえるようにして正面から抱きすくめた。

 逃がしてたまるか。そんな気持ちを腕に込めて。


「は!? え!? り、利一!? 何して、うわ、なんだコレ、柔、うォォオオ!!」

「お前、拓斗だよな?」


 腰にしがみつき、胸板に顔を押しつけたまま問いかける。


「そ、そうだけど?」


 昨日のことは夢じゃなかった。

 ようやく、ようやく拓斗との再会を果たせたんだ。


 オレほどじゃないにしろ、拓斗の外見も前世とは別物になっている。

 顔立ちは少しだけ垢抜けた感じがする。背丈や体格はそんなに変わっていないと思うんだけど、オレが縮んだせいか、記憶の中にある拓斗よりも大きく感じる。


「ああー、ダメだ」

「な、何がだ?」


 生まれ変わったからには、今度はオレが拓斗を助けてやれるくらい強くなる。

 そう決めていたし、ちょっとは強くなれたと思っていたのに。

 実際に拓斗を前にすると、こんなにも安心してしまう。

 もっと頑張らないとな。


「こっちの話」

「そ、そうか。つーか、そろそろ……」

「――ああああ!! タクトさん、何やってるんですか!?」


 親友との再会を抱擁ハグで堪能していると、頭を埃で白くしたエリムが拓斗と同じく店に入って来た。そうしてオレと拓斗を強引に引き離してしまう。


「ちょっと目を離した隙に! 油断ならない人ですね!」

「いや、俺から抱きついたわけじゃねェって」

「エリム」


 拓斗に食ってかかるエリムを落ち着いた声で呼んだ。


「リーチさん、もう安心してください! 僕の目の黒いうちは、たとえ相手がこの野獣であろうと、アナタに指一本触れさせはしませえええええええええええ!?」


 オレは拓斗にしたように、エリムのこともぎゅっと抱きしめた。


「なな、何を!? 何を!? ふわああああ、いい匂いが、ふわああああ!!」

「エリムも、昨日はありがとな。お前が盾になってくれなかったらと思うと……」


 野郎にキスされるとか、想像するだけでも総毛立つ。

 そのおぞましさを肩代わりしてくれたエリムには、感謝してもしきれない。


「トラウマになったりしてないか? オレにできることがあればなんでも言えよ」

「な、なんでもですか!? じゃあじゃあ、あの、その、できれば上書きを――」

「オイコラ、お前こそ油断も隙も無ェじゃねェか。何が上書きだ」


 今度は拓斗がエリムを引っぺがした。

 そうして、やいのやいのと朝から元気にじゃれ合う。

 微笑ましいな。すっかり仲良しだ。具体的に何かしたわけじゃないけど、オレが友情の仲介役になれたのだとしたら嬉しい限りだ。


「ところで、お前ら、なんでそんなに汚れてるんだ?」


 拓斗も、今はちゃんと服を着ている。サイズがぴったりなことから、エリムのを借りているわけじゃなさそうだけど、埃だらけ、すすだらけ、ところどころに藁が張りついている。オレが寝ている間に、いったい何をしていたのか。


「これな、牛舎の掃除と改装だよ」


 拓斗が答えた。


「ミノコの寝床を綺麗にしてくれたのか?」

「それはそうなンだけど、今日から俺たちもそこで寝るから」

「は?」


 嘘か本当か、オレは目でミノコに確認を取った。

 ミノコは大変迷惑そうに、モフゥ……大きな溜息をついた。

 どうやら本当らしい。


「俺たちってことは、拓斗だけじゃなくて、エリムもなのか?」

「……はい。離れたく……ありませんから」


 尋ねると、はにかんだエリムが、オレの反応をチラチラと窺うように答えた。

 なるほど、生まれ育った家だもんな。思い入れがあるだろうし、離れたくないと思うのは当然だ。そもそも、なんで家人であるエリムが追い出されているんだか。


「拓斗も、それでいいのか?」

「ここの領主サンが、部屋ならタダで貸すって言ってくれンだけどよ」


 カストレータ領主か。あの人、スミレナさんのことが大好きだからな。家族でもない男をスミレナさんと一つ屋根の下に住まわせるわけにはいかないんだろう。


「だったら、そっちで寝泊まりする方が絶対いいじゃないか」

「まあ、俺もそうしたいのは山々なンだけどな。エリムが残るのに、俺だけヨソに移るわけにゃいかねェだろ」


 驚いた。それはつまり、エリムと片時も離れたくないってことなのか?

 こいつら、いつの間にそこまでの仲に。

 腐女子のお姉さんに教えてあげたら、飛び跳ねて喜びそうだ。


 そういや、あの人はどこだろう。

 結果的に拓斗とエリムを押し退け、居候の権利を見事に勝ち取った人物。


「――表の掃き掃除、終わりました」


 ちょうどタイミングよく、その人物が店に入って来た。

 魔王の側近だというダークエルフのお姉さん。確か、パストさんだっけ。

 箒に軍服という組み合わせが凄まじくミスマッチだ。


「ご苦労様。悪いわね」


 スミレナさんの労いに、パストさんはお手本のような会釈を返した。


「私から申し出たことですので、お気遣いなく。他にも何かありましたら、なんなりと御用命ください」

「なんなりと? なんでもいいの?」

「私にできることでしたら」


 それを聞いたスミレナさんが、ぽん、と手を打ち鳴らした。


「じゃあ、リーチちゃんと一緒に、パストちゃんもメイドさんの格好をしてお店に立ってほしいかな。それが宿賃代わりってことで。ダメ?」

「パ、パストちゃん?」

「そんな風に呼ばれるのは抵抗があるかしら?」

「あ、いえ。そういう呼ばれ方は初めてなので……戸惑いました」

「嫌じゃない?」


 パストさんは褐色の頬をピンク色に染め、俯き気味になって「……新鮮です」と答えた。一瞬だったけど、ほのかに微笑んでいたようにも見えた。


「お店のお手伝いもお願いできる?」

「メイドというのは、昨日リーチ様がお召しになられていた衣装のことですか?」

「ええ、そうよ」

「私などに、あのような可愛らしい格好は似合わないと思うのですが」

「そんなことない! 間違いなく需要はあるわ!」

「そ、そうですか。でしたら、はい。やらせていただきます」

「ありがとう! 後で採寸しなくちゃね!」


 パストさんのメイド姿か。うん、見たいかも。

 それはそうと。


「あの、パストさん、リーチってなんですか?」


 新鮮です。とは返せない仰々しい呼称にオレは面食らっていた。


「魔王様は軽薄で女癖が悪いですが、リーチ様のことは本気で執心されている様子でして。このようなことは初めてなのです」

「はあ……」


 それが何?


「よって、私はリーチ様を魔王様の后候補とみなすことにいたしました。魔王様の后であれば、それは将来的に私も仕えることになる御仁。敬意を示すのは至極当然のことですから」

「ああ、なるほ――て、ちょ待、后って、はああああああああああ!?」


 后って、お嫁さん? マジ冗談キツイっスわー。

 いやいや、こんな適当なツッコミじゃ全然足りない。

 誰か、誰かヘルプ。


「拓斗、何か言ってやってくれ!」

「心配すンな。いざとなったら、俺があの変態紳士をバラして埋めてやるから」

「エリム!」

「魔王って、毒で死んでくれますかね」

「お前ら怖いッ!」


 拓斗とエリムの目は全く笑っていない。むしろ据わっている。


「うふふ、魔王さんからお姫様を守らないとね」


 一人楽しそうに、からからとスミレナさんが笑った。


「こりゃ、いよいよ離れるわけにゃいかなくなったな。スミレナさん、いや店長! 今日から従業員の一人として、よろしくお願いしゃっす!」

「ええ、タクト君には期待しているわ」

「姉さん、僕もこれまで以上に頑張るからね!」

「もちろんエロム、ううん、エリコにも期待しているわ」

「言い直せてないよ!? エリムに期待してよ!」


 当人であるオレを放ったらかしにして周りが張り切り、盛り上がっていく。

 勘弁してくれ。

 騒音から耳を背けるように、ミノコだけが我関せずでそっぽを向いていた。

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