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第6話 覚醒

 家令の部屋は、奥さまの部屋からも、旦那さまであるファウスト辺境伯の部屋からも近い。

 駆けていけばすぐにつく距離が、今日はとてつもなく遠く感じた。

 オレは腕の中にいるリリアーナさまを守らなければならない。

 強くそう思っているのに、体は情けなくもガタガタと震えている。

 家令の部屋にたどり着いたオレは扉を開け、その中へと滑り込むようにして駆け込む。

 いつもなら父さんが開けてくれなければ入れない部屋は、オレをすんなりと受け入れてくれた。

 父さんに言われた通り、室内に入ったオレは急いで鍵をかける。

 すると自動的に防護の魔法が部屋全体を包んでいくのを感じた。


 オレはホッと息をつく。

 腕の中にいるリリアーナさまは、ぽやんとした表情でオレを見上げている。

 まだ生まれたばかりのリリアーナさまは、オレの顔なんて見えていないだろう。

 黒いぺちゃとした何か、くらいの認識しかないかもしれない。

 だが今は、それすら幸いだ。


 防護の魔法が効いた部屋といっても、音を遮蔽する機能はない。

 守ることに特化した魔法の壁をすり抜けて、音は容赦なく入ってくる。


 カンカンと鐘が鳴らされる音。

 護衛騎士や兵士たちが走っていく足音。

 怒号。

 悲鳴。

 倒れこむ音。


「嘘だ、嘘だ、嘘だ……」


 オレはガタガタ震えながら、薄い毛布で包んだリリアーナさまをギュッと抱きしめる。

 小さくて体温の高い体が発する確かな生の証を感じていなければ、気がふれてしまいそうだ。


「嘘だ、嘘だ、嘘だ……」


 部屋の外の襲撃と虐殺の気配を感じながら、オレは呟き続けた。

 涙は止める機能が壊れてしまったみたいにボロボロと勝手に流れ続けている。

 一粒一粒の大きな涙が、リリアーナさまにかかっているのが見えた。

 オレは慌ててリリアーナさまを拭くけれど。

 次から次へと溢れて止まらない涙が、次から次へとリリアーナさまを汚していく。


 これじゃダメだ。

 ダメなんだ。


 なんども自分に言い聞かせるけれど涙は止まらない。

 ガタガタとした震えも、体に力が入り過ぎているせいなのか、恐怖によるものなのか、自分でも訳が分からないが止まらない。


「父さん……ファウスト辺境伯さま……イリーナさま……」


 死んだのか?

 死んでしまったのか?

 オレは、残されてしまったのか?


「どうしたら……どうしたら……」


 頭の中が真っ白で何も考えられない。

 オレが生き残ったって、どうしたらいいか分からないよ、父さん。

 オレは……オレは……オレは……。


「嫌だ、嫌だ、嫌だっ!!!」


 腕の中でリリアーナさまがフギャフギャと小さくクズり始めた。

 いつまでオレは、この家令の部屋に居たらいいんだろうか。


 ずっとか?

 ずっとなのか?

 いつまで?


 まだ部屋の外では争う音が響いている。

 耳を塞ぎたいけれど、両手はリリアーナさまで塞がっているから無理だ。

 リリアーナさまは、フニャフニャと体をよじりながらフギァフギャと泣いている。


 みんな死んでしまったら、どうしたらいい?

 誰がリリアーナさまを育てる?

 オレか?

 オレがリリアーナさまを?

 そんなことできるのか?


 小さな体が重い。

 オレにはリリアーナさまから離れる気などないが、この先、どうすればいいのか分からない。

 真っ黒な不安がオレの中に沸き上がった。

 その時だ。


「お゛お゛お゛おぎゃぁーーー!」


 リリアーナさまは火が付いたように泣き始めた。

 今までとは全く違う。


「あぁ、ごめんなさい。リリアーナさま。オレはどうしたらいいのか……」


 オレには、全身を突っ張ってオギャオギャと大声で泣くリリアーナさまを、ギュッと抱きしめることしかできない。

 グッと力を入れて抱きしめると、グンッと魔力の解放される衝撃が腕の中でして、オレは抱きしめることすら難しくなった。


「リリアーナさま⁉」

「おぎゃーおぎゃーおぎゃー!」


 小さな体から物凄い量の魔力が放たれている。

 自分の体すら御することができない赤子では、自分の魔力に振り回されて飛んで行けばどうなるか分からない。


「危ないっ! リリアーナさま!」


 オレは激しい魔力を放つ体が抱きしめる腕を振りきって飛んで行かないように、リリアーナさまをしっかりと抱きしめる。

 抱きしめているのに半分浮き上がっているような状態だ。

 小さな体から放たれる魔力に、オレは吹き飛ばされそうになっていた。

 リリアーナさまの小さな体からは、青に赤、ピンクに黄色と様々な色の光がダンダンという重い衝撃を放ちながら飛んでいく。

 腕に抱く小さな体が眩しい。


「これは⁉」


 重い衝撃を伴う光は部屋の外へと飛び出していく気配がしている。

 部屋の外では獣のあげる咆哮のような悲鳴がこだましていた。

 人間の悲鳴は聞こえない。


「一体、なに⁉」


 事態は全く把握できないが、オレはリリアーナさまの小さな体がどこかへ飛んで行ってしまわないように、しっかりと抱きしめていた。

 外から見たら、縋りついているように見えたかもしれない。

 オレは必死だった。

 パーンとひときわ大きな衝撃があって、そこから一瞬静かになり、じきに人間の歓喜の声がどよめきながら広がっていく。


「これは……一体?」


 オレは外を見るように部屋の扉を眺めた。

 魔獣の気配は消えていて、リリアーナさまから放たれていた魔力も止まっている。

 何がどうなっているのか、さっぱり分からない。


「終わっ……た?」


 オレは自分の腕の中にいるリリアーナさまを見た。

 いつの間にか泣き止んだリリアーナさまはキョトンとした表情を浮かべ、まだぼんやりとしか見えないであろう目で、オレをジッと見つめていた。

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