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桜の花びらが風に舞う朝。
県立東雲高校2年B組に一人の転校生がやってきた。
「坂登春斗(さかのぼり はると)です」
黒板に書かれた名前を見て、クラスの誰かが「さかのぼり?」と小声で呟く。
春斗の口元が微かに歪んだ。
「『さかのぼり』です。よろしく」
それだけ言って、春斗は指定された窓際の席に向かった。
自己紹介で趣味も特技も語らない。
クラスメイトたちは顔を見合わせる。
──また始まった。『転校生は明るく元気に自己紹介すべき』って誰が決めた?
春斗の脳内では既に逆張りエンジンが全開で回転していた。
休み時間。
隣の席の男子生徒が話しかけてきた。
「よろしくな。俺、田中。部活とか入る? この学校は部活動が盛んでさ。結構みんな部活とか入ってるんだけど──」
「入らない」
即答である。
田中は苦笑いを浮かべる。
「まあ、転校してきたばかりだもんな。ゆっくり決めれば——」
「いや、絶対入らない」
春斗は窓の外を見ながら言い切った。
部活動なんて、群れて何かをやりたがる連中の集まりだ。
自分には関係ない。
そんな事を思う春斗。
だがそれは本心は本心なのだが──
──うおおお!なんで、なんで俺は……いいじゃん!部活くらいさ!どんな部活がお勧めなの?とか聞けばいいじゃん!でも、みんな部活入ってるとか言われたから……本当ごめん、田中君。俺は頭がおかしいんだよ……カウンセリング受けても駄目だったんだ……
そんな風に内心で後悔しているひねくれ者の天邪鬼──それが春斗という陰キャである。
そして昼休み。
教室は賑やかな雑談で満ちていた。
最新のスマホゲームの話。
週末のカラオケの約束。
人気アイドルの新曲について。
春斗は一人、弁当を広げながら教科書を読んでいた。
「おい、転校生」
振り返ると、明らかに不良と分かる風体の男子生徒が3人、春斗を見下ろしていた。
リーダー格らしき金髪の男──—後に春斗が知ることになる、このクラスの番長気取りの山田──—が顎をしゃくった。
「なんで挨拶に来ねえんだよ」
春斗は教科書から目を離さない。
クラスは戦々恐々といった様子で春斗と山田を見ていた。
「挨拶? 朝したじゃん」
「違えよ。俺らのところに、だ」
──出た出た。不良特有の謎ルール
ぶおん! ──と音を立てて脳内の逆張ダイナモが唸りをあげる。
春斗は内心で鼻を鳴らしながら、ようやく顔を上げた。
「なんで? 君たち、先生か学級委員?」
教室の空気が凍りついた。
誰もが息を呑む中、山田の顔が見る見る赤くなっていく。
「てめえ……」
「あ、ごめん。聞こえなかった? なんで君たちに挨拶しなきゃいけないの? って聞いてるんだけど」
春斗は淡々と言い返す。
この時、春斗には不良が怖いという感覚は存在しなかった。
なぜなら逆張りエンジンがフル稼働していたからだ。
クラス中の生徒が山田にビビっているからといって、なぜ俺までビビらないといけない?
山田は俺の親か?それとも上司か?
──親ならわかる。学費も出してもらってるしな。上司も分かる。職場の指示系統には従うのが筋だ。まあ働いたことないから知らないけど。でもよ、なんで山田にへいこらしなきゃらねえんだアアアアーーーン!?
「そんなにアイサツしてほしいならするよ。“はじめまして!よろしく!”……これでいいかな?」
「……てめぇ。よし、覚えてろよ」
山田が舌打ち混じりに言う。
◆
そうして転校から一週間。
春斗は完全にクラスで孤立していた。
朝の挨拶は無視され、グループワークでは誰も組みたがらない。
なぜなら山田ににらまれているからである。
隣の席の田中ももう春斗とは目も合わせようとはしない。
転校してきたばかりなのに早速やらかして孤立したわけだが、春斗にとっては毎度の事である。
ちなみに学業面では何も問題はなかった。
春斗の成績は優秀だ。
小テストは常に満点近く、授業中の発言も的確。
ただし、それがまた周囲の反感を買う要因にもなっていた。
「カッコつけんなよ」
「真面目ぶってんじゃねえ」
主に不良グループからそんな陰口が聞こえてくる。
春斗はそれらを聞き流しながら、内心で嘲笑っていた。
──勉強することがカッコ悪い? じゃあお前らは一生バカでいろ
そんなある日の休み時間。
春斗が一人で問題集を解いていると、山田とその取り巻きがやってきた。
「おい、転校生。まだ懲りてねえみたいだな」
山田が春斗の机を蹴る。
問題集が床に落ちた。
「拾えよ」
命令口調。
周囲の生徒たちは、見て見ぬふりをしている。
春斗はゆっくりと立ち上がった。
「なんで?」
「は?」
「なんで俺が拾わなきゃいけないの? 君が落としたんでしょ。おい、山田。俺の問題集を拾えよ」
山田の顔が怒りで歪む。
次の瞬間、春斗の胸を突き飛ばした。
春斗は椅子ごと後ろに倒れる。
教室にどよめきが起こった。
だが—──
「なんで俺が何もしてないのに暴力を振るうんだよ!?」
春斗の叫び声が教室中に響き渡った。
予想外の大声に、山田も一瞬たじろぐ。
「うるせえ!」
山田が春斗の頬を平手で叩く。
だが春斗は止まらない。
「なんで俺が何もしてないのに暴力を振るうんだよ!? 暴行罪って知ってる!? 刑法208条!?」
「黙れ!」
山田も頭に血が昇って、春斗を今度はグーで殴りつける。
教室中から悲鳴があがった。
「ね、ねえ、もうやめなよッ……」
この様に声を出した者もいる。
──お?
佐伯 美香という女子生徒だ。
地味を地でいくようなおとなしそうな女子。
しかしそんな女子の声など、逆張ズムに全身と全霊でノリまくってる春斗にとってはノイズでしかなかった。
より一層の大声で山田を責め立てる。
「黙らない! なんで俺が何もしてないのに殴るんだよ!!すげえ力だった!殺すつもりだったのか!?」
「ああっ!?てめぇ!本当に殺されてぇのか!!」
激昂する山田だが──
「うるさい!」
今度は担任の教師が駆け込んできた。
状況を把握しようとする教師に、春斗は涙目になりながら訴える。
「先生! 僕、何もしてないのに暴力振るわれました! 警察呼んでください!殺されます!!!殺される!!!助けて!!殺される!!!!」
「ちょ、ちょっと待て坂登—──」
しかし春斗は止まらない。
止められない。
というか──
──止めてやる筋合いなんかないね
カッと灼熱した思考が春斗の脳を焼いていた。
俺は何も悪くない、被害者なのだというマインドが行動をどんどん大胆なものにする。
以前田中に対して思ったような、申し訳ないという気持ちは欠片もない。
殺されるという不穏過ぎる叫びに、他のクラスからも生徒たちがのぞきに来た。
「先生も助けてくれないんですか!!!診断書取りに病院行きます! 被害届出します!」
教室は完全に凍りついていた。
山田は青ざめ、教師は困惑している。
そして春斗は——内心で爆笑していた。
──バカが。録音もバッチリだ
春斗のポケットの中でスマートフォンが全てを記録していた。
更に──
「あ、警察ですか。暴行を受けました」
あろうことか、学校内から警察に通報をしたのである。