視線の先には見慣れた逞しい背中がある。そいつは左手をポケットに入れたまま、片手で横長のカバンを肩に担ぐようにしながら、真っ直ぐ前を向いて歩いていた。面と向かって伝えたことはないが、相変わらず後ろ姿が絵になる男だ。
あと数歩の距離まで近づくと、聖子はそのまま明るい声を響かせた。
「イエロー!」
突然のことに驚いたのか、そいつは一瞬つんのめるようにしながら立ち止まると、慌てて振り向いて、ギョッとした表情を浮かべた。
その反応がおかしくて聖子はくすくす笑う。
「何よ、そこまで驚くことはないでしょ?」
「聖子……」
「そうよ、ダン。どうかしたの、そんな変な顔をして?」
苦笑しつつ問いかけても、その男――
「いや、その呼ばれ方はなんか久しぶりだったからさ」
「そうだっけ?」
つぶやいた後で、聖子も思い直してうなずく。
「そういえば小学生までだったわね、色で呼び合ってたのって」
「ああ。当時はアレだけ血みどろの争奪戦を繰り広げたっていうのに、いつの間にか普通に名前で呼び合ってたからな」
懐かしそうな顔をする柳崎に、聖子もまた郷愁にも似た感慨を抱いていた。
「さすがに血みどろはオーバーだけどね」
「いや、そうは言うけど、あん時のお前の顔には鬼気迫る迫力があって、結局それで俺はプレッシャーに負けちまったんだよ」
わざとらしく嘆息して、しみじみと述懐する柳崎。
西日に照らし出された彼の顔を聖子は改めて見つめた。
きりりと引き締まった顔立ち。白い歯と太い眉に力強い眼差し。不自然に跳ね上がった髪型は、巨大ロボットのパイロットか変身ヒーローを連想させる。
日毎逞しくはなっているが、その印象は初めて会った時から変わることがない。
「懐かしいよね、レッド争奪戦」
「ああ、あの日のことは、きっと十年経っても忘れねえよ」
柳崎は優しく微笑んだ。筋骨隆々とまではいかないものの、平均的な男子よりは上背もあるが、彼には人を威圧する雰囲気が微塵もない。
気は優しくて力持ち――などと評すれば、戦隊もの特撮番組のイエローのイメージと合致するが、それ以上に彼から感じるのは安心感だ。
この人と一緒にいれば、どんな困難にも挫けることはない。
聖子はそれを心から信じることができる。
だから、本当に彼に相応しいのはリーダーを象徴するレッドだったはずだ。
そんなことを考えていると、自然と当時の記憶が蘇ってくる。
あれは小学校の転校初日のことだった。
◆
聖子は父親の転勤によって、それなりに大きな街から、この地方都市に引っ越してきた。
小学三年生の時の話だ。当時の聖子は、前の学校ではクラスから浮いた存在だった。
物心ついた頃より、正義のヒーローに憧れていた聖子は、当然ながら正義感が強くて気丈だったが、その真っ直ぐさが周囲の人々の反感を買った。
子供たちばかりか教員までもが、彼女の正義感を幼稚と切って捨て、その理想を鼻で嗤った。
幼かった聖子は、そんな周囲の反応に傷つくと同時に心を閉ざし、九歳にして人間不信に陥っていた。
だから彼女が転校先の学校で、
「ヒーローに憧れている七帆士聖子です。好きなものは正義。嫌いなものは悪です」
などと、投げやりに挨拶したのは、そういったものをバカにする者たちには最初から寄りついて欲しくなかったからだ。
それで孤立するなら、その方が良いとさえ考えていた。
ところが――、
そこには聖子以上に正義に執着する愛すべきバカ――柳崎ダンが存在していたのだ。
彼は聖子の自己紹介を聞いた途端に勝手に立ち上がって、大きな声を教室に響かせた。
「ようこそ、聖子隊員! 俺は柳崎男! 男子のだんでダンだ! 力強く「ダン」と呼んでくれ! 本日結成される正義のチーム、アークヒーローズの一員でもある! 君も今日からは僕らの仲間だ! アークピンクを名乗ってくれ!」
頭を抱える教師の隣で、聖子はしばし呆気にとられて、得意げな笑みを浮かべるそいつの顔を思わずまじまじと見つめ返した。
聖子は、そのままタップリ十秒以上は沈黙していたはずだが、その間、柳崎は得意げな笑みのまま微動だにすることなく白い歯を輝かせてさえいた。
さらにしばらくの沈黙を挟んだ末に、聖子はようやくひと言絞り出した。
「わたしはレッドがいい」
「…………」
柳崎は、しばらくはそのままのポーズと笑みを維持していたが、やがて、
「……え?」
とつぶやいて、少しばかり困った顔をした。
「そうだな。熱血一直線でブレーキが壊れている柳崎がリーダーになったらタイヘンだ。先生も七帆士の方が相応しいと思うぞ」
担任の揶揄にクラス全体が爆笑の渦に包まれ、柳崎はよろめいた。
「でもまあ、今はひとまず席に着いてくれ。授業が先生のヒーロー活動だからな」
「はい……」
柳崎はガックリしながらも素直に席に着いた。
軽い驚きとともに聖子は担任を見る。その年若い教師は、聖子が知る教師のイメージとはどこか違っていた。
結局、その後は特筆するようなエピソードもなかったが、彼は一度たりとも前の学校の教師のように、聖子の夢をバカにすることはなかった。