怪物に殴りかかったところで柳崎の記憶は途切れていた。
もちろん勝利を収めたはずもなく、気がついたら見知らぬ女に介抱されていた。
美しい銀色の髪とサファイアのような青い瞳が印象的な娘だ。紺色のとんがり帽子と同色の外套という、いかにも魔法使めいた格好をしていて、実際そいつは自らを魔法使いだと名乗った。
どうやら巨大な怪物を屠ったのは、この魔女らしい。
その後も何度となく関わりを持つ人物だが、この時には名前も分からず、名乗ることもなかったため、柳崎は当面の間、彼女のことを「銀髪の魔女」とだけ記憶していた。
最初に確かめたのは、もちろん仲間の安否だが、銀髪の魔女の答えは無情だった。
「生存者はあなただけよ」
答えなど分かりきっていたはずだが、それでも柳崎は息が詰まるほどの胸の疼きを感じずにはいられなかった。
震える声で柳崎がつぶやく。
「なんで……どうして……俺が……俺だけが生きてるんだよ」
それは自問自答のようなものだったが、銀髪の魔女は静かに答える。
「それは
「異能?」
「そうよ。人間が、ひとりに付きひとつだけ授かる可能性がある……まあ、超能力みたいなものね。その種類は人によって様々だけど、あなたが得た力は他に類を見ないほど強力な〝不死身〟の力だわ」
「不死身の力……?」
「ええ。今のあなたは、いかなる攻撃を受けても傷一つ負うことがないわ」
バカげている。そう言いたくなるような言葉を発すると、銀髪の魔女は突然、懐からナイフを取り出して、柳崎の手の甲を切りつけた。
「イテぇっ!」
痛みと驚きに慌てて手を引っ込めるが、その時にはもう痛みはなく、柳崎は慌てて斬り裂かれたはずの手の甲を見つめる。
「嘘だろ……?」
銀髪の魔女の言葉を裏付けるように、そこには傷一つ残っていない。茫然とする柳崎に彼女はそのナイフを差し出してきた。
おずおずと受け取って確かめてみるが、タネも仕掛けもない本物のナイフだ。足下に転がっていた枯れ枝を拾い上げて切りつけると、いとも簡単に両断された。
それでもなお、受け入れることができず、自分でもう一度手の甲を浅く切りつけるが、痛みが走ったのは一瞬で、血が流れ出るどころか傷痕一つ残らない。
「は、ははは……」
柳崎は引きつった笑みを浮かべると、発作的に声を立てて笑った。
「俺が冗談で口にしていた〝不死身〟が現実になったっていうのかよ。それで俺は仲間を見捨てて、自分ひとりで助かって……」
自嘲の声も次第に尻すぼみになっていく。
これまでずっと柳崎は仲間のためならば、いつでもその身を盾にできるつもりでいたのだ。それなのに、こんなおかしな力に頼って、ひとりだけ助かってしまったというのか。
たとえそうであったとしても、それは誰も咎めることのできない話だったが、柳崎本人には赦し難い話だった。
しかし、銀髪の魔女は静かに告げる。
「あなたがみんなを見捨てたわけじゃない。みんながあなたを生かしたのよ」
「え……?」
咄嗟には言葉の意味が呑み込めず、戸惑う柳崎。
銀髪の魔女は白い指先を彼の胸に向けた。
「通常、
「……どういうことだ?」
「実際のところ、こんなケースは聞いたことすらないし、わたしも初めて目にするわ」
何かを見通そうとするかのように銀髪の魔女は柳崎をじっと見つめた。あるいは実際に彼の中に何かを見ていたのかもしれない。後から聞いた話ではあるが魔法使いは、他の人間とは見えている世界が異なるとのことだ。
困惑したまま見つめ返す柳崎に向けて、銀髪の魔女は厳かに告げる。
「その力の源泉はあなたの四人の仲間の深層心理よ。信頼か、信望か……あるいは希望を託したのか……なんであれ、彼らの想いがあなたを生かしたのよ。それなのに、あなたは自分が生き延びたことを卑下するのかしら?
「…………」
言葉に詰まる柳崎。
突きつけられた話の重みに堪えかねて泣き言を口にしそうになるが、脳裏をよぎった仲間たちの姿が、それを思い止まらせた。
彼らがどうして自分を選んだのか。
何を望んでいるのか。
そもそもどうしてこんな事になってしまったのか。
疑問も、迷いも、運命に対する呪いの言葉さえも呑み込んで、柳崎は顔を上げた。そのまま毅然とした態度で問いかける。
「俺は、どうすればいい……? いや、目指すべき方向は分かっているんだ。ただ、やり方が分からない」
銀髪の魔女は彼の態度を意外に思ったのか、わずかに眉を寄せながら訊き返してくる。
「……どういうことかしら?」
「俺たちアークヒーローズは無敵でなければならねえ。この世にあんな怪物がいるっていうのなら、それすら叩きのめす力が必要なんだ」
柳崎は真剣だった。
『わたしたちって、ハッキリ言って無敵よね』
それは聖子の口癖であり、仲間たちの誇りでもあった。
実際、これまで彼らはどんな困難からも逃げたことはない。
相手が年上でも、大人でも、獰猛な獣であっても、闘うべき理由があるなら闘って、それらを打ち負かしてきたのだ。
ならば、たとえ相手が怪物であろうと逃げるわけにはいかない。
「あんたが魔法で、あの怪物を倒したって言うんなら、俺にその魔法を教えてくれないか?」
銀髪の魔女は柳崎をじっと見つめた後、首を横に振りながら溜息を吐いた。
「残念だけど、あなたには魔法や魔術の資質がないわ」
「資質が必要なのか?」
「怪異と戦うレベルになるにはね」
落胆しつつも、柳崎は食い下がる。
「なら、何か――何か他の方法はないだろうか? それ以外に怪物と戦う方法は? もし、それがあるなら、教えてくれ」
「復讐なら諦めなさい。どのみち、あなたの仲間の仇はわたしが討ったわ」
銀髪の魔女は、これまでとは違った厳しい視線を向けてくるが、柳崎は怯むことなく告げる。
「復讐のためじゃない」
「ならどうして?」
「俺たち五人は正義の味方――アークヒーローズなんだ。この世にあんな悪魔のような怪物が他にもいるなら、俺たちは闘って、その脅威から人々を守らなければならねえ」
多くの人間がその価値も知らぬままにバカにする「正義の味方」という言葉を恥ずかしげもなく口にするが、意外なことに魔女は真剣に耳を傾けていた。
どこか値踏みするかのような目をして柳崎に問いかけてくる。
「それは仲間を守れなかったことへの償いかしら?」
「違う」
「ならば、自分を救ってくれたみんなへの返礼かしら?」
「いいや、それも違う」
「ならばなに?」
不思議そうに首を傾げる銀髪の魔女。
柳崎は力強い眼光で彼女のサファイアの瞳を見つめ返した。
軽く息を吸い込んで力強く告げる。
「それが俺たちアークヒーローズの野心だからだ」
宣言した柳崎の瞳を銀髪の魔女は静かに見つめ返した。
この時、彼女が何を思っていたのか、柳崎には分からない。少なくとも感心したわけではなさそうだった。
それでも彼女は柳崎の想いを否定することなく、あきらめたように告げた。
「野心なら止めて止まるはずもないわね」
とんがり帽子を脱いだ上で、肩をすくめて嘆息すると、髪を軽く直してから再び被り直した。
逸る気持ちを抑えつつ、柳崎は黙って相手の言葉を待つ。
銀髪の魔女は、ほどなくして顔を上げると思いも寄らぬ言葉を口にしてくる。
「私立陽楠学園を受験しなさい」
「受験?」
「ええ、あなたは中学生でしょ?」
「そうだけど……」
柳崎の知識によると、陽楠学園は市内にある平凡な私立校だ。やや変わった校風だと耳にしたことがあるが、具体的な話は一切知らない。ただ、どう考えても特別な場所とは思えなかった。
しかし、銀髪の魔女は抽象的に告げてくるだけだ。
「もしあなたに資格があるならば、あなたはきっとそこで巡り会うことになるわ。あらゆる魔を滅することができる金色の力とね」
「金色の力……?」
「ええ、信じる信じないはあなたの自由だけど、それだけが、たぶんあなた
その話の真偽など、この時点で判るはずもなかったが、まるで仲間たちが生きているかのように気持ちを汲んでくれた彼女の言葉を、柳崎は信じることにした。
「分かった、そこに行ってみよう」
陽楠学園はさほど偏差値の高い学校ではないが、勉強が苦手な柳崎が入学を果たすためには、それなりの努力が必要だ。しかし、仲間との夢に生きるならば、このていどのことで泣き言は言えない。
「ただし、ひとつだけ心しておきなさい」
これからのことを考えかけていた柳崎は、銀髪の魔女のやや硬い言葉に注意を戻す。
サファイアの瞳は冷たくも見えるが、そこには彼の行く末を案じるかのような、やさしい光が宿っていた。
「あなたに宿った不死身の力にはリミットがある可能性が高い」
「リミット?」
「ええ。多くの場合、魔術や異能力はその力の持ち主がいなくなると、自然に消滅するものなのよ。だから、あなたの異能も、ある日、突然喪失する可能性があるわ」
「……なるほど」
柳崎はのうなずきは実は忠告に対するものではなかった。銀髪の魔女が見せてくれた気づかいに、彼女が何一つ嘘を吐いていないのだと確信したのだ。
その上で誤魔化すかのように軽く答える。
「ようは、アテにしすぎるなってことだな」
「ええ」
「分かった、肝に銘じておくよ」
柳崎は笑顔で答えたが、銀髪の魔女は微笑んではくれなかった。
おそらく、その心根を見透かされていたのだろう。
◆
あの日より九年。
柳崎は野心を胸に、がむしゃらに生きてきた。
陽楠学園で
何度となくくぐり抜けた死線の中で、柳崎は常に危険と向き合い、その不死身の力を遺憾なく発揮して難局を切り抜けてきたのだ。
今日明日にも喪われるかも知れない力だと知りながら、それでも彼はその秘密を誰にも明かすことなく、率先して矢面に立ち、あらゆる危険に立ち向かった。
なぜならその不死身の力こそが、柳崎にとって、アークヒーローズの仲間とともに在ることの証だったからだ。
無敵のヒーローとは柳崎ダンひとりのことではない。アークヒーローズ五人のことだ。
もし仮に、いつか力が消えて地に伏す日が来ても、後悔はない。アークヒーローズは五人でひとつ。生きるも死ぬも一緒だからだ。
だから柳崎は、あえてその力を使って戦い抜く。
覚悟は最初から決まっていた。
しかし、だからといって、いつ死んでもいいなどと、後ろ向きに考えているわけではない。
柳崎は仲間たちと共に見た幼い夢を――アークヒーローズは無敵だと、いつまでも信じ続けているのだ。
この日、彼は今は亡き大切な少女との束の間の邂逅を経て、その想いをさらに強くした。
ちょうど坂の頂きに立っていた彼は西日に背を向けたまま顔を上げると、最後まで振り向くことなく力強い一歩を踏み出した。
「さあ、行こうかみんな。次なる事件が俺たちを待っている」
そして不敵な笑みを浮かべたまま歩いていく。
振り向く必要などない。
アークヒーローズの仲間たちは、今も彼と共に戦っているのだから。