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19 不可思議とともに冬 2

冬休みに入り、紅雨は図書館と空き教室で勉強し、午後には校舎の屋上へ行くようになった。

教室は休み中も自由に使えるので、試験前に使わせてもらっている教室を借りた。


エアコンだとばかり思っていたが、最近になって術力を感じられるようになってきたので気がついたことがある。

各校舎の空調は、弥魔術によるものだった。

おかげで、校舎や寮など建物の中はいつでも快適なのだ。

改めて見れば照明も水道も弥魔術が使われていた。


よく考えずとも、周りから隠された場所に電気や水道を通すことなどできないだろう。

水道光熱費を弥魔術で節約できるならとてもエコだ。

しかし、そういった目的をもって、外で弥魔術を駆使するのは弥魔裏閣の法律で禁じられている。

『日本国の公共機関や各企業に不利益をもたらす、もしくは自らの利のみを追求するための術の行使は禁ずる』

という一文が、そういう意味だったと初めて知った。

なお、遭難したとか大災害に遭ったとか、そういうピンチで使うのは問題ないらしい。




クリスマスイブには、紅雨は実家からいつもの近所のケーキ屋さんで売られている一番小さなホールケーキを送ってもらった。


男女で寮の部屋を行き来することはさすがに禁じられているので、涼介とは寮の食堂で落ち合うことになった。

夏休みのときと同じように、使える食堂がいくつかに限られているので一緒に食べるのも問題ない。

寮ならそれぞれ歩いて五分もかからないし、夜の八時までは使えるのでデザートタイムにもちょうどいい。


「じゃーん!これがうちの推しケーキ屋さんの一番ちっちゃいクリスマスケーキ!」

「おう。これくらいならまぁなんとかなるか。皿は?」


箱からケーキを取り出した紅雨は、袋からフォークを二本取り出した。

広い食堂には、時間が遅いこともあってかほかの人はいなかった。


「お皿とかなくてもええやん。ホールケーキ、このまま両側から食べよ。一回こうやって食べてみたかってん!はい、フォーク」

「……わかった」


二人でフォークを持ち、両側から突き刺す。

まず、たっぷりのクリームがフォークに乗った。


いつもよりクリームの層が分厚く見えるのは、多分気のせいではない。

紅雨が転校して遠くの高校に行っていると聞いたいつものケーキ屋さんが、「久しぶりに帰省するから一人で食べたい」ということになっている紅雨のためにサービスしてくれたのだろう。


口に含めば、いつもの程よい甘さが広がり、香り豊かなクリームと、しっかりしたタイプのスポンジがハーモニーを奏でる。

シンプルなのに、とても美味しい。

ここのケーキ屋さんは、マスターがこだわり職人なのだ。


小麦粉と卵と牛乳の素材はもちろん、配合はその日の気温や湿度によって変えている。

それがまた感覚で作っているのに、毎日食べても同じ味になっている。

とにかく美味しい。


うま、うま、と一口ずつ食べ進めていると、涼介がふと口を開いた。

「このケーキ、美味いな」

「んぐ。やろ?めっちゃ美味しいやんな!うちここのケーキ屋さん以外のケーキももちろん食べたことあるんやけど、ちょっとクリームが柔らかすぎるとか、甘すぎるとか、スポンジがふわふわすぎるとかでな。これは完璧やねん。挟んでるのもうちの好みでバナナやし」


「んむ。ほんとだな、バナナか。すげー美味い」

そう言いながら、涼介は大きめに一切れとった。

「ちょちょっと、ここらへんはうちの分!」

「んーんー。こっちを多めにとれよ。それでちょうどだろ」

「んじゃ、いただきぃ」


そして、最後の一口まで食べきった。

飲み物はペットボトルの紅茶だったが、十分に満足である。

口の端についたクリームを舐め、底板に残った欠片までこそぎ取った。


「はぁ、美味しかった」

「美味かった」

にぱっと満足な表情を見せた紅雨に、涼介も笑顔になった。



今回はやる気になったのか、午前の宿題と勉強をする時間に涼介が空き教室まで来ることもあった。

冬休みの宿題はそんなに多くもないので、さらっと終わらせてしまった。

涼介もなるべく丁寧に書きつつ、特に紅雨に質問することもなく終わらせたのだ。


やはり、学問に関しては根本的に理解しているようだ。

これで授業はぼんやり聞いているだけというのだから、地頭がいいのだろう。


年末に紅雨が帰る前に、宿題はすべて終わらせてしまった。

新しく覚える弥魔術のときには、相変わらず後ろから引っ付いてもらって一度行使してもらう。

もはや慣れてしまって、涼介の足の間に座ることに照れも何もなくなってしまった。



「まず水を出して、あとから風で調整だな」

涼介は、うまく風を調整して水球をふよふよと空中に浮かせた。

腕を通る涼介の術力はもう慣れたもので、相変わらず熱いように感じるエネルギーだ。

しかし、最近はその熱が温泉くらいの心地よい温かさになっているように感じた。


(このまま昼寝したい)


ぼやんと涼介の術を見ていたが、左腕に巻き付いている黒朱が顔を上げた。

『紅雨、こんな繊細な調整できるか?』

「え、わからへん。さすがに高校の範囲になると、一気に難しいわぁ」

「そうか?ちょっとバランス見るだけだろ」


「うちはバランスとか、細く出すとか、そういうの苦手やもん。どかーんとかばこーんとかの方が楽やわ。まだ全開ではやったことないけど」

「紅雨が思い切りやったら校舎が吹っ飛ぶんじゃねぇか?」

「え、そこまではいかへんやろ。教室一個くらいやって」

『いや、校舎一つ分くらいやで』

黒朱が涼介の見立てを肯定した。

「うそやん」


涼介は水球を向こうへ投げ、術を終了した。

「ほら、それはいいから、やってみろよ。この春に俺もやったところだから、一応コツとか助言くらいはできるぞ」

「そうやった!え、うちめちゃ頑張ってるやん?!涼介くんに追いついてきた!」


「そうそう、追いついてきたんだよ。だからやれって」

「はぁーい!なんかやる気出たわ」

そして早速野球ボール大の水球を出そうとして、二メートル大の水を出した。


「おい、威力を抑えろ」

「いやぁ、ついついテンションが上がってもうてな」

「ほら、やり直せ」

「うん」


紅雨は、涼介の足の間に座ったまま練習を始めた。

失敗したときにもう一度見せてもらうのに、いちいち移動しなくていいので便利なのだ。

涼介も慣れてしまったので、そのまま背中を壁につけて見守る体制に入った。

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