「ふっはっはっはっは。よく来たな、勇者シャネアよ。お前の活躍はこの我の耳にも届いてる。だがお前の快進撃もここまでだ。我の力……グリフェノル・ナルザカン・サイヴェン・アルベルタの力にひれ伏すがよい!」
「グ……グリ……グリフェノ……なんて?」
黒く焔を連想させるような、下部を疎らに切り裂かれたマントを払い、
彼は魔王になってから知名度がうなぎ登りで世界に知れ渡り、自ずと彼を倒そうと何人も挑戦してきた。しかしその殆どが彼の覇気に驚いて逃げていった。
そんな日々が続き今。彼の目の前にいる逆手と順手で双剣を持つ短髪少女のシャネアは今までの挑戦者とは違い逃げる素振りは見せずにいた。それどころか臆することなく感情のない顔色だ。
彼女は今までの挑戦者の中でもっとも知名度があり、魔王でさえもシャネアの活躍を耳にしている。
彼女は世間が『勇者』と呼ぶ二つ名を持っており、その中でも稀有な固有魔法を持つ人間で、剣の扱いは子供ながらも国を守る騎士と互角になるほど。
またグリフェノルの元へとくる旅路も1人で難なく歩いてきている。途中で仲間や知り合いこそできているが、基本的に1人で旅をし魔界に跋扈する魔物もたった1人で片付けてしまうほど腕が立つ。
つまりそれほど自信があり、手練ならば1人で挑戦しに来ても不思議ではない。
とはいえ魔王にとって相手が手練だろうと、自惚れ屋だろうと関係の無い話だ。世界を統べる程の実力をもってすればたとえ稀有な騎士だとしても、稀有の魔法を使ってきたとしても、力でねじ伏せられるのだから。
「別に名前など覚えなくとも良い。どうせお前は死ぬのだからな! 【
心の中で勝利した時のことを思い浮かべ静かに笑う魔王は、自身の固有魔法である想像できるものなら大抵何でも変身できる魔法【
バキバキ、ブチィと骨が折れたり肉が千切れるような生々しい音が部屋に響き渡るが、彼に痛みなんてなく、一瞬にして人間が10人くらい並ぶくらい大きな黒毛の狼になる。
その姿は彼のお気に入りの姿。挑戦者が来る度にこの姿へと変身するほどだ。それ故に彼の一部の部下は彼のことを犬と呼んでる。その度に脅すようにして訂正している魔王だが、それはまた別の話。
「さぁ逃げるなら今のうちぞ、勇者!」
「……ここはケルベロスになって欲しかったなぁ」
「ん? え? ケルベロス? なんやそれ……?」
威嚇するように大声を出すと、勇者は心底呆れた様子で身体の力を抜きガクリと首をおった。どうやら魔王の【
その様子と、ぽつりと聞こえた謎の単語に動揺した魔王は思わず
彼女の口から出た『ケルベロス』が気になって一体どんな姿形をしているのか、頭の中で思い描く。しかし、見たこともない生物の名前だけで想像なんてつくはずもなく、彼女の余裕すら感じる自信を壊すことを思い出して。
「……ゴホン、今はケルベロスなんでどうでもいい。闇に飲まれよ【
わざとらしく喉を鳴らした魔王は大口を開けてその呪文を唱える。
その魔法は唱えている間は無防備な状態になる。一撃で争いが終わるのはつまらないからと彼は敢えて隙を作るような行動をとっているのだが、シャネアは攻撃どころか動く気配すらない。それどころか欠伸をして暇そうにしていた。
その様子に怒りを覚えた魔王は、口先に闇の塊が集まってきたのを感じると、一思いにそれを噛み砕き黒い飛沫が周囲に飛び散る。
直後四散した闇はそれぞれがまるで意志を持っているかのようにシャネアへと猛烈な速度で飛んでいく。さらに万が一にも避けられた時ように追尾も兼ね備えた攻撃。なんの情報もないのなら初見殺しの攻撃である。
なんとも非動的な攻撃だが、そもそも魔王は人からすると悪の存在。初見殺しや騙し討ちなどの相手への慈悲がないのは当たり前なのだから、攻撃を受けるのは動かない勇者の自業自得でもある。
闇の弾丸が次々とシャネアを撃ち抜いていく。激しい攻撃に土埃が立ち込め勇者の姿が見え無くなる。それでも今ので確実にしとめたと魔王は高らかに歓喜した。
「やはり所詮は人。どれだけ強かろうが我の敵ではないわ! ふっはっはっは!」
「いや満足しすぎでしょ」
「そりゃあ攻撃がこうも綺麗にって、ぇえ!? 今確かに当たったはずやろ……!?」
土埃が収まった途端、毅然として立っているシャネアがやれやれと心底残念そうな感じでため息を吐いた。よく見れば少女の華奢な身体に傷1つない。今の攻撃で傷がつかないなど化け物かと再び口調の訛りが出た魔王は愕然としていた。
「それじゃあ次は私の番」
魔王がぽかんと固まっていても、シャネアが待つことは無い。
棒読み感半端ない台詞が彼の耳を刺した瞬間我に返る、だが気づくのが遅かったのか勇者はそこにいなかった。
部屋の中から僅かに気配は感じるため外には出ていないと悟るがどこを見渡しても姿が見えず、ならばと魔王はひるみ効果のある咆哮を繰り出す。
だが彼はその咆哮は
そして案の定自分の咆哮に耳が悲鳴を上げ、彼は一時的に何も聞こえなくなる。
久々にやらかしたとばかりに目を瞑り反省してると、周囲に気配を感じる。目を瞑ってるからこそ感覚が鋭くなり途端に少女の行方を追えるようになったのだ。
だが、周囲をぐるぐると回るだけでやはり攻撃を仕掛けてくることはなく、どことなく煽られているように感じた魔王は。
「いい加減にせぇやぁ! 何がしたいんやお前ぇ!」
くわっと狼の鋭い眼光を開き、威嚇するように吠える。いつまでももどかしい時間を過ごすわけにもいかず、グンッと足を動かそうとした時だった。
魔王の視界がぐわりと歪み、地面に吸い込まれるように頭を打った。思ったように足が動かず倒れてしまったのだ。
足に感じる違和感。一体何が起きたのかと前足を見ると、何故か鎖で繋がれていた。
どこから現れた鎖か、そもそもなんで鎖がここにあるのかと思った刹那、背筋が凍るような気配が彼を襲い顔を上げる。すると先程まで無表情だった勇者シャネアがどことなく自慢げな顔を浮かべて鼻を鳴らし、魔王を煽るようにVサインを作っていた。
そして少女の手には魔王を縛った鎖が握られている。
「い、一体何をするつもりや貴様……!」
「ふっふっふっ、見てればわかるよ。……【
シャネアが棒読みで呟いた途端、鎖がほのかに淡く青く光る。もしも彼女の言ってることが本当ならば魔王は相当なピンチに陥ったことになる。
人間からすると魔王という存在は、世界滅亡の種のため滅ぼさなければならない。逆に魔王からすると人間は魔族生存のために滅ぼすべきだと考えている。つまりは人間と魔族、魔王は正反対の存在なのだが、それでもなおシャネアは魔王と一心同体となるべくその魔法を使ったのだ。
「え、ちょそれは聞いとらんって!!!」
「ちなみに拒否権は無い。というかさっきから焦りすぎて口調変わってるよ魔王」
人権ならぬ魔族権すら行使できないとばかりに、拒否権がない旨を伝える。
先程から勇者の言葉に動揺して素が出ている魔王グリフェノルは、いつもは威厳高くするためこれでもかと低く響く声色で訛りを隠し話しているのだが、勇者に指摘されるも「今はそんなことどうでもええ!」と言い放ち続けて。
「ていうか拒否権ないとかうっそやろ! おい待て勇者! 考え直すんや! 我は魔王やで!? 人間が我と繋がったなんて知られればお前も面倒なことになるんやで!?」
「別に私最強だしなんとかなる」
「わぁ、すっごい自信〜じゃないんやわ! くそ、これどうなってんねん!」
本当に一心同体となり、魔王が生存していたとするならば、魔王を倒さず助けたとして面倒になるのは目に見えている。
まさか敵の心配をするとは思ってもいなかった彼だったが、この際この状況を打破できればなんでもいいとばかりにそのことを伝えるのだが、返ってきたのは自信に満ち溢れた笑顔と言葉。
思わず魔王も笑みを浮かべて頼りがいがあるとばかりに褒めるが、すぐさま吠えるように感情を切り替えて唸る。
もう相手もしてられないと、足に巻きついた鎖に噛みつき喰いちぎろうと試みる。だが何をどうしてもズレることも緩むことも無く、ただ自身の体力を削っただけ。ここはもう最終手段を摂るしかないと、息を吸い【
「あ、それ千切れないからね。私の固有魔法だし、1度発動するとなんか取れないから」
「なんか取れないってなんやねん!?」
「なんかはなんかだよ。取れないものは取れない。諦めなよ」
その言葉を耳にした瞬間【
「くそぅ……我は魔王やぞ……こんな少女の言いなりに、まして人間の言いなりになんてなりたないのに……」
「まぁまぁ落ち着いて。私からしたらこうした方が世界平和を達成できるわけだし、てことで魔王よ……私のペットになれ。ちなみに強制な」
「落ち着いてられるかーーっ!!」
彼が叫んだ直後、鎖から発せられていた淡い光は収まり、彼の腕には鎖の刻印が刻まれた。
一心同体となったためか魔王は自身の身体に違和感を感じる。その違和感はまるで別の生き物が自分の意識を操っているかのようで気持ち悪くもあった。
しかしすぐに気にならなくなると、魔王は【
「まぁ、どんまい……ポリフェノール」
同情の言葉とともにぽんっと肩に置かれたシャネアの手を払って魔王は立ち上がり、名前を間違えて呼んできた少女に吠える。
「どんまいてお前のせいやろ! てかポリフェノールちゃうわ! グリフェノルや! そもそもポリフェノールってなんやねん!」
「わかった。じゃあこれからよろしくポリエステル」
「我はグリフェノルや! 犬みたいな名前やめーや!」
彼の威圧が効いていないのか余裕な表情で、毎回違う名前で呼ぶシャネア。挙句にはそれが煽りになるとは思っていないかの如く自慢げに親指を立てる。
さすがの魔王もそれには腹が立ち、しかし何もできない。敵わないという現状に。
「くぅぅ……これから我は一体どうなってしまうんやぁぁぁぁあ!!!」
と、心から叫ぶのだった。