雷鳴がとどろき、近くに雷が落ちた。
パシャ! パシャ! パシャ……!
傘もささずにぬかるんだ道を走る。
曇天から降り注ぐ雨はザァアアアァ!!と勢いを増していくばかりだ。
辺りは夜のように暗かった。
一寸先も見通せない。
何度もぬかるみに足をとられそうになる。それでもかまわず走った。
(ちーちゃん、ちーちゃんちーちゃんッ!!)
たどり着いた佐々木家は不気味なほどに静まり返っていた。
外から見える窓のどこにも明かりがついていない。
そして、玄関の戸が少しだけ開いていた。
「…………おじゃまします」
ガラガラ……戸を開けて私は暗闇の佐々木家へと侵入する。
先ほどの雷で落ちてしまったのだろう、電気はつかなかった。
廊下を進んですぐにピシャ……と水たまりを踏んだ。
今更のように寒気が襲ってきて、身震いする。
今すぐに叫び声をあげて逃げ出してしまいたかった。
だけど私はその気持ちを押し殺して、奥へと進んだ。
「……ちーちゃん?」
小声で呼びかけながら探す。
壁や天井、家の中のあちこちが不自然なほど水浸しだった。
ちーちゃんの姿はない。
「わっ、……いてて」
何かやわらかいモノにつまずいて私は転んだ。
壁に手をかけて立ち上がり、足元に目を凝らす。
そこに倒れていたのは、ちーちゃんだった。
溺死、だろうか。
今朝の田中さんと同じように体全体が膨張して、パンパンになった顔は苦悶の表情を浮かべている。
「……ちー、ちゃん?」
体から力が抜けた。
なんで? どうしてちーちゃんが……どうして……。
ポタ……ポタ……。
茫然とへたりこんでいると頭上から水が滴り落ちてきた。
ゆっくり首を上に向けた私は、こちらを見る真っ黒い目と目が合った。
「……けた…………みつ、けた…………くった、ちすじ……」
逆さに落ちる長い黒髪を揺らして、真っ赤な唇を嬉しそうに歪ませるそれ。
まるで仕留めた獲物を見せつけて喜んでいるようだった。
私も人魚様に殺されるのだろう。
ちーちゃんと同じように。
(……ごめんねちーちゃん)
諦めて目を閉じた私。
気配が降りてきて、私の耳元に荒い吐息がかかった。
「ほこら、ありがとう……わたし……くったちすじ、ねだやせる……」
「え……」
目を開けた時そこに人魚様はいなかった。
しばらくして佐々木家から外に出ると、雷雨が嘘みたいな快晴だった。
茶色く濁った増水した川と水辺に陽ざしが反射している。
村のあちこちに溺死した村人が横たわっている。
村の中をふらふらと彷徨ったけれど、ほとんどの家の人間が老若男女構わず溺死していた。
もう誰もサルと魚が合わさったようなお地蔵さんを拝まない。
もう誰も満面の笑みで水浴びをしない。
もう誰も雨の日に外に出ることを咎めたりしない。
そして、もう誰も人魚様に殺されることはない……。
鮫神村の歴史はその日終焉を迎えることになった。
あの日から数年の月日が流れた。
社会人になった私は出張先の帰りにふと元鮫神村跡地を訪れた。
現在廃村となっているそこは家々が朽ち、緑が生い茂り自然に帰ろうとしていた。
村を歩けばちーちゃんに連れられて行った駄菓子屋や、通った学校などの施設がボロボロになった姿で出迎えてくれる。
「はぁ、はぁ……あの頃よりさらに体力落ちたかしら……」
200段を数えたあたりで数えるのをやめて、休み休み、30分かけて石段を登り切った。
「登頂……! はぁ、はぁ……」
振り返ると、きらきらと水辺が陽ざしを反射するあの頃の鮫神村が見えた気がした。
「きれいね……」
肯定するように風が汗ばむ肌を撫でた。
ちーちゃんの「うえーい!」という笑い声が聞こえた気がした。
誘われるようにボロボロになった赤い鳥居をくぐって森の奥へ。
その先に、雨風にさらされて半壊からほぼ全壊した祠と、生い茂った雑草に囲まれ、山の影に半分隠れている大きな湖が見えた。
人魚様の湖だ。
私は、壊れかけの祠に村に来る途中で買った葬祭用の花束を供える。
「どうか安らかに……」
手を合わせて拝み、背を向けた。
ポタ、ポタ……。
「……え」
私は水音が聞こえた気がして振り返る。
静かな湖面はあの頃と変わらずに、凪いでいて波紋すらない。
(気のせい……?)
振り返るとそこに、ずぶ濡れの女がいた。
「まってたよ……さやちん?」