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第4話

 次の日も雨だった。

 昨日の出来事が原因で一睡もできなかった私はいつもの時間より早く登校することにした。

(早く、ちーちゃんに会いたい……)

連絡網は回ってきていないので、いつも通りに学校はあるはずだ。

「…………?」

 だが、村の様子がどこかおかしい。

 傘を叩く雨音を聞きながら、通学路を歩いているうちに、私は気づいた。

「村の人がいないんだ……」

 それこそ毎日毎朝どこかしらの水辺の近くで上半身がサル、下半身が魚のあの不気味なお地蔵様を拝み、笑顔で水浴びをしていた老人たちの姿がなかった。

 もちろん水路や川が増水していて、危険だからという理由もあるにはあるのだろう。

それでも、あれだけ人魚様を崇拝して水浴びをしていた人たちが雨の日だけはお休みなんてことがあるのだろうか?

(どうせびしょ濡れになるなら雨がふっても降らなくても関係ないのに……)

 誰にも会わずに学校につくと、学校は休校になっていた。

 無駄足に重い息を吐きながら家路に着いた私は途中で人だかりに遭遇した。

 田んぼの端だった。

 パトカーも一台停まっている。

(なんだろ……)

 遠巻きに、それとなく近づいてみると、雨音に混じってひそひそと老人たちの話が聞こえた

「溺死だとよ」「雨の日に田んぼなんて見に来るからだよぉ」「それにしてもひでぇ、一日でこうなるかね?」「人魚様にひきずりこまれちまったのかねぇ……」「呪いじゃ人魚様の祟りじゃ!」「かわいそうにのぉ……」

「はい下がって、さがってください……!」

 警察官が村人に下がるように指示をする。

 人だかりの隙間が一瞬途切れ、私は見てしまった。

 むくみで倍以上に膨れ上がった手足と体。

 パンパンに膨張した顔は苦悶の表情を浮かべていたが、私はかろうじて誰だかわかった。

「田中、さん……?」

 それはいつも私達に声を掛けてくれる田中のお婆さんだった。


 人魚様の祟りじゃ! 

 その言葉が耳の奥にこびりついている。

 そんなものあるはずがない。

 現代社会に呪いなんて非科学的だ。

 だけど、出歩いてはいけないと言われた雨の日に人が死んだ。

 ……何かが狂い始めている気がした。


『田中のお婆ちゃん、死んじゃったんだ……』

「うん……」

 私は涙で擦れた声だった。

 ほとんど会話らしい会話をしたことはない。

 相手とは、ちーちゃんの影に隠れて挨拶を返していただけの関係だ。

 それなのに、誰かの『死』はこんなにも胸が痛い。

 学校から帰ってきた後、私はシャワーも浴びずに部屋の隅でスマホに耳を傾けていた。

 ちーちゃんから電話があったのだ。

 たぶんちーちゃんは黒電話からかけてきてくれている。

 少し前に私の携帯電話番号を渡したからそれだ。

 ちーちゃんからかかってきたという事は何か用があるはずなのに、私は開口一番心にのしかかった『死』の重みを軽くしようとちーちゃんに泣きついてしまった。

『まあ、田中のお婆ちゃんご高齢だったし、仕方ない仕方ない。それよりごめんねさやちん。連絡網回し忘れちゃってさ☆ ま、ギャルって今を生きる生き物だからね? うえーい!』

 ちーちゃんはいつもの調子で明るく告げた。

 田中のお婆さんの『死』を私より悲しんでいるはずなのに、それをにじませもしなかった。

 これじゃいけない。

 私は鼻水をすすって目元を拭い、息を整えた。

「ん。もう大丈夫。ごめん」

 切り替え切れてはいないけど、ちーちゃんのおかげで大分落ち着いた。

 ちーちゃんもそれを察してか、「OKOK!」と軽く受ける。

『でさ、本題はいるけどね? この流れで言うのはあれなんだけど……昨日私達が壊した人魚様の祠のことが色々わかったんだ。けど……』

「……けど?」

 するとしばらく電話の向こうでちーちゃんがぶつぶつ呟いた。

『あー、うー……どう話そうかなぁ。普通に話したらこの村の事嫌いになっちゃいそうだし……さやちん怖がらせたくないし。うー……』

 珍しくちーちゃんが弱気っぽかった。

 らちが明かなそうなので、私は口を挟んだ。

「大丈夫だよちーちゃん。話してみて。私もちーちゃんを怖がらせちゃうかもしれない話あるし……」

 昨夜私の家に現れたずぶ濡れの女のことだ。

『え、最初から仕返し宣言? さやちんやるぅ! イエーイ!』

「もう、そんなつもりはないってば……」

 電話の向こうでちーちゃんがピースしているのが目に浮かんで、私は思わず綻んだ。


 昨夜、ちーちゃんはお爺ちゃんに祠を直してもらうために作戦を練ったらしい。

 肩を揉んで、晩酌のお供をし、おじいちゃんの機嫌がよくなったところを見計らって話を切り出した。

「ところでお爺ちゃん! 人魚様の湖の祠ってなんのためにあるの? うえーい?」

 外堀から埋めていく作戦だったとちーちゃんは語る。

「ん? あれか。あれはな、人魚様の祟りを鎮めるために建てたんじゃよ」

「祟りなんてあったの? 聞いたことないけど……」

「ああ、そうじゃったな。まあお前ももう高校生だし。教えてもいいじゃろ。くれぐれも下級生には内緒じゃぞ? 怖がらせちまう」

 そして、ちーちゃんのお爺ちゃんは語ったという。

 昔話の続きを――。


『なんかね、村の人たちが人魚を食べた後からかな? よく雨が降るようになったんだって。それで溺死者が続出したらしいの』

「溺死って……田中のお婆さんみたいに?」

『そう……。だからこの流れで言うのはちょっとって思ったんだけど……進まないから言うね? それであんまりにも溺死者が出るから村の水辺とか川とか全部埋めることにしたんだって』

「そう、なんだ」

 驚きだった。

 満面の笑みで水浴びをしている村人達がその昔に水辺を全て埋めようとしていたなんて。

『ただ、工事を進めようとすると重機が壊れたり、体調不良者がでたりしてなかなか進まなかったらしいの。それで住職さんにも来てもらってお祓いとか試してみたの。でも』

「じゃあ、効果なかったんだね……?」

 今、村のいたるところに水路が引かれているのがその反証だろう。

『……それどころかね。住職さんが家の中で溺死体として発見されたんだって。奥さんと二人暮らしだったらしいんだけど、奥さんの方は『ずぶ濡れの女が夫を殺した』って発狂……』

 電話の向こうでちーちゃんが重苦しくため息をつく。

「え……」

 ずぶ濡れの女……。

「そんで住職さんが死んだあとから雨の日に女が出歩いているのを村人が見るようになったの。皆人魚様じゃないかって怯えだして、雨の日は外に出ないようになったんだって。大人が私達に言ってるやつね。勿論私も見たことないよん』

「…………」

ポタ、ポタ……と水音が聞こえた気がして振り返るが、何も、ない。

『まあそんなわけで、村がどんどん衰退していったわけ。溺死者が増えるにつれて人魚様の呪いだ祟りだって村人は騒いだ。それで今の村長に代替わりして工事を永久中止。それから人魚様の湖を祀って、祠を立てた。そしたら雨も溺死者もピタッと止まった。人魚様の祟りはおしまい。めでたしめでたし。ってのがお爺ちゃんに聞いた話』

 そこまで話してちーちゃんは一息ついた。

「そっか、やっぱり大事な祠だったんだね……どうしよう……。ちーちゃん。おじいちゃんは祠を直してくれそう??」

『そのことだけどさやちん【ピチャ……パシャシャ……】だから、家から【ポタ……ポタタタ……】がいいと思う。ギャル的に』

 急にちーちゃんの声が聞き取りずらくなる。

「え? なに? なんかよく聞こえないよ? 水……の音?」

 背筋に悪寒がはしった。

『ん? そんな音聞こえないけど……大丈夫? 聞こえ【みつ、けた……】てる?』

「ひっ!?」

 耳朶をうつか細い声にスマホを投げ捨てた。

 ガン! と壁にぶつかるスマホ。

『え? さやちん? 大丈夫? なんかガン! て聞こえたよ? もしもし、もしもーし??』

 ぶつかったときにスピーカーモードになったのか、ちーちゃんの心配そうな声が部屋に響く。

 ポタ、ポタタ……ポタポタ……ピチョン、ピチョン……。

 ちーちゃんの呼びかけに混じって、水音が聞こえる。

 それは徐々にちーちゃんに近づいているようだった。

「人魚様……」

 直観的に思った。

『え? なにさやちん?』

「ちーちゃん、人魚様がちーちゃんの傍に……!!」

 ブツ! 

 通話が切れた。

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