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第38話

「百年以上も前に亡くなった人に執着しても、さして意味のあることとは思えません。まして、フリュクレフの特徴を持たないぼくに執着する意味などあるでしょうか」

 どうして皆、ぼくの口元にあるほくろへ目をやるのだろう。うんざりとした表情を慎重に隠して笑みを形作る。

「あるよ。ある。ふふっ。君は自分の容姿に自覚がないのだね? ……それも伝承通りだ……」

 アイゼンシュタットは長い指を自分の頬へ当て、流し目を送る。これまで散々、自覚がない自覚がないと言われているが、ぼくは至って普通だ。何ならアイゼンシュタットの方が美形なくらいだ。

「スヴァンテ様はご自分の美貌に頓着がないのです。ご自覚いただかないと危険だとは伝えているのですが、この有様で。要らぬ虫が湧いて困っているのですよ、アイゼンシュタット伯」

 イェレミーアスの穏やかな声音が接している体の部分から響く。超絶美少年から美貌とか言われても、ぴんと来ない。ゆえに遠い目をして壁を見つめた。

「お前もその無限に湧く虫の一匹だと言いたげだね、イェレミーアス」

「おや、ご自覚がおありですか?」

 イェレミーアスの声も表情も、まるで穏やかな木漏れ日のようだ。ようだが、これは相当怒っているのではないだろうか。簡単な挑発に乗ってしまうのは、いくら年の割りに落ち着いて見えるとはいえイェレミーアスがまだ幼い証拠だ。ここはお兄ちゃんであるぼくが、諭さないとね。

「イェレ様?」

 イェレミーアスの胸へ軽く手を置いて、首を横へ振る。なんでぼくの周りの人たちは、進んで喧嘩を買おうとする傾向にあるんだろうか。イェレミーアスはぼくを見つめ、微かに顔を曇らせた。そんな様子を全身で観察しているアイゼンシュタットの視線から遮るため、イェレミーアスの頬を両手で覆う。

「イェレ様が守ってくださるから、ぼくは平気ですよ?」

「……はい」

 しかし父君であるラウシェンバッハ辺境伯が生きていた頃には、交流があったようだから両家は険悪ではなかったはずだ。しかしアイゼンシュタットが誰にでもこんな調子なのなら、辺境伯の中でも少し浮いた存在なのは頷ける。敵か味方か分からない。ひょっとしたら、アイゼンシュタットもイェレミーアスやぼくを見て、敵対するか味方するかを見極めようとしているのかもしれない。

 笑みを貼り付けたまま、思考を巡らせているとマルテがぼくの手土産であるチーズパイと、中にカスタードクリームたっぷりのコロネを同時に口へ放り込んだ。

「よ、よ、よ、妖精さんっ! 妖精さんは、お菓子作りも上手なのね……? お、お、美味しいわ……っ」

「おやおや、本当かい? ああ、本当だねぇ……リヒが君の屋敷に通い詰めるのも納得だ」

「そ、そ、そ、それに……っ、え、え、え、絵本……、マルグレートが妖精さんの描いた絵本を、ととと、とても気に入っているの……よ……っ」

「それはとても光栄です、アイゼンシュタット伯爵夫人」

 ティーカップへ描かれた絵柄や、振る舞われた茶葉の産地や味などを話題にするのは貴族の嗜みだ。天秤と剣を持つ女性が描かれたカップを眺め、音を立てぬようにソーサーへ戻す。これは皇族御用達であるダイメル商会が独占販売している、フォージュ工房の品だ。下賜品なのか、それともこれを手にするだけの財力と権力があるのか。さて。アイゼンシュタットの「正義」とはどこにあるのだろうか。一層笑みを貼り付けて顔を上げた。

「君は多才なんだねぇ。絵本の紙も見たことのない手触りだったし、写本ではなかった。陛下にも秘密なんだってね?」

 とりあえず、活版印刷とリトグラフが何とかならないかなって思うんだけど、平凡なぼくの脳みそをどう絞っても作り方が出て来ない。鋳造技術が必要なのは想像が付くんだけど、活版印刷の詳しい仕組みまでは分からない。ハンコ彫るみたいに一個一個、ちまちま作ってたら追い付かないことだけは確かだ。だから鋳型を作ってそこへ金属を流し込んで作るのが一番楽なんだろうけど、この辺はマウロさんと要相談だ。この世界の職人の技術レベルがどの程度なのか、ぼくには分かりかねる。

 そしてそんな話を、アイゼンシュタットにする義理は一切ない。漏らすつもりもない。だからぼくはゆったりとした動きでティーソーサーごとカップを揺らして、正面からアイゼンシュタットと向き合った。

「……ええ。新しい技術を発表するというのは、そういうものでは? もちろん、今後ぼくと契約してくださった方へ技術をお教えする予定はありますよ」

「契約か。そして君は労せず利益を手にする。なかなかに賢い手だね」

「ルカ様にお知恵を貸していただいておりますので」

 困ったことはみんな、ルクレーシャスさんのお陰ということにしておこう。ルクレーシャスさんも自分の名前を存分に使えと言っていたし!

「……君は、薬学に興味があるかい?」

「……そうですね。ルカ様の元で研究するのもいいかもしれません」

 そう、ぼくの今の身分は「偉大なる魔法使いベステル・ヘクセ、ルクレーシャス・スタンレイの養子」である。だからぼくにフリュクレフ公爵家の人間としての規制は存在しない。下手に否定するより、アイゼンシュタットに対しては疑念を抱かせておいた方がいいだろう。味方になるなら隠す必要のない情報だし、敵対するならそのまま疑って自滅してくれ。

「だが困ったな。薬学士派遣はミレッカーの管轄だ。君はミレッカーと接触しない方がいい。君もミレッカーの小倅こせがれを嫌っているようだし」

「……薬学のことなら、ジーク様にお聞きすることもできますので」

「……ふむ。……君、本当に六歳かい?」

「アイゼンシュタット伯には、ぼくがいくつに見えるのでしょうか」

「……君と話をしていると、まるで陛下と会話している気分だ。なるほど、同族嫌悪で君の話題になると苦い顔をするわけだ……」

「……」

 今の会話で大体、知りたいことに答えが出た。ぼくはイェレミーアスへ軽く頭を凭せかけた。

「アイゼンシュタット伯。スヴァンテ様は少々、お疲れになったようです。せっかくのご招待ですが、そろそろお暇させていただきたく存じます」

「ああ、君は大層体が弱いのだってね。皇太子殿下が、だから君に無理はさせられないと宴で繰り返していたよ」

 何だろう、体の弱い子設定で行くのか。そうなのか、ジークフリード。じゃあ仕方ない。全力で乗っかっておこう。

 こほん、と小さく咳き込み、目を伏せてなるべく弱々しく見えるようにイェレミーアスへ凭れる。アイゼンシュタット伯爵夫人が、とても動揺して席を立った。

「あわ、あわわ、どっ、どどっど、どうしましょうルーヘン! 妖精さんがこの穢れた世界のせいで死んじゃう……っ!」

 死なないですよ、これくらいで。大体何ですか、穢れた世界のせいでって。何でみんなぼくがそんなに病弱だと思ってるんだろう。けれどこれは早く帰りたい時にいい手だ。有り難く使わせてもらうとしよう。睫毛をふるふる震わせ、マルテへ小さくお礼を言う。

「ありがとうございます、レディ・マルテ。本日のお礼は、いずれさせてください」

「え、ええ、ええ! 妖精さん、大丈夫? あわわ、触れたら壊しそうで怖い……繊細な美貌すごい……妖精さんと王子さまの組み合わせの破壊力すごい……すごいがすごくてすごいしかない……」

「それでは馬車を用意させよう。ベアトリクス嬢も呼んで来なくてはね」

 主の言葉に執事が部屋を出て行く。統率が取れてるなと眺めながら、帰りもアイゼンシュタットの馬車かと考えていると、イェレミーアスがきっぱりと断る。

「お気遣いありがとうございます。しかしベステル・ヘクセ殿から、帰りは彼の方をお呼びするようにと仰せつかっておりますので、馬車はご遠慮いたします」

 ぼくへ手を伸ばしたアイゼンシュタットから身を翻し、イェレミーアスが立ち上がった。すごい。美少年な上に体幹しっかりしてる。やだ、うちの子完全に細マッチョ。幼いのにここまで人間的に完成されてていいのか。いいんです! うちの子最高!

「ええ。ルカ様は大変にお優しいのでそのように。では、アイゼンシュタット伯爵ごきげんよう」

 お礼をして、部屋を出ようとするぼくらへアイゼンシュタットが先を行く。まぁ、家主だからそうなるのは当然だけどもうこの人と一緒に居たくないよぅ。廊下を抜けた先は玄関ホールだ。そこにベアトリクスとマルグレートも待っているのが見える。先導するアイゼンシュタットの背中から声がかかった。

「スヴァンテ君」

「はい」

 答えたぼくに、背を向けたままアイゼンシュタットは続ける。

「君は青いマントを纏ってはいけないよ。特に、ミレッカー親子の前では、ね」

 青いマント。高潔を表し、フリュクレフ王だけが着用を許されたマントの色だ。ぼくがフレートに見せてもらった肖像画でも、女王は青いマントを着けていた。

「フリュクレフの名は捨てました。ぼくにフリュクレフから引き継いだものなど何一つない。皆様どうして、無手の幼子にそんなにも執着なさるのでしょう。不思議ですね」

「……それほどに、尊き血だからだよ。気づくのが遅すぎたけれどもね。それすらも、女王の思惑通りかもしれない」

 人は失ってからしか気づけない生き物なのだよ。うんざりしてしまうよね。

 吐き捨てたアイゼンシュタットの横顔は、どこか疲れて見えた。

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