人払いをし、ローデリヒにも分かりやすいように、紙へ書き出しながら説明し始める。が、当のローデリヒはミートパイを口に詰め込みながら、ぼんやりとぼくの手元を見ている。
「美味しいですか、リヒ様」
「うん!」
「……よかったです……」
「……リヒ……」
イェレミーアスが頭を抱えている。うん。いいんだよ、イェレミーアス。ローデリヒはね、野生の勘で動ける子だから心配してないよ。ちょびっと嫌な予感は過る時があるけど多分、やる時はやる子だよ。おそらく。大方。きっと。そうじゃないかな。だといいな。
「……確認したいことがあるのでまずはどうにかして、薬学士に会えるといいんですけど……。そういえば、皇后陛下のお加減はいかがですか、ジーク様」
「うむ。変わりないようだ。皇宮医も毎日様子を見ているしな」
昨日の宴を見るに、まだお腹が目立っていなかった気がする。二カ月も経てば皇国の長い冬の始まりだ。何か、腹と腰を温めるようなものを考えておこう。
「でも、まだ妊娠三、四カ月といったところですよね。この先寒くなりますし、妊娠の初期は何かと不安定な時期ですので無理はなさらぬよう、お伝えください」
「うむ。伝えておく」
興味なさそうというか、脳みそ素通りという様子で聞いていたローデリヒが突然ぼくへ顔を向けた。
「なぁ、スヴェンはそういうの、どこで知るんだ?」
「へ?」
「妊娠三、四カ月が妊娠初期だとか、不安定だとか。寒いのなんでよくないんだ?」
「……」
「……」
「……」
「……えっ?」
ジークフリード、ローデリヒ、イェレミーアスが同時にぼくの顔を見る。え、だってそんなの常識じゃん? そこまで考えて、はっと我に返った。
――常識じゃなかったあああああああああああ!
この世界、治療法として
「えっ……と、本で読んで……?」
ぼくの目は今、回遊魚かというくらいに激しく泳いでいるだろう。何かを察したジークフリードは、膝に両手を付いて項垂れた。イェレミーアスはにこにこと笑っている。ローデリヒは、あっさり納得した。
「ふ~ん。すげぇな、本。やっぱオレも本読まないとダメか」
「……リヒ様は、すでに皇国の剣としての才能を開花させておいでですのでそのままでよろしいかと」
「そうか? だよな! オレはこのままで行くわ!」
実際、ただの脳筋ではないんだよな。ローデリヒは。ぼくの何気なく放った言葉で「寒いのはよくない」という無意識の意味までちゃんと読み取ったわけだから。
「ふふっ」
「? なんだ、スヴェン。何がおかしい?」
「いいえ。つくづく、ジーク様は人を見る目がおありだな、と」
「お? ……うむ。ごほんっ」
それは君のいいところで、才能でもある。人に恵まれるというのは運もあるし、なかなかに得難いものだ。ジークフリードは、頬を染めて難しい顔をし、それから唇を尖らせた。
「その、そんなに母上が気になるなら見舞いに来ればいいぞ? 紋章証もあるのだし」
「――!」
突然ひらめいた。そうだ。その可能性があるじゃないか。
「ジーク様、アイスラー先生の診察の時に、薬学士の方は同行されていますか?」
「ああ。その場で薬の指示をすることもあるからな」
「……! 近いうちにお見舞いに上がりましょう。みんなで、です。できれば薬学士が同行している、診察の際に」
ぼくの髪を弄って遊ぶ妖精たちに、リボンを渡しながらイェレミーアスが少し表情を曇らせた。イェレミーアスには妖精が見えているから、妖精たちもすっかりイェレミーアスと打ち解けている。なんせ気難しいルチ様が、イェレミーアスからはぼくを直接受け取るくらいだ。やっぱ妖精や精霊が美しいものが好きって話は本当なんだな、と実感する。
「スヴァンテ様。診察の際にリヒが居ては騒がしい上に邪魔になります。リヒは同行しなくてもよいのでは?」
幅が五ミリほどの、甘い光沢のあるアイボリーをシルクのリボンの中から選んで、イェレミーアスは妖精へ渡した。イェレミーアスからリボンを受け取った妖精は満足気に頷いて見せる。
「お、なんだぁアス。オレだけ仲間はずれかよぉ~」
「アスはよいがリヒはなぁ」
「なんだよ、ジークまでひでぇな」
「スヴェンだけを伴って、リヒとアスはオレの執務室で待つのはどうだ?」
「それでいいよ。じゃあ、その時に食うおやつ作ってくれよ、スヴェン。オレ、ミートパイがいい!」
「私はスヴァンテ様がお疲れになった際、スヴァンテ様を抱えて移動する必要がありますので同行します」
イェレミーアスがきっぱりと言い切った。イェレミーアスはぼくを抱えるのが自分の仕事だと思っているようだ。しかし、要らないと言い切れないから仕方ない。
「うむ。そうだな。スヴェンが疲れた時、スヴェンを抱える役目の者が必要だな。アスは同行、リヒは執務室で待機だ」
ちょっと待ってよ、ジークフリード。君、設定じゃなくて本気でぼくが病弱だと思ってないか?
「ジーク様……。リヒ様、さすがに皇后陛下の御前でくらいは静かにできます、よね?」
ぼくが助け船を出すと、心象風景的にはその船の縁を思い切り蹴飛ばしてローデリヒは笑った。
「静かにはできねぇけど、大丈夫じゃね?」
できないのか。本当に大丈夫か公爵家。ジークフリードがぼそりと呟く。
「オレもこんなだったのか……」
ううん。君は残念な子ではなくてバカ殿下でしたよ。だからローデリヒとはまた、ちょっと違うかな。でも過去形だから大丈夫。
大変不敬な言葉を何とか飲み込む。絶望しかない、みたいな顔をしているジークフリードへ手を伸ばして眉尻を下げて見せた。
「大丈夫、ジーク様は大分成長なさいましたよ?」
「つまり否定はしないと」
「……リヒ様の、野生の勘のようなものもバカにできないとぼくは思うんですよね」
話題を変えて視線を逸らす。にっこり笑みを作って顔を傾ける。元々の性分もあるのだろうが、最近のローデリヒには自分がぼくを巻き込んだという自覚がなさ過ぎる。ぼくを巻き込んだ首謀者であるローデリヒが、当事者という認識を薄れさせてしまうのはよくない。そういうところから、企みは破綻するとぼくは思う。ローデリヒは良くも悪くもジョーカーカードなのだ。
「ですので、リヒ様も一緒に行きましょう。でもリヒ様。皇后陛下にご迷惑をおかけしたらしばらくはおやつ抜きです」
「ええっ!? じゃあオレは執務室で待ってるって!」
「ダメです」
「でもよぉ」
「これを機にいい加減、両陛下の前でくらいは失礼のない態度ができるようになりましょう。イェレ様を見習ってください! リヒ様はイェレ様とお一つしかお年が違わないのですよ!」
「アスはアスだもん。ちっちぇころから頭もよくて剣術も天才って言われてたんだぞ? 剣術しか褒められたことのないオレと比べちゃダメだろ、スヴェン」
ここまで一貫して「オレはオレ、お前はお前」を貫かれると逆に清々しい。嫌いじゃない。納得しかけてしまった。いかんいかん。ルチ様のお膝に抱えられたままローデリヒへ指を立てて見せる。
「リヒ様。そうやって礼節を守れないと、ちょっと前までのジーク様のようにルカ様に嫌われて徹底的に無視されるのです。いいのですか。皇王陛下はルカ様より陰湿でルカ様よりさらに稚拙でルカ様よりさらに狡猾ですよ。そんな方の機嫌を損ね続けて生きるおつもりですか」
「スヴェン、いくら父上でもそこまで酷くはないぞ」
「そうだよ、スヴァンくん。わたくし、気に入らないから一言も話さなかっただけでヴェンほど陰険ではないよ」
「……」
幼なじみと師匠の言い分を無視して、ローデリヒへ再び顔を向けた。イェレミーアスは静かに前を見たままだ。
「ぼく、リヒ様がその態度で皇王陛下から嫌われても助けませんよ。ちゃんと忠告はしましたからね」
「……っ、うそだろスヴェン? オレたち友達じゃん?」
「一方的に厄介事ばかりを押し付けるのは友人とは呼びません」
「……、……悪かった」
「……いいですか、これはリヒ様から始めたことですよ。ぼくにちゃんとイェレ様を助けさせたいのならば、リヒ様はぼくの要求に最大限応えねばなりません」
「うん……」
分かってる。十歳にこれを言うのは酷なことだ。本来ならば大人に相談して、任せるのが順当だろう。それでも、始めたのはローデリヒなのだ。その十歳のローデリヒは、六歳のぼくに事を押し付けた。その理不尽は、自覚してもらわなくてはいけない。