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第41話

 悪い子じゃないし、当たり前の十歳なんだよ、ローデリヒはね。そんなこと分かってる。分かっているんだ。でも、それは命取りになる。ぼくだけではなく、ジークフリードやイェレミーアスや、ローデリヒ自身の命を危険に晒してしまう。だからぼくは、お兄ちゃんとしてちゃんとこの子たちを守らなくてはいけない。言いにくいことも言わなくてはならない。導かなくてはならない。

「リヒ様。相手は地位も権力も有した大人です。人脈も金銭も体力も子供のぼくらが正攻法で勝てる相手ではありません。子供であることで相手の虚を突けるかもしれませんが、それとて大した強みにはなりませんし、一度しか使えない手です。ジーク様や公爵家令息であるリヒ様を亡き者にするのは、さすがに家族が黙っていないでしょうから可能性は低くとも、ぼくとイェレ様は邪魔になれば殺す方が楽でしょう。ぼくはこの話をお受けした時から、その覚悟はしております。リヒ様は、どうですか。自信がないのなら、ぼくらのためにもこの件はお父上にお譲りください」

「リヒ」

「?」

 すっかり項垂れてしまったローデリヒへ、イェレミーアスは穏やかな声で語りかける。

「もう十分すぎるくらいだ。そのくらい、君がスヴァンテ様を頼ったのは正しいことだったと私も思う。だから私をスヴァンテ様に引き合わせてくれて感謝している。だからもう、リヒは普段の生活に戻っていい。また、遊びに来てくれ。君が私の友であることはこの先も変わらないのだから」

「オレ、そんなつもりじゃなかったんだ。アス、スヴェン」

「分かっていますよ。ただ、相手があまりに複雑すぎるかもしれない。だからぼく、リヒ様を守れるかちょっと自信がないんです。エステン公爵家を表立って巻き込んでしまうことに躊躇しています」

 ぼくは自分の膝に置いた手へ、空いた手を重ねた。自分の手の甲をぼんやりと目路に入れる。

「思ったより、関わっている人物が多く根が深そうです。どうやら黒幕はぼくとも悪縁がありそうですし、自分自身のためにも逃れるより暴いた方がいいかもしれない。でもリヒ様は違う。今ならまだ、エステン公爵は同じ皇族派の高位貴族として看過できずに手を出した、ということに収めておける。無関係を装えます」

「……ごめん」

 今、ローデリヒは責められているような気持ちだろう。理解できる。それでもこの子はこの場面で、謝罪が出て来るのだ。だからこそ、巻き込めない。彼だって、まだ大人に守られるべき子供なのだから。

「あんまり気に病まないで、リヒ様。事実上、ぼくの敗北宣言なんです。リヒ様までお守りする自信がありません。だからできれば、お父上の、公爵家のお力でご自身を守っていただきたい。それだけのことなんですよ」

 ぎゅっと噤まれたローデリヒの唇をぼんやりと眺める。「でも」も「だって」も続けない。それが彼の聡明で素直なところだ。

 何よりミレッカー親子が関わっている。あの狂気が代々受け継がれたものだとしたら、企みはこの件だけに留まらないだろう。他にも何か企んでいる。そんな気がしてならない。アイゼンシュタットが接触して来たのも、皇王の勅命を受けていそうなことを仄めかして来たことも怪しい。皇王さえ踏み入ることのできなかったもっと大きな企みに、繋がっている気がしてならないのだ。

 思考を巡らせながら顔を上げると、ジークフリードと目が合った。

「ジーク様はもう、今さら後に引けないのでとことんまでお付き合い願いますよ」

「お、うむ……」

「ミレッカーが何を企んでいるか分かりませんが、ハンスイェルクがミレッカーと繋がっていると見た方がいいでしょう。その仲介役をしたであろうシェルケも確実に怪しい。ことによってはハグマイヤー、シュトラッサー、メスナー辺りも要注意です。ラウシェンバッハ城に彼らの間者がどれほど潜んでいるかも分からない。皇王陛下はもう少し詳しく何かを掴んでいるかもしれません」

「それとなく、父上に探りを入れて見る」

「あまり無理はなさらず」

「うむ。では近いうちにスヴェンとアスを皇宮へ呼ぼう。紋章証があるから、いつ来てもいいのだしな。スヴェンがオレと共に勉強をすることは皆が周知しているし、アスはスヴェンと同じベステル・ヘクセ殿が後見人なのだから同行して不思議はない。リヒも、遊びに来い」

「……はい」

 ローデリヒの頭は今、ぼくの言ったことでいっぱいだろう。まだ十歳。随分厳しい物言いをした自覚はある。それでもぼくは、当事者ではない幼子を巻き込むことにどうしても抵抗がある。まして、ローデリヒにはまっとうな親が居る。黙っていても継承できる、身分もある。わざわざ危険に首を突っ込ませる理由はないのだ。

「で、スヴェンは薬学士に何を確かめたいのだ?」

「薬学士に、人によっては特定の食べ物が死に至る原因になる、という知識があるかどうかを確かめたいのです。できれば、それをミレッカー宮中伯も知っているかどうか、ハンスイェルクもそれを知っていたかどうか、それを裏付ける証拠があればいいのですが……」

「母上の見舞いにかこつけて、ゆっくり聞き出すがいい。そういうのお前、得意だろう? スヴェン」

 ジークフリードは実に人の悪い笑みを浮かべ、ティーカップを仰いだ。

「とはいえ、二度と会わないとか付き合いを控えるとかではないのでリヒ様、今まで通りに遊びにいらしてください。エステン公爵とのお約束もありますし、残りの短い社交シーズンにやることがいっぱいなんですよ……」

「うん。一週間後に母上からお茶会の招待があると思う。父上もその日は空けておくと言っていたから、オレが迎えに来る」

 ちょっと元気がないな。でも本当に危険なんだ。謀って人を殺すような人間にとって、ぼくらのような子供を殺すことなど造作もない。一度罪に手を染めた人間は、罪を重ねることに躊躇がなくなる。己の目的のために人を踏み躙ることを是とした人間もまた然り、だ。子供を踏み躙ることなど、大人より容易いくらいにしか思わないだろう。ふと、ルクレーシャスさんの言葉が過った。

 ――人は人を殺す。富み満ち足りても、貧困に喘ぎ追い詰められても、それぞれの理由で同族を殺す。

 そんな人間を相手に、道理や慈悲や綺麗事など、通用しない。

 だけど、だから、なればこそ。ぼくは愚かしいほどの綺麗事を以て、立ち向かう。もう抜けられないジークフリードやイェレミーアスは別として、ローデリヒを巻き込む権利はぼくにはない。

「ですからリヒ様は、誰かに何かを聞かれてもそのまま答えてください。難しくて分からないことは『難しくて分からない』、知らないことは『知らない』と。喋っちゃいけないことは黒幕がミレッカーだとぼくが疑っていること、ハンスイェルクとシェルケも疑わしいこと、ぼくらが彼らの関与を暴こうとしていることをエステン公爵が知っているということ、のみです。これ以外は、素直に答えていいですよ」

「えっ? いいのかよ?」

「どうせリヒに嘘は吐けないだろうしな」

 ジークフリードは腕を組んで頷いた。イェレミーアスも同意して一つ、首を縦に振った。

「そうですね。リヒに高度な駆け引きは無理ですね」

「ええ。なのでリヒ様をよく知らないだろう相手が、勝手に疑って混乱してくれれば都合がいいのでリヒ様はぼくが言った『どうしても誰にも言ってはいけないこと三つ』以外は好きにしていいです」

「さ、リヒ。スヴァンテ様がおっしゃった、言ってはいけないこと三つを復唱してごらん」

 イェレミーアスがローデリヒへ、指を三本立てて見せた。

「言ってみろ、リヒ」

「まさかもう忘れたの? リヒ」

「嘘だろう? さっきスヴェンが挙げたばかりだぞ?」

「酷くね? オレの扱い酷くね? さすがに覚えてるわ! スヴェンが疑って探ってることは内緒、ミレッカー、シェルケ、ハンスイェルクの話はしない、父上がオレらに協力してくれてることは内緒、だろ!」

「リヒ様、よくできました」

 皇国の筆頭公爵家の嫡男という立場上、ローデリヒが彼らに接触する機会は多い。ぼくやイェレミーアスへ無理矢理、接触を図るより理由と場所を用意するのは簡単だ。だから彼らはローデリヒから情報を引き出そうとするだろう。

「リヒ様。ぼくはあなたを仲間はずれにするのではありません。おそらく彼らは今後確実にあなたへ接触して来るでしょう。その彼らを、混乱させるのがあなたの役目です。この情報戦で、あなたは切り込み隊長なのですよ」

 口へ当てていた拳を下げ、少し首を傾ける。ローデリヒへ視線を流し、唇を笑みの形へ吊り上げる。そう、君はぼくらのジョーカーカード。その是非は、いつそのカードを切るか、使い手の運と度胸次第。

「しかもあなたは、いつも通りでいいのです。いつも通りのあなたが、彼らを混乱させます。あなたはこの情報戦の切り札です。どうです、カッコイイでしょう?」

「……おう! それならオレ、いっとう得意だ!」

 元気よく顔を上げ、胸の前で己の手へ拳を打ち付けたローデリヒは、生粋の戦士の表情をしていた。

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