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第4話 真夜中の白昼夢

「そろそろ寝るよ」

「あ、はい!」


 窓からは日光が差し込んでいる。なんだかこの時間に寝るというのは変な感じだ。

 6時。いつもならとっくに起きて、瑠璃を起こしに向かう時間だ。

 一応持っていたボロボロの櫛を置いて振り返ってみると、そこには布団が敷いてあった。ちゃんと2つ。

 蒼黒の家は金魚屋からそう遠くない場所にあり、意外と綺麗な長屋なんだな、と思ってしまった。

 それにしても家具がない。必要最低限を極めた結果のような内装だ。


「あれ…そういえば私…お布団で寝るのは久しぶりかもしれません」

「マジで?」

「はい。取られたり寝落ちしてしまうことが多かったので…」

「じゃあ良かったじゃん。ここに来て」

「…はい…」


 薄く光が差し込むなか、布団に入る。少しだけ、これがずっと続けばいいのにと願いながら。

 いつか、日の当たる幸せな生活を。

 なぜか私の目は潤むのであった。


♢♢


 …朝だ。

 そう思った時には、もう遅かった。


「菖蒲…?」


 昨日私は、菖蒲と別れてからずっとここで彼女を待っていた。

 ずっと、ずっと、ずっと。

 けどいつの間にか力尽き、座りながら寝てしまったらしい。

 菖蒲なら、きっと起こすはず。どこか別の場所から入ったのかな。けどそんな私の期待とは裏腹に、菖蒲は屋敷のどこにもいない。いつもならもう起きている頃なのに。


 鼓動が速くなる。


 私がもっと言っていれば、力ずくでも連れ戻していれば!

 居ても立っても居られなくなり、足は自然と駆け出していた。

「菖蒲!菖蒲!」

 明け方だとか、そんなこと気にせず叫んだ。けど返事はない。

 どんなに細い道でも、奥まったところでも、汚いところでも。


「うわっ!」


 足を取られて転ぶも、そんなことどうでも良かった。

 菖蒲は私のくだらない話を聞いてくれた。私の失敗も励ましてくれた。この嫌な屋敷の中でも、菖蒲がいたからやってこれた。

 けれど、いつのまにか屋敷に戻ってきてしまった。


「杏!どこに行っていたの!」

「すみません」


「杏、聞いた?菖蒲さんが脱走したんだって」

「うん」


「どうしたの?怪我してるじゃない」

「はい」


「杏、瑠璃様たちが呼んでるわ」


 やりたいことが、生まれる。


「お前、どこに行っていたの?菖蒲が逃げたのよ、なにか知っていたら言いなさい」

「なにも知りません」

「そんなことないはずだわ。あなたたちは仲が良いようですからね」

「今言えば、解雇はしないでやる」


 ふつふつと湧いて、ぐらぐらと煮え、どうどうと私の中が満たされる。それはもう止められないし止めたくないものになっていく。

 瑠璃の襟を引っ掴み、大きく顔を叩いた。


 周囲が凍るのを肌が感じて、初めて襟を離す。自身の頬を触って、瑠璃の顔が醜く歪んでいく。


「この馬鹿が!」


「おい誰か捕えろ!」

「ああ、なんて可哀想なの」


 奥様は涙を流し、旦那様は騒ぎ立てる。瑠璃は私を罵倒しながら泣き始めた。

「お母さん!お母さん!私酷いことをされたわ!とても痛いのよ!もうお嫁に行けないわ!こいつの全身の骨を折ってやりましょうよ!」

「あ…」

「なによ!今更悔やんでいるの!?」


「いかないと」


 手にはいつのまにか包丁がある。

 これはきっと、神様の慈悲なのだわ。


 それを首に刺すほど簡単なことはなかった。


「杏、杏!」


 目を覚ませば菖蒲がいて、不安そうな顔でこちらを見ていた。

「大丈夫?」


「うん。とても幸せよ」

「そう?ならいいけど。あ、そうだ。口を開けて」

「え?」

「いいから」

「…美味しい」

「いつも杏にもらっているから、お返しよ」

「ありがとう」


「ところで、あなたはいつまで夢を見ているの?」



 …朝だ。

 そう思った時には、もう遅かった。


「杏、起きましたー」

「良かった。杏ったら、どんなところで寝てるのよ」

 現実は甘くない。そう簡単に上手く行かない。


「…お願いがあります」

「なに?改まって」

「私を、解雇してください」

「…新しい仕事でも見つけたの?」

「いいえ」

「結婚相手が決まったの?」

「いいえ」


「なんとなく、そうしてみたくなったのです」


 先輩は当然引き止めた。その場の判断で決めてはいけない。けど、ずっと考えていたことでもあるのだ。

 寝室に飛び帰り、お母さんの形見に腕を通す。辞表を書き、先輩に手渡した。

 非常に、不思議な顔をされた。


 荷物をまとめて、振り返らずに屋敷を抜けるのだった。ほら、瑠璃の癇癪を起こす声が薄く聞こえる。


 菖蒲ならきっと大丈夫。私も自由になってみたいの。

 けど、どこにいけばいいのかな。ツテがあるわけでもないし。

 …そうだ。お母さんの働いた場所にいけばいいのよ。


「菖蒲、いつ会えるかなぁ」


 さあ、夜の街はどこだろう。

 私を日光がただ照らす。

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