この町の住宅地はなだらかな斜面に造られていた。合間を延びる道も、その傾斜に合わせて、ゆるやかに上っている。朱里はその坂道を希美と共に無言のまま歩いていた。
気まずい空気があるわけではないが、希美は喋らず、朱里もどう話しかけたら良いのか分からない。
初めて朱里が彼女に声をかけたのは、ゲームセンターの中だった。級友に誘われて断り切れずに付いていったものの、ゲームのことなどなにも知らなくて手持ちぶさたになっていた時に、同じように仲間の輪から外れてポツリと立っていた彼女に声をかけたのだ。
初めこそ冷たく拒絶されてヘコんだ朱里だったが、それに気づいた希美は慌ててフォローを入れてくれた。
不器用だけどやさしい人。
それが、その時に感じた希美の人柄だ。
しかし、直後に魔女に襲われた時、希美は怖ろしい大鎌を振り回して怪物を薙ぎ払ってみせた。まるで獰猛な虎のように喜々とした表情で。
以来、どうにも気後れして声をかけられずにいたのだが、朱里は大事なことを忘れていなかった。
それは希美が自分たちを助けてくれたという事実だ。
なんの力も持たない朱里には、戦う彼女の姿は確かに怖ろしく感じられたが、それでも希美はその力を悪しきものにしか向けていない。
実際、あの後も教室では大人しく、いつもひとりぼっちで自分の席に座っている。
希美に助けられた他の級友も、藤咲以外は彼女に近づこうとはしない。
だからといって毛嫌いしている様子はなく、露骨には避けていなかった。おそらく他のみんなも朱里と同じでどのように接すれば良いのか分からないのだろう。
そもそも希美本人が、他者との関わりを拒絶しているように見える。
自分の世界に閉じこもったまま、学校行事も級友たちも、すべて他人事のように感じている気がするのだ。
(――ううん、そうじゃない)
自分が導き出した答えを朱里は自分で否定した。
もし希美が本当に朱里たちを拒絶しているなら、二度も助けたりはしないはずだ。
朱里は横顔を盗み見ようと視線を横に向けるが、希美の顔はフードが邪魔でよく見えない。これも不思議だった。どうして彼女は自分の顔を隠そうとするのだろうか。
希美は控えめに言っても美しい少女だ。目鼻の整った顔立ちも、きめの細かい白い肌も、宝石のように澄んだ瞳も、艶やかな長い黒髪も、すべてが一級品で、さらに付け加えればスタイルも抜群だ。
それなのにどうして自分から日陰を歩こうとするのだろうか。
よそ見しながら考え込んでいた朱里は、道の途中の段差でつまずいた。
「きゃっ」
小さな悲鳴をあげるが、転ぶことはなかった。希美が咄嗟に手を伸ばして朱里の腕をつかんでくれたからだ。
転倒を免れた朱里は、ごく自然に希美に顔を向ける。
ちょうどフードを覗き込む形になったため、表情がはっきりと確認できた。
「よそ見してると危ないよ」
やさしい眼差しがそこにある。
朱里には今のこの姿こそが希美の本質に思えた。
潤んだ瞳を向けると、自分を支えてくれた彼女の手を両手で取る。そのまま勢いに任せて朱里は告げた。
「ありがとう」
突然のことに目を丸くする希美。
構うことなく朱里は続けた。
「助けてくれてありがとう。ゲームセンターの時も、さっきも、今転びそうになった時も、ぜんぶぜんぶありがとう!」
その声は自分でも驚くほど大きな声になったが、恥ずかしさよりもやっと口にできた安堵の方が大きい。
しかし、希美は笑みこそ浮かべたが、それはひどく淋しげなものだった。
「わたしにお礼なんてもったいないよ」
「そんなことないよ。だって雨夜さんは……」
「わたしにとって、あれはやりたいことだから」
「つまり、人助けがやりたいことなんでしょ? それって正義の――」
「違うよ。わたしは正義の味方じゃない」
囁くように答えると、希美はフードを脱いで長い黒髪を背中に垂らした。
思わず息を呑んだのは彼女があまりにも美しかったからだ。
艶やかな髪は西日を浴びて輝き、瞳はどこまでも透き通っていて、目を合わせていると吸い込まれそうな気持ちになる。
しかし、彼女が発した声は美しくも悲しげなものだった。
「あなたの言うとおり、正義の味方はこの世にちゃんといるわ。でも、わたしは違う。わたしはそれに憧れて、彼らの真似事をしているだけ」
普段と異なる口調で話す希美に戸惑いつつも、朱里は反論する。
「よ、よく分からないけど、それってあなたも正義の味方になったってことでしょ?」
「だから、それが間違っているのよ。だって、わたしは、その真似事をしたくて、いつだってウズウズしているの。つまり、事件を待っているのよ」
「事件を待って……?」
「ええ。あなたが襲われてくれて嬉しかったのはわたしの方。これでやっと人助けの真似事ができるって」
「そんな……」
朱里は言葉を失って立ち尽くす。
「ごめんね」
囁くように告げると希美は顔を上げて、そのまま空を見上げた。雲の隙間から陽の光が静かに差し込んでいる。
どこか遠い目をして彼女はただ静かにそれを見つめていた。