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第44話 陽の光Ⅰ

 早朝の空気が好きだ。

 いつからか、目覚めが淋しさと悲しみを伴うようになっても、それだけは変わらない。

 澄み切った大気と静けさに包まれた町並み。学校へと続く上り坂は長く、本来ならばスクールバスを利用して行き来するものだが、たまには歩いて上るのも悪くはない。

 梅雨の真っ只中ということもあって生憎の曇り空だが、それは大した問題ではない。どうせ背中を丸めて下ばかり見て歩いているのだから、晴れでも雨でも同じことだ。

 周囲には朝練に向かう生徒の姿もなく、世界に、たったひとりで取り残されたかのような気分になる。錯覚に過ぎないが、思い返してみれば、それを本気で信じていた時代もあった。


(拙い思い込みだ)


 胸の裡でつぶやくが、その頃の自分と比べて、自分はどれだけ大人になれたのだろうか。

 希美は坂の途中で足を止めると、ふり返って眼下に広がる町並みを見つめた。

 陽楠市は都心から遠く離れた地方都市だが、近年急速に拓けてきていた。市の中心は霞の向こうだが、手前に見える風景でさえ、古い記憶のそれとは別物のように様変わりしている。

 間もなく町が動き出す。

 坂下の駅前にも人波が押し寄せ、喧噪が溢れ出すことだろう。

 頭を振って背を向けると、再び坂道を上り始める。

 ぼんやりと、何も考えずに歩こうとするが、自然と昨日のことを思い出してしまう。

 クラスメイトの北朱里はやさしい少女だ。魔女の手下から助けたことで感謝されてしまったが、希美は後ろめたさから自分の本音を語って聞かせた。しかし、それがなおさら彼女を傷つけた。

 朱里は涙ぐんでいた。傷つけたかったわけじゃない。あんな悲しい顔をさせたくはなかった。

 それなのに余計なことを口にしてしまった。彼女が喜びそうな言葉は分かっていたのに、感情が邪魔をして適当に合わせることができなかった。

 今さら善人にはなれないが、偽善者を演じることすら難しい。

 自分の不器用さに溜息が出る。

 足を止めて途方に暮れたように曇天を見上げていると、背後からエンジン音が近づいてきた。

 何げなくふり返れば、見覚えのある少女がスクーターを走らせながら手を振っている。部長の月見里朋子だ。


「おはよう、希美ちゃん!」


 彼女はすぐ傍らにバイクを止めると、弾むような声を響かせた。相変わらず元気いっぱいで希美とは対照的だ。


「お早うございます、部長」


 希美がバカ丁寧に頭を下げると、それを見て朋子は苦笑した。


「硬いよ、希美ちゃん。もっと気楽にいこ。わたし達は仲間なんだし」

「はあ」


 つい気のない返事をしてしまう。

 朋子はもう一度苦笑すると、希美の横に並んでスクーターを押しながら歩き出した。


「あの……気にせず先にいっていいですよ。たいへんでしょうし……」


 この坂道は歩いて上るだけでも重労働だ。この季節であれば、いささかオーバーな表現かも知れないが、夏になればそれを否定する者はいなくなるだろう。


「平気平気。わたしらは身体が資本だし、いいトレーニングだよ。まあ、魔力を使えばもっと楽だけどね」


 魔力使いは魔術を使わずとも、その力を活性化させることで超人的な身体能力を発揮することが可能になる。もちろん、その間は常に魔力を消耗するので限界はある。

 地球防衛部が誇る金色の武具アースセーバーは、この現象を一般人にまでもたらす武具だ。秘められた膨大な魔力を担い手に流し込むことで、どんな平凡な人間でも超人に変えることができる。

 しかも、普通の使い方をしている限りは、供給されている魔力が途切れることはない。

 もちろん担い手の肉体や精神に限界があるため、不眠不休で戦えるわけではないが、少なくとも魔力切れによる弱体化は起こらない。

 一方で希美が得意とする身体能力強化魔術は、これよりも数段上の強化を可能とするものだが、魔力の消耗は激しく、発動中は常に集中力を維持しなければならない。

 さらには魔力の活性化と異なり、強化自体が歪なものになるため、身体機能に感覚が追いつかなくなりがちだ。魔術で強化された身体で戦うためには、それ専用の訓練が必要だった。

 見たところ、朋子の魔力は常人よりは上だが、平均的な魔術師には満たない。金色の武器の助けがなければ、標準的なマリスと戦うのもキツイだろう。

 それに気づいたところで、希美はふと気になって問いかけた。


「部長はどうして地球防衛部に入ったんですか?」

「うん?」


 やや意外そうな顔をしたあと、朋子はやけに嬉しそうな笑みを浮かべた。


「それって、わたしに興味があるってことだよね」

「え……?」

「いや~、嬉しいなぁ。せっかく入部してくれたのに、希美ちゃんって、わたしたちに関心がなさそうだから寂しかったんだよねぇ」


 希美はやや驚いていた。人間は詮索されることを嫌うのが当たり前だと思っていたが、仲間同士ならば必ずしもその限りではないのだろうか。

 不思議に思っているうちにも朋子は話し始める。


「きっかけは些細なことなんだよ。わたしの親戚に、ここの卒業生がいてね。希美ちゃんが好きな人の自称親友なんだけど……」

「葉月くんの……」

「うん。残念ながら、わたしは昴さんとは親しくないんだけど、そいつが言うには今でもマブダチなんだって」


 意外な接点に驚く希美。

 朋子は坂の途中で一息吐いた。やはりこの坂をスクーターを押して歩くのは楽ではなさそうだ。希美はカバンをスクーターの荷台に載せると、後ろから車体を押し始める。


「おお、ありがと」


 嬉しそうな顔をする朋子。


「こりゃあ、楽ちんだ」


 軽く笑い声を立てると、坂を上りながら話を続ける。


「その親戚から頼まれたのよ。人手不足だから入ってやってくれって。おまけに別の親戚も初代部長の親友って話で、こりゃあ、この縁は大事にしなきゃバチあたるなぁなんて思ってね」


 朋子の口調は軽いものだったが、地球防衛部が行っているのは遊びでもスポーツでもない。正真正銘の命のやり取りだ。


「部長は怖くないんですか?」

「怖くないよ。怖くないって言ったら嘘になるけどね」


 あっけらかんと言ってのける。


「つまり、怖いってことじゃないですか」

「それはそうなんだけど、部長として口にできない言葉ってあるでしょ」

「ないですよ、そんなの」


 希美が即答すると、朋子はスクーターを押しながら振り向いた。目が合うと希美の顔を興味深そうに見つめてくる。

 目を瞬かせていると、すぐに正面に向き直ってしまったが、背を向けたままで話は続けた。


「葉月先輩の時代になる少し前、地球防衛部が形骸になっていた時期があったの。さっき話したもうひとりの親戚が顧問を務めて、なんとか廃部だけは免れていたけど、金色の武器を使える人もいなくて、実質的に活動できてなかったんだって」


 地球防衛部の活動内容を正確に知る人間は、学園内にほとんどいない。今なお学園名物などと揶揄されている始末だ。これはやむを得ないことだが、それゆえに歴代の部員は、常に人材不足に悩まされている。それを補うために今回は、円卓から助っ人が送り込まれてきたほどだ。


「でも、地球防衛部が動けなくても、マリスは当たり前のように出てきて、その間にもいくつかの事件を起こしていたの。もちろん、円卓支部がある程度は対応してくれたみたいだけど、やっぱり限界があったみたいで何人もの市民が犠牲になったらしいよ」


 それはつまり、この町がそれだけ危険だということでもある。金色の武具アースセーバーの力は円卓がアテにするほど強力だが、前回の巨大武者のことを考えても、やはり部員の戦いは死と隣り合わせだ。

 しばし無言のまま進み続ける。スクーターの後ろからでは朋子の表情は見えないが、その事実を重く受け止めているのは間違いないだろう。

 それでも、もう一度ふり返ったとき彼女は明るい笑顔に戻っていた。


「つまり、誰かがやらなきゃならないことで、たまたまその役目がわたしに回ってきたってことだね」

 あっけらかんとした朋子の言葉に、希美はやましさを感じてうつむいた。

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