入学式から希美が正式に入部するまでの間にも、朋子はマリスとの戦いを続けていたはずだ。それなのに希美は個人的な理由で彼女たちを避け続けていた。
そもそもからして希美の動機は誰かのためなどという真っ当なものではない。
「部長は立派です。わたしはただ憧れた人の真似事をしてるだけなのに……」
「希美ちゃん?」
「わたしを助けてくれたあの人は、強くてやさしくて……でも、わたしは彼が本当はどんな気持ちで戦っていたのか知りもしない」
「希美ちゃんは、それを知りたくて地球防衛部に来たの?」
朋子のやさしい声に希美は首を横に振る。
「いいえ、それすら考えていない。わたしはただ、その行いを真似ているだけです」
「そっか……」
会話が途切れて、ふたりは無言のまま歩き続ける。自己嫌悪から生じる重たい気持ちが肩にのしかかってくるかのようだ。
それでもスクーターを押して歩き続けると、やがて行く手に見慣れた校門が見えてくる。それを抜けたところで、ようやく朋子は振り向いた。
「ありがとう、希美ちゃん」
「いえ、つき合ってもらったのはわたしの方ですから」
相手にしてみれば、わざわざスクーターを止めることなく通り過ぎれば、それですんだ話だった。
「わたしが希美ちゃんとお話ししたかったんだよ」
朗らかに笑う朋子。彼女の笑顔はいつだって眩しすぎる。
無言のまま立ち尽くしていると、朋子はふいに手を伸ばして、希美の頭からがパーカーのフードをむしり取った。
「え……?」
いきなりのことに戸惑っていると、朋子はそのまま瞳を覗き込んでくる。
「希美ちゃんって自分のことが嫌いでしょ?」
「いえ、わたしほど自分を好きな人も稀だと思いますけど? いつも自分を優先してますし……」
「じゃあ、言い方を変える。希美ちゃんは自己評価が低い」
「それは……」
あまり考えたことはなかったが、少なくとも逆でないのは間違いない。
「だから、気づかないだけだよ」
朋子はさらりと言った。
「何にですか?」
「希美ちゃんが好きな人が、どんな気持ちで戦っていたのか。その答えは最初から希美ちゃんの中にあるってことに」
「え……?」
予想外の言葉に戸惑いながら朋子を見つめ返す。
「きっと同じだよ。その人と希美ちゃんが戦う理由は」
「そんなはずはないです。だってわたしは――」
言いかけた希美の唇を朋子は人差し指で抑えた。
「だから、そっちが間違ってる。希美ちゃんは自分を過小評価してるから、自分の本当の気持ちが見えないだけだよ」
「いや、そんなはず……」
「希美ちゃんは知らないでしょ。自分がやさしい娘だって」
朋子の言葉は温かくて胸に染みたが、だからこそいたたまれなくなって希美は下を向く。
「部長は知らないんです。わたしが本当は何をしてきた人間か……」
絞り出すような声で告げるが、朋子は変わらぬ調子で応じる。
「うん、知らないよ。わたしは希美ちゃんの過去を何も知らない」
認めた上で彼女は続けた。
「でも、だからこそ、
朋子は、白い手を伸ばしてやさしく希美の頬にふれる。
「人は変わっていくものだよ、希美ちゃん。みんな知ってるつもりで、実はあんまり解ってない。背負った罪も、手にした功績も、本当の意味では人の価値を決定づけたりはしない。それを絶対視する人は過去によって未来を呪っていることに気づいていないんだよ」
「……け、けど現在は過去の延長線上に存在しているわ。自分がしてきたことをなかったことにはできないでしょ」
思わず地の口調が出たためか、朋子はやや不思議そうな顔をしたが、それについては何も言わずに言葉を返してくる。
「うん。そうだね。それをなかったことにしろなんて、わたしも言わない。でもね、それでも忘れちゃいけないのは、過去に罪を犯した自分と、それを恥じている今の自分は違うってことだよ」
「それは……」
「希美ちゃんは、うちの顧問のことをよく知ってるよね?」
「ええ……」
「あの人は昔は殺し屋だった。だけど、今はそれを恥じて違う生き方を模索している。でも、殺し屋だった頃のあの人は、自分がそんな選択をするなんて夢にも思っていなかったはずだよ」
それは希美も覚えている。彼はすべてを合理的に判断し、表情ひとつ変えることなく自らの教え子でさえ惨殺するような男だった。そんな彼が今の自分を見たらなんと言うだろうか。少なくとも目を疑うことだろう。嫌悪感すら抱き、全否定しようとするかもしれない。それほどまでにかつての彼と今の彼は違っている。
「あの人は変わったんだよ。それで過去の罪が消えるわけじゃないとしても、今の先生と過去の先生は等価じゃない。希美ちゃんも、それは同じなんだよ」
「でも、わたしは……」
反駁しようとするが返す言葉が見つからない。理性が朋子の言葉を噛み砕き、その正当性を認めても、感情がそれを受け入れることを怖れていた。
「希美ちゃん、わたしは希美ちゃんのことが好きだよ。もし希美ちゃんが、それでも自分を好きになれないなら、希美ちゃんの分もわたしが希美ちゃんを好きになってあげる」
「なんでそんな……よく知りもしない人間に……」
悪あがきのようにつぶやくが、朋子の笑顔は揺るがない。
「一度でも肩を並べて戦ったんだから、それでじゅうぶんでしょ。それでも足りないって言うなら、一目惚れだって思ってちょうだい」
「ひ、一目惚れって……」
まるで恋の告白のようなセリフに希美は頬を朱に染める。
朋子はやはり明るい声で続けた。
「嘘じゃないよ。入学式の教室で希美ちゃんを見たとき、わたしは目を奪われたもの。なんだか眩しくってさ」
「そ、それはわたしのセリフですよ」
朋子のやさしさ、誠実さ、明るさは、希美にとってまさに陽の光だった。自分には決して持ち得ないものを持つ人。希美が恋い焦がれてやまない葉月昴と同じ世界の人間だ。
「なら、相思相愛だね」
朋子は、ここに来て最高の笑顔を見せた。思わず心音が高まり、希美は慌てる。
「そ、そういう意味じゃ……」
「冗談だよ。希美ちゃんには好きな人がいるものね」
くすくす笑う朋子。
「さ、先に部室に行ってます」
希美は早口で告げると逃げるように背中を向けた。
「うん。わたしもバイクを置いたら、すぐに行くよ」
たぶん元気に手を振っているのだろう。朋子はスクーターに乗ってエンジンをかけると、勢いよく駐輪所の方向に走り去っていった。
振り向いて少しだけ背中を見送ったあと、希美はパーカーのポケットに手を入れて部室棟に向かって歩き始める。
朋子の言葉で頭の中がグチャグチャだったが、不思議と嫌な気持ちではなかった。