夜の陽楠学園は異様な空気に包まれていた。
北校舎の屋上には大きな魔法円が描かれ、その頭上には神聖術によって生み出されたドーム状の結界が張られている。荒れ狂う風も打ちつける雨粒も、魔力の壁に阻まれて、ここには届かない。
魔法円の前には神の声によって集められた生徒たちが跪き、一心不乱に祈りを捧げている。陽楠市の全域から集まってきただけあって、彼らが身につけている制服は様々だった。
「素晴らしい。ハルメニウス様のお声を耳にして、こんなにも大勢の人たちが集まって下さるなんて」
槇村が感嘆の声を漏らす。しかし、その隣で深天は表情を曇らせていた。
「おかしくありませんか?」
「え?」
「彼らの様子です。まるで何かに取り憑かれているかのような……」
「それは、神のお声を賜って、ある種のトランス状態へと導かれているからだろ」
「わたしたちが正気ですのに?」
深天の指摘に槇村はハッとしたようだった。当然ながらハルメニウスの声はふたりにも届いていたが、ここに集まってくる生徒たちのような虚ろな目はしていない。
「僕らには魔力への耐性があるから……」
「それはつまり、彼らは自分の意思ではなく、操られてここに来たってことになりませんか?」
「それは……」
槇村は、ここに来た人々は自らの意思で、神の声に身を委ねたのだと考えていたのだろう。そうでなければ神の善性に疑いを抱かねばならなくなる。
「そもそもあれは本当にハルメニウス様のお声だったのでしょうか?」
「何を言い出すんだ」
「だってタイミングが良すぎるじゃありませんか。地球防衛部がやられて、教会が爆破され、その直後に神の声が響くだなんて」
「それは我らが窮地に陥ったからこそ、神が救いの手を……」
「そう思わせるのが狙いだとしたら?」
深天の言葉に槇村が息を呑む。
神を疑うことは信者にとって最大のタブーだが、もし敵がそこにつけ込んだのだとすれば、これは深刻な事態だ。
「とにかく、教祖様に相談しなくては――」
「その必要はないな」
深天が言いかけたところで、それを遮るかのように声が響いた。その声は槇村のものに聞こえたが、彼は口を動かしておらず、聞こえてきた方向も異なっている。
何より、彼もまた驚いたように声の方向へと顔を向けていた。
いつの間に現れたのか、そこにはフードを目深に被った人影がふたつ並んでいる。顔は影になって見えないが、背丈は向かい合うふたりとほぼ同じだ。
しかし、教団の仲間ではなく、神の声に呼ばれた生徒とも思えない。
「なんだお前たちは? いや、それよりも今の言葉はどういう意味だ?」
焦った顔で問い質す槇村。その傍らで深天も思わず身構えていた。どう考えても味方とは思えない。
「すべては計画通りということよ」
フードの片割れが答える。そちらは女のようだが、こちらの声も不思議と聞き覚えがある気がする。
それぞれの声が誰のものと酷似しているのか――シンプルな答えに辿り着きつつも、理性がそれを受けつけない。
「計画だと? それは魔女の計画か!?」
声を荒げる槇村。
「魔女の計画でもなければ教祖の計画でもないな」
フードに手をかけつつ嘲弄すると、二人組は揃って素顔を露わにした。
「なっ――」
「そんな――」
信じ難いものがそこにあった。衣装こそ違えども、目の前にいるのは、まさしく自分たちそのものだ。まるで鏡写しのような光景だった。
「な、なんなんだ、お前たちは!?」
槇村の声は悲鳴じみていた。
その傍らで深天はただひたすらに混乱する。
「まやかしだ! そうだ! 小夜楢未来の仕業だな!」
取り乱す槇村を見て、彼と同じ顔をした男が顔をしかめた。
「うるさいよ、お前」
そいつは槇村の額に手を伸ばすと、まるでデコピンでもするかのように軽く弾く。
たったそれだけのことで槇村の身体は、まるで拳銃で頭を撃ち抜かれたかのように力を失い、その場に頽れた。
「え……?」
茫然とする深天。彼女に瓜二つの女が呆れたようにつぶやく。
「あーあ。何も壊すことないでしょ、アダム・ゼロワン」
「いいじゃないか、イブ・ゼロワン。どうせ、出番のなくなったコマだ。だいたい、なんなんだよ、あの情けねえ反応は。俺と同じアダム型のクセに、つまんねえ野郎だぜ」
「しょうがないでしょ。ゼロツーは、そういう人格設定だったんだから」
ふたりのやりとりを茫然と聞いていた深天だが、ようやく我に返ると、屈み込んで槇村の身体を揺すった。
「槇村!? しっかりしなさい、槇村!?」
だが、彼の身体はピクリとも動かない。顔からは血の気が引いて体温が急速に失われていく。完全に事切れていた。
「嘘……でしょ?」
目の前で起きたことが受け入れきれずに力なくつぶやく。
そこにゆっくりと別人の足音が近づいてきた。
「お前たち、これはどういうことなの?」
冷ややかに響いたのは教祖の声だ。
一瞬、救いを求めるように、顔を向ける深天だが、教祖の隣に小夜楢未来が立っているのを見て絶句する。
「不要品を処分しただけですよ、マスター」
アダム・ゼロワンが答えるが、教祖はその頬に平手を浴びせた。
「愚か者。殺生は禁じると言いつけてあったはずです」
厳しい声で言い放つと、教祖は槇村の横に屈み込んで、その手を額の傷口にかざした。
神聖術特有の青い光が生じると、傷口は一瞬で消え去り、血色が戻り始める。意識こそ失ったままだが、その胸は規則正しく上下に動き始めていた。
「さすがはハルメニウスの力ね。死んですぐならば、こうも簡単に蘇らせることができる」
それを口にしたのが小夜楢未来でなければ、深天も少しは素直に喜べたかもしれない。
立ち上がった教祖の後ろでは頬を叩かれた男が顔をしかめ、深天ソックリの女がせせら笑っている。
深天は震える声で教祖に問いかけた。
「どういうことですか、教祖様?」
今さら何を訊かされたとしても納得できるはずもないが、それでも問いかけずにはいられない。
「ごめんなさい。あなた達を苦しめるつもりはなかったの。それでも、わたしは……」
何かを答えよととする教祖。深天はもちろんだが、未来もそれに注目していた。
その隙を突くようにアダム・ゼロワンとイブ・ゼロワンが、突然両脇から未来を羽交い締めにする。
「なっ……!?」
声をあげる未来。
状況に思考が追いつかず、深天はただ茫然とするばかりだった。