「耀!?」
教祖の名前を呼ぶ未来だが、ふり返った教祖の顔は能面のように無機質なものに変わっていた。
「よくやった」
口を動かしたのは教祖だったが、それが発した声は彼女のものではない。男のものとも女のものとも判断がつかない異質な声だ。
「なっ!? お前はいったい――!?」
未来が叫び、教祖の顔をしたそれが冷たい声で答える。
「我は神だ」
「ま、まさか……」
「そのまさかだよ、小夜楢未来」
答えたのはアダム・ゼロワンだ。未来の腕をつかんだまま冷ややかに嗤っている。
「ハルメニウス様が教祖の身体を乗っ取るためには、彼女に強い力を使わせる必要があったんでね」
意識を失ったままの槇村に冷ややかな視線を向けて続ける。
「こいつには悪いけど、とりあえず一回死んでもらったってわけさ」
「そんなバカな。ハルメニウスなんてただの力の場に、こんな明確な意思があるはずが……」
困惑する未来の前で、教祖の姿をしたハルメニウスが淡々と答える。
「我は力の場などではない。もともとが肉体を失った神なのだ」
「神? 神様!?」
「驚くことはあるまい。お前自身、六年前にここで神の獣を喚び出したのだ。それが事実を物語っている。神の獣がいるならば、それを生み出した存在がいるのも当然だ」
「そんな……」
目の前の現実を拒絶するかのように首を左右に振る未来。
そんな彼女にイブ・ゼロワンが囁きかける。
「今までご苦労様。正直、ちょっと妬ましいけど、ハルメニウス様は、あんたをご所望なんだってさ」
「……ご所望?」
不快な響きだ。その言葉にはどう考えても不吉なニュアンスしかない。
「最初は、そこの小娘を器にするつもりだったのだが……」
ハルメニウスが指差したのは深天だった。反射的に身を竦ませるが、すぐに視線を未来に戻して続ける。
「お前の方が私の
「なっ――」
絶句する未来。
ようやく深天にも話が見えてきた。つまり、ハルメニウスは自らの復活のために、魔女の身体を乗っ取ろうとしているのだ。
「い、いやよ、冗談じゃない!」
未来は自由を取り戻そうと必死になってもがくが、アダム・ゼロワンとイブ・ゼロワンに抑えつけられて、振り解くことができない。
「無駄だよ。魔力を打ち消す指輪を押しつけているから魔術も使えないはずだ」
嘲笑うアダム・ゼロワン。どうやら、この状況を楽しんでいるようだ。槇村と同じ顔をしているが、内面は似ても似つかないらしく、彼が見せたことのない邪な表情を浮かべている。
未来は彼の足を踏みつけ、かかとで臑を蹴るが、相手は顔色ひとつ変えない。おそらくは魔力による超人化によって肉体強度を増しているのだろう。一方の未来は魔力を打ち消す指輪の力とやらで、普通の少女さながらの力しか出せないようだ。
ついには抵抗をあきらめ、項垂れる未来の瞳を、ハルメニウスは能面のような顔のまま覗き込んだ。
「理不尽な話ではあるまい。私が力を使わなければ、もともとお前は六年前に死んだままだったのだ」
未来は青ざめた顔を上げてハルメニウスを見つめ返した。
「あれは、あなたが……」
「そうだ、その貸しを返してもらうだけだ」
淡々と告げるとハルメニウスは口元を歪めて無味乾燥な笑みを形づくる。ようやく表情が浮かんだわけだが、深天にはそれもまた能面のように見えた。
その顔のままハルメニウスが未来に告げる。
「だが安心しろ。お前の願いは叶えてやる」
「……本当に?」
「私は神だ。嘘などつかん」
これまですべてを欺いておきながら、そいつは臆面もなく言い放った。
「さすがに十年以上も前に死んだ者を呼び戻すには、完全な形での復活が必要となる。お前はそのための器なのだ」
「そう……それなら……」
すべてをあきらめたように未来は弱々しく笑った。
騙されている。いや、あえて騙されることで救いがあると信じ込もうとしているようだ。
深天にはそう見えていたが、指摘したところでどうにもならない。
先ほどから、ハッキリと感じているのだ。ハルメニウスなる神の絶大な力を。それが真実神なのかどうかは深天には分からないが、人が抗える存在とはとうてい思えなかった。
ただ、それでもひとつだけ確かめなければならないことがある。
「アダムとイブと言いましたわね」
名を呼ぶと、そいつらは揃って深天に顔を向けた。
「あなた達はなんなのです? どうして、わたしと槇村に似ているのですか」
「おいおい、さっき俺がそいつをゼロツーと呼んだのを聞いていなかったのか?」
アダム・ゼロワンが視線で槇村を示す。
続いてイブ・ゼロワンが冷ややかに告げてきた。
「わたし達はハルメニウス様によって生み出された新世代の
「何をバカな。わたしは人間です。その証拠に家族がいて、これまでの人生も……」
言い返しながら、それを思い浮かべようとして、ふいに気づく。
「……え?」
思わず間の抜けた声を出した深天を見て、ふたりの
「わたし……は……」
戸惑う深天。
両親がいるという知識はある。卒業した中学の校名も、その場所も思い出せる。だが、それらはあまりにもスカスカで実像に結びつかない。親の顔さえ思い出せなかった。
そんな深天を見下ろすようにしながら、イブ・ゼロワンが種明かしをする。
「お前は教団のシンパを増やすためのコマだったのよ。学園生活に融け込むために、教祖の記憶をベースにした偽りの情報が刷り込まれていただけで、実際には造られてから、まだほんの数ヶ月しか経っていないわ」
「わたしは……わたしは……ゲームが好きで、ホットケーキが好きで……」
自分の情報を記憶の中から必死でかき集めて、相手の言葉を否定しようとする。
「だから、それって教祖そのものでしょ」
言われて気がつく。教祖とは不思議と好みが合致した。好きな色、好きな食べ物、好きな音楽など様々な分野で話が合った。
だが、それも当然だ。
聖深天は教祖である朝日向耀をベースにして造り出された人形だったのだから。
心の奥底から滲み出た絶望が意識を黒く塗り潰していく。
その傍らでハルメニウスが
「邪魔者が迫りつつある。急いでその娘を祭壇に設置しろ」
「はっ」
アダムとイブが返礼して、未来を祭壇へと引きずっていく。
天を覆う結界の向こうでは遠雷が響き始めていた。