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第121話 前方不注意

「何事だ!?」


 屋敷の中から飛び出してきた槇村が叫ぶのを聞いて、エイダはゆっくりふり返った。


「見てのとおり、この娘を助けるために仲間たちが乗り込んできたんですよ」


 そのままを告げるが、槇村は納得しかねるようだ。


「そんなはずはない! 連中は逃げ出し――ぶがっ」


 突然悲鳴をあげて槇村が吹っ飛ぶ。派手に宙を舞った後、ゴロゴロと雪の上を転がり、ちょっとした雪だるまが完成した。

 まるで何かに撥ねられたようだとエイダは思ったが、実際それはあたっていた。

 彼女が見つめるその先で、まるで空間に滲み出るかのように、魔力を身に纏ったエクウスが姿を現す。


「悪い、前方不注意だ」


 馬上でつぶやいたのは当然ながら雨夜希美だった。どうやら村の端で起きた騒ぎは陽動だったようだ。

 希美の後ろには朋子が跨がっており、彼女は飛び降りると同時に金色の大金槌ロングハンマーを構えた。

 エイダに向けてではない。ようやく敵に気づいて動き出したセラフに向かってだ。


「エイダちゃん、そっちは任せるよ」


 当然のように告げてくる。

 その信頼は嬉しかったが、正直相手が悪い気がする。


「セラフ相手にタイマンとか無茶を言ってくれますね」


 嘆息しつつも、エイダは聖剣ブライトスターを鞘から引き抜き、左手の金色の円盾ラウンドシールドを展開した。


「あれはモドキだから安心しろ」


 ひと言告げると、希美は未来のもとへと駆け寄る。


「なるほど、ニセモノでしたか」


 うなずくエイダ。言われてみれば納得だった。どう考えてみても、ハルメニウスなどに、ホンモノのセラフが喚び出せる道理はない。

 もっともニセモノだからといって与しやすい相手とは限らない。むしろ、相当に危険な相手に思える。

 それでも臆することなく、エイダは大地を蹴った。

 足場の悪い雪上ではスピードが損なわれるが、常人とは比べものにならない速さで駆けると、セラフの姿をした敵めがけて聖剣を振り下ろす。

 硬質な音が響き、弾き飛ばされるが、斬撃の痕はくっきりと敵に刻まれている。


「動きは鈍いようですが、怖ろしく硬いですね」


 手のしびれに顔をしかめるエイダ。

 あるいは、こういう手合いには朋子が手にしているような打撃武器の方が有効かもしれない。

 どう相対するかを模索するエイダの背後で、突然どす黒い魔力が膨れあがる。


「おのれ、やはり貴様かぁぁぁっ!」


 エイダは慌ててセラフから距離を取って声の方向へと視線を向けた。

 身体から凄まじいばかりの魔力を溢れさせながら、ハルメニウスが憤怒の形相を浮かべている。

 希美はなぜか十字架によじ登っており、その上から小馬鹿にしたような顔で、ふてぶてしく挑発した。


「久しぶりだな、ハルサメウス」

「ハルメニウスだ!」


 マリスにしては意外に人間くさく、どうでも良さそうなところに拘っている。


「悪いが、この女の身体はお前には渡せない。いや、本当はぜんぜん悪いなんて思ってないけどな」


 希美が告げた途端、未来を磔にしている十字架が見えない力によって大地から引き抜かれる。

 唖然とするハルメニウス。

 十字架を浮かすていどの芸当は魔術師ならば誰でも可能だが、未来が縛り付けられている十字架は儀式のためにハルメニウスが用意した物だ。当然ながらハルメニウスの魔力が込められている。

 それに別の魔術を作用させるのは並大抵のことではない。

 希美はハルメニウスの驚きの理由に気づいているらしく、軽い口調で説明する。


「ああ、これか? べつにお前の魔術を上書きしたわけじゃない。ちょっと書き換えさせてもらっただけだ」

「バカな!」


 愕然とするハルメニウスの前で十字架はそのまま高々と空中に舞い上がる。


「待て!」


 慌てて叫ぶハルメニウスだが、もちろん希美は待たなかった。そのまま十字架の背中に乗って、一瞬後にはジェット機のような勢いで飛び去ってしまう。


「おのれぇぇぇ! 小娘が! 逃がさんぞ!」


 ハルメニウスは完全に頭に来て冷静さを失くしていた。目の前にいるエイダや朋子にはまったく注意を払わずに、自らも生身で宙に浮かび上がると、飛び去った十字架を追って、吹雪が吹き荒れ狂う白い壁の向こうへと消えていった。

 希美たちのことは気になるが、エイダは正直ホッとした。これで目の前の敵にのみ集中できる。

 聖剣を手に向き直ると、セラフを模していた敵は、達磨のように身体を膨らませて全身から無数のトゲを生やし始める。

 どこかウニを連想させる姿になった敵を見て、そのまま転がってくるのではないかと予測するエイダだったが、それは外れていた。

 セラフモドキのトゲは伸縮自在の触手であり、それを鞭のようにしならせながら、エイダを突き刺そうと振り下ろしてきたのだ。

 さながら銛の雨である。

 素早く距離を取って、かわしきれなかった分は聖剣で打ち払い、そのうちの一本を切り飛ばすが、返ってきたのは金属のように硬質な手応えだった。


「あれだけうねうね動いているというのに!」


 マリスの不条理さは今さらのことだが、堪らず吐き捨てる。

 背後では朋子がもう一体を相手にしているが、やはり攻めあぐねているようだ。


「朋子先輩、こいつはわたしたちだけじゃ、分が悪いです」


 振り向くことなく声をかけると、彼女もすぐに答えてきた。


「みたいだね。どうしよう?」

「逃げましょう」

「どうやって?」

「馬で」


 希美が乗ってきた馬は、今もすぐそこに立っている。

 当然ながら騎士であるエイダにとっては乗馬など手慣れたものだ。


「賛成!」


 朋子が答えると同時にエイダは身を翻らせて馬の背に跳び乗った。

 その後ろに朋子がしがみつく。

 深い雪のせいで足場は悪いが、幸いセラフモドキは動きが遅い。走り出した不思議な馬エクウスは、あっという間にセラフを置き去りにして、廃村の中を駆け抜けていく。

 もちろん、いくら動きが遅いとはいえ、追ってこないとは思えないが、ひとまずは篤也たちと合流するのが先決だった。

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