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第133話 ハルメニウスの正体

 金色の鎌プレアデスが自らの身体を縦に裂いた瞬間、ハルメニウスが味わったのは凄まじいばかりの衝撃だった。


「げあぁぁぁぁーっ!」


 絶叫を上げ、空中でもんどり打つ。五感はもちろん、魔力的な感覚までもがパニックを起こしてしまい、上下左右の感覚すら喪失した。

 反射的に斬り裂かれた自分の身体をつかもうと闇雲に手を伸ばすが、実際に斬り裂かれていたならば、そんなことができるはずもない。

 しばしの間、時間の感覚すら曖昧になっていたが、混乱が収まってくると、さほど時間が経っていないことに気づく。だが、その時にはもう地表は目前に迫っており、墜落を免れることはできなかった。

 ハルメニウスは、うずたかく積み上げられた雪山を半ば粉砕しながら、数百メートルの距離を転がった末に、ようやく動きを止める。

 寸前で防御結界を張ったことで肉体の損傷は免れたが、そうでなければ確実に生命活動を停止していただろう。

 だが、これは幸運に感謝する場面ではない。なぜならば――


「ぐぅぅ……あ、あの女、手加減しやがった……!」


 呻き声を上げながら、受け入れがたい現実を認める。この結果はすべて、あの小生意気な魔術師の計算どおりだったのだ。

 そうでなければ金色の鎌プレアデスの一撃で、の身体は実際に両断されていたはずだ。

 しかし、あの瞬間、魔術師はハルメニウスが支配しているイブ・ゼロスリーの器ではなく、の存在そのものでもある魔力のみを削ぎ取っていった。


「あ、あの女、希美とか言ったか……」


 なんとか身を起こしながら、ようやく魔術師の名前を思い出す。


「わたしが支配しているこの女を救おうとでもいうのか」


 思いつく可能性はそれくらいだ。

 実際のところ、それは可能なことではあった。

 儀式の成功による定着であれば器の魂はハルメニウスに吸収されて朽ちるはずだが、今は仮住まいに過ぎない。


「このわたしを相手に舐めた真似をしてくれる」


 憤りを言葉にしながら立ち上がると、反撃のための術式を構築しようとするが、ダメージのためか遅々として進まない。術が完成するよりも希美が急降下してくる方が明らかに先だった。

 ハルメニウスは、やむを得ず術式を切り替えて全力で防御壁を構築する。攻撃よりも防御の術式の方が簡単なのだ。

 受けたダメージは小さくなかったが、魔力の出力では未だ相手を凌駕している。

 希美は金色の鎌プレアデスを槍状に変形させて突撃してくるが、ハルメニウスが生み出した光の盾は、その一撃を見事に受け止めた。

 質の異なる魔力がぶつかり合い、ガラスをこすり合わせるような異音を響かせながら、スパークを撒き散らす。


「その武器の力は認めるが、届かなければどうということはない!」


 ハルメニウスは嘲笑うように告げると、さらに魔力の圧力を上げて、そのまま希美を弾き飛ばす。

 その隙を突くように背後に回り込んでいた未来が金色の傘アンブレラを突き刺そうとしてくるが、はこの動きも読んでいた。

 イブ・ゼロスリーの身体を借りているとはいえ、ハルメニウスの本質は霊体だ。その気になれば、目に頼らずとも背後が見えるのである。


「バカめ!」


 素早く身をかわすと、魔術で吹雪を巻き上げて未来の視界を眩ませる。


「うっ……」


 こちらを見失って呻く未来の背後に素早く回り込むと、ハルメニウスはその身体に飛びついた。

 そのままイブ・ゼロスリーの身体を捨てて彼女の身体に入り込もうとする。

 もちろん儀式なしでは完全定着は不可能だが、この身体さえ手に入れてしまえば、後はどうとでもなる。ひとまずどこかに潜伏し、後日邪魔の入らないところで儀式をやり直せばいいだけだ。


(今回の件で私は学習した。人間を侮ってはならない。そもそも意趣返しなど考えたのが間違いだった。最初から未来ひとりを狙っていれば良かったのだ)


 内省するハルメニウスだが、それはまだ不十分だった。

 突如として未来が身につけているバニースーツから銀色の魔力光が生じ、ハルメニウスは大きく弾き飛ばされてしまったのだ。


「なにぃぃぃっ!?」


 雪原の上に叩きつけられて慌てて身を起こそうとするが、身体を乗り換えようとしていたため、イブ・ゼロスリーの身体を支配し直すのに多少の時間が必要になる。

 もちろん、それを敵が見逃すはずがない。

 獰猛な笑みを浮かべた希美が金色の鎌プレアデスでハルメニウスを薙ぎ、正面からは未来が金色の傘アンブレラを突き刺してくる。

 どちらの一撃も肉体を傷つけることはなかったが、それに取り憑いているハルメニウスにとっては致命的なダメージだった。


「ぐぁぁぁぁぁっ!」


 絶叫を響かせながら雪の上に倒れ伏す。


(やられた……力の大半を削り取られた……こいつは……すべて計算ずくで……)


 呪い殺そうとするかのように怨嗟のこもった眼差しを向けるが、希美はそれを平然と見つめ返してくるだけだ。

 もはや手脚すら満足に動かせず、歯ぎしりするハルメニウスの周囲に、さらに複数の気配が近づいてくる。当然ながら、味方であるはずがない。


「やったのか?」


 篤也の声だ。

 この時、ハルメニウスは奇妙な感情がざわめくのを感じた。おかしなことに一瞬ほっとしかけたのだ。

 だが、考えるまでもなく彼は敵だ。雑念を振り払って残された魔力をかき集めようとするが、さらなる敵が姿を現し、ハルメニウスを取り囲む。慚愧と朋子だ。

 大刀を構えることすらなく慚愧がつぶやく。


「どうやら虫の息のようだな」

「ああ、バニースーツはダテじゃない」


 希美が答えるのを聞いて未来が顔をしかめた。


「確かに役に立ったけど、お陰で一生もののトラウマになりそうだわ」


 どうやら未来が身につけている魔法の服は、希美が用意したもののようだ。

 やはり何もかもが、この小生意気な魔女の筋書きどおりだったのだ。

 本来、ハルメニウスの魔力は絶大で、世界有数の魔術師である希美と比較しても、天と地ほどの開きがあった。普通の魔術師であれば最初から戦おうとさえしなかっただろう。

 だが希美は力の差を理解しながらも平然と戦いをしかけてきた。しかも終始ハルメニウスを翻弄して、一方的な勝利を収めてみせたのだ。

 どこまでも小癪な魔術師だった。


「ここまでだ、マリスよ。もはや逃がさん」


 金色の回転鋸バトルソーを手に、篤也が宣告してくる。その声は冷ややかだったが、それとは対照的に彼の瞳には炎のような意思が宿っていた。


「なぜだ!?」


 理不尽さを感じてハルメニウスが叫ぶ。


「わたしが神としての復活を果たせば、貴様たちが失くした大事なものも取り戻せるのだぞ! 死という絶望を消し去り、この世を真の楽園に変えたくはないのか!?」


 憤慨しながら喚くが、希美はその言葉を淡々と否定する。


「お前には無理だ。神聖術で未来を救えたのは、彼女が完全には死んでいなかったからだ。いわば救命措置が間に合ったに過ぎない」

「そんなことはない! わたしは人類の悲願を叶えるために生まれた神なのだ!」

「誰がお前にそれを願ったのか、お前は覚えているのか」


 やるせない声に視線を移すと、慚愧がなぜか哀しげに見下ろしいた。


「誰が……だと?」


 訝しむハルメニウス。


「お嬢様を失くしたあの日、俺はずっとそれを祈り続けていた。あの屋敷でな」

「慚愧? お前は……」


 驚く篤也に、慚愧は寂しげな笑みを向けた。


「俺はお嬢様の付き人だった。もちろん、あんたとも会ったことがある」

「私と……?」

「分からないのも無理はない。当時の俺は子供だったし、計画に参加するために人造生命体ホムンクルスの技術を応用して自分の身体を造り変えたからな」

「では、あの日もお前はここに……」

「ああ、ずっと泣きじゃくりながら、一心不乱にそればかり念じ続けた。たぶんハルメニウスこいつは、それを聞いていたんだろう」


 ふたりの会話はハルメニウスにとってはどうでもよいものだった。まったく心当たりもなく無意味な戯れ言にしか思えない。は生まれながらにして神のはずだった。

 しかし、どうしてこんなにも心がざわめくのか。どうして泣きたい気持ちが抑えられないのか。


まもる……」


 気がつけばハルメニウスは無意識にその名を口にしていた。


「なに……?」


 本名で呼ばれて慚愧が息を呑む。

 呼ばれた相手以上に困惑するハルメニウスだが、さらに追い打ちをかけるように希美が疑問を呈してきた。


「ハルメニウス、そもそもお前は何者だ? 魔術を操るマリスは、それほど珍しいものではないが、多くの場合それはデタラメでナンセンスなものだ。だが、お前が扱う術式は西御寺家特有のもので精度も高い」

「なんだと?」


 愕然とする篤也。

 一方でハルメニウスは今さらながらに、西御寺の名に奇妙な郷愁を感じていた。

 まるで遠い時代にその名で呼ばれたことがあるような、そんな気さえしてくる。


「どういうことだ、雨夜? まさか、そいつは……」


 篤也の声は微かに震えている。


「前に先生が話してくれただろ。先生の妹の話を」

「まさか……」

「正直、あまり考えたくはなかった。でも……」


 希美はハルメニウスに向き直って、その名を呼ぶ。


「西御寺雪菜。それがお前の名前のはずだ」


 ようやく顔を上げたハルメニウスの脳裏に、堰を切ったかのように流れ込むものがあった。

 それは遠い昔に見失ってしまった大切な――人であった頃の記憶だった。

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