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第134話 雪菜

「お嬢様……どうしてですか。どうしてお嬢様がこんな……」


 年端もいかない少年が泣きじゃくるのを雪菜は困った顔で見つめていた。

 彼の名は矢満田やまだまもる

 西御寺家の御令嬢である雪菜の近侍として雇われた年端もいかない少年だ。大人しくて争いとは無縁なやさしい性格で、彼女にとっては数少ない気を許せる友人だった。


「ごめんなさい、鎮。でも、わたしは一族の道具として生きるよりも、人として果てたいのです」

「でも――」


 雪菜は人差し指を少年の唇に押し当てて続く言葉を遮る。


「あなたもご存じのとおり、わたしも母も、より強い術師を一族にもたらすために、禁術によって存在を歪められた自然ならざる存在です。生き続ければ、たとえ望まずとも、その宿業に殉ずるしかない」


 言ってみれば子供を産むための道具だ。

 それは女を冒涜し、人の尊厳を平然と踏みにじる、いかにも西御寺家らしいやり方だった。

 母の胎内にいる間に施された術式によって、無尽蔵にアイテールを吸収する体質に変えられてしまった雪菜は、ただでさえ長く生きることが叶わないが、現当主にして父親でもある一清かずきよは、さらに非情な運命を雪菜に突きつけてきた。

 西御寺家の未来を担う新しい命を生み出すために、長男である壮一郎の子を産めと命じてきたのだ。

 あまりにも異常で理不尽な命令だが、裏社会で名家として名を馳せる西御寺家では、ありふれた話だ。

 もちろん、兄の篤也がこのことを知れば命懸けで雪菜を守ろうとするだろう。

 だが、父の一清は邪魔になれば実の息子でも平然と手にかける男だ。いくら篤也が凄腕の魔術師でも、西御寺家を敵に回して生き延びられるはずがない。

 彼には絶対に話せないし、こんな醜い秘密は、自分の出生も含めて、何も知らないままでいて欲しかった。


「でも……でも……こんなのあんまりですよ」


 雪菜は泣きじゃくる少年の頭にそっと手を乗せて頭をやさしく撫でる。


「ありがとう、鎮。だけど、わたしはあなたや篤也兄さんに出会えて幸せでした。たとえ短い人生でも、この幸せだけは誰にも否定させません。そのためにも、わたしを止めないで下さい」

「雪菜お嬢様ぁぁぁ……」


 少年は哀れな声を出しながら、その場に膝を突くと、拳を握って床を叩きつけた。

 繰り返し、繰り返し、運命を呪うように拳を振り下ろす。


(やっぱり、あなたも男の子ですね)


 大人しい少年が初めて見せる攻撃的な振る舞いに、やや場違いな感慨を抱きながらも、雪菜は彼の頭にそっと手を触れて、眠りの魔術を作用させた。


「雪菜……お嬢……」


 驚いたようにこちらを見る少年の目が魔術の効果によって焦点を失う。


「鎮、いつも一緒に遊んでくれて、ありがとう」


 眠りに落ちた彼の身体を抱き留めると、雪菜は愛おしそうにその頭を撫で続けた。


「いつも悪役ばかり押しつけてごめんなさい」


 悪辣な我が家を憎む反動か、雪菜は女の子ながらに正義の味方が活躍する特撮番組が大好きだった。

 その物語の中では、たとえ悪役であっても気高い誇りを持っている者がいたが、現実の悪の組織にはドラマのような華はない。どこまでも邪でおぞましいだけだ。

 ゆっくりと近づいてくる足音に顔を上げると、そこに次男の星史郎が立っている。

 雪菜にとっても篤也にとっても、あまり縁のない相手だったが、今回の件では妹のために心を砕いてくれていた。


「雪菜、頼まれた物を持ってきた」


 黒く澱んだ水晶玉を手に彼は陰鬱につぶやいた。


「ありがとうございます、お兄様」


 受け取ろうと手を伸ばすと、彼は怯えたように手を引っ込める。


「ダメだ、やはりこんな……」


 雪菜は無理に奪おうとはせず、手を差し出したまま微笑みかける。


「お兄様、ごめんなさい。でも、どうか雪菜の最後のワガママを叶えて下さい」

「けど、これを手にしたら、お前はもう……」

「生き続けたところで、わたしを待つのは地獄です。どのみち命を絶つしかありませんが、どうせならば、せめて最期は納得のいく形で迎えたいのです」

「雪菜、お前はそれほどまでに篤也のことを……」


 その問いに、雪菜は微笑みで答えた。

 星史郎には、それでじゅうぶんに伝わったようだ。


「分かったよ。親父への報告は俺がする。上手い具合に誤魔化してな」


 諦観の笑みを浮かべながら、彼は黒い水晶をもう一度差し出すと、躊躇いながらも雪菜の白い手に乗せた。

 そこに込められているのは雪菜にとっては致命的な負のアイテールだ。

 これを身に帯びた以上、もはや一日と生きてはいられないが、すぐに篤也がここに来ることは星史郎が念入りに確かめてくれている。


(後はお別れをすませるだけです)


 居間に置いてあるピンクの目覚まし時計を見つめて時間を確かめる。

 それは安物だが、篤也が子供の頃に買ってくれたもので、雪菜にとっては一番の宝物だった。

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