「うっ……うぅぅ……」
膝立ちのまま両手で頭を抱えるハルメニウス。
その身体はイブ・ゼロスリーのもので深天とは瓜二つだが、雪菜とは似ても似つかない。
しかし、そこに宿っている魂は……。
「どういうことだ……私はあの時、確かに……」
篤也の声は震えていた。信じられない思いで自分の手の平を見つめる。
そこにあるのは暗殺者として数多くの命を奪ってきた血塗れの手だ。始まりは他ならぬ自分の妹の命。怪物化しかけていた彼女を、この手で確実に仕留めたはずだった。
絡みつく血の熱さを、急速に失われていく愛する者の体温を、篤也は今も忘れることができない。その痛みと慟哭は生涯消えることはないだろう。
だが、それほどの想いを抱え込んで生きてきたというのに、自分は妹に安らかな死すら与えることができていなかったというのか。
茫然と立ち尽くす篤也を、ハルメニウスもまた茫然と見つめ返していた。
(しっかりしろ、西御寺篤也。自分の立場を忘れるな)
篤也はなんとか平静を保とうと自分に言い聞かせる。
受け入れがたい現実を前に、すべてを否定して逃げ出したくなるが、それが許される立場にはない。
地球防衛部の顧問として、かつての非道に対する購いのためにも、そして何よりも愛する妹のために、ここで踏み留まるしかない。
篤也はハルメニウスの前に屈み込むと、そっと頬にふれた。
「ハルメニウス、お前は……本当に雪菜なのか?」
ハルメニウスは口をつぐんだままで、篤也の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。どこか懐かしげで、ひどく哀しげな表情を浮かべるが、それも一瞬のことだ。
突然、口元を歪めると、ハルメニウスは隠し持っていたナイフで篤也に襲いかかってきた。
「くっ……」
失策を悟る。このタイミングではかわしようがない。まともに心臓を貫かれるだろう。見守っていた仲間たちも、さすがに割って入る暇はない。
しかし、ナイフは篤也の胸に届くことはなく、呆気なくハルメニウスの手をすべり落ちる。
「おのれぇぇっ、役立たずの身体よ!」
ナイフを取り落とした自分の手の平を睨みつけるようにしてハルメニウスは喚いた。
「せっかく相手がバカな勘違いをして、隙を見せてくれたというのに台無しではないか!」
「勘違いだと!?」
声をあげたのは慚愧だ。卑劣な不意打ちに憤りながら大刀の柄に手を伸ばす。
ハルメニウスはそれを見て歪な笑みを返した。
「そうだ、ワシは雪菜そのものではなく、あの娘に取り憑いたマリスよ!」
「では、お前は雪菜の仇か――」
不意打ちによってバランスを崩していた篤也も、素早く身を起こすして
朋子と未来も同様に身構えるが、ハルメニウスは臆することなく嘲笑の声を響かせた。
「お前には感謝しているぞ、篤也! お前が手心を加えてくれたお陰で、ワシは雪菜の中で生き延びて、この計画を練ることができたのだ!」
「貴様っ」
篤也の顔が強ばるが、ハルメニウスは意に介することなく身を翻して、今度は慚愧に向き直る。
「お前もだ、矢満田鎮! お前の言葉は人々を惑わすための良いヒントになった! 誰しも死んだ人間が戻ると聞けば心に大きな隙ができるのでな!」
「おのれっ……!」
怒りとともに大刀を振り下ろしかける慚愧だが、ギリギリでその手が止まる。
「アハハハハ! そうだな、鎮! お前の武器ではこの身体の持ち主も死んでしまうからな!」
哄笑を残してハルメニウスが宙に舞い上がる。
「まだ飛べるの!?」
驚く朋子に続いて、未来が叫ぶ。
「待ちなさい!」
「バカめ! 待てと言われて待つ奴がいるか!」
ハルメニウスは高笑いを上げながら飛び去ろうとする。
未来は追跡のために慌てて飛行術式を組み上げようとするが、希美がそれを制止した。
「待て、わたしが追う」
「でも……」
「罠の可能性もある。あいつの狙いはそもそもお前だからな」
「だからって……」
なおも抗弁しようとする未来には答えず、希美は飛行術式によって素早く空へと舞い上がると、猛スピードでハルメニウスを追っていった。
どうやら最初から飛行術式を解くことなく維持し続けていたようだ。
「ひとりで追うのはもっと危ないでしょうが」
未来の意見はもっともなものに思えたが、それを朋子がなだめる。
「希美ちゃんなら心配はいらないよ。それよりも村の方で戦ってるみんなが気になるし、ひとまずそっちに合流した方がいいんじゃないかな?」
向こうにはエイダと耀がいるとはいえ、残りの三名は素人も同然だ。朋子の意見には一理ある。
そもそも、この中で飛行術式を操れるのは未来だけだ。いち早く村に戻るためには彼女に運んでもらう必要があった。
「全員を抱えて飛べるか?」
篤也が訊くと、未来は目を丸くしてから肩をすくめた。
「触媒でも用意しない限り、魔術で抱えて飛べるのは、自分が持ち上げられるていどのものが精一杯よ」
「よし、頑張れマッスルバニー」
「無理だって言ってるのよ!」
目くじらを立てる未来。
篤也は心に重くのしかかる悲しみを隠したまま微かに笑ってみせた。