2050年、地球にダンジョンが発生してから25年。
突如人類の生存圏を侵す形で現れた異空間、そしてその中に巣食うモンスターという未知の存在。
初めにたくさんの人が死に、住む家を追われ、そしてモンスターが氾濫したりなんかして更にたくさんの人が死に、人類の生存可能領域は狭まるばかりだと思われていた時代もあったらしい。
らしい、というのは歴史の教師が適当だから、というか
色々あったらしい。
ダンジョン省が設立されたり、力を持つ者が集まってダンジョンを攻略して消滅させたり、ダンジョンやモンスターから採れる資源が有用だと研究されたり。
詳しい年号は或斗の人生に必要無いので覚えていない。
ハッキリ言おう、世の中クソである。
いや、正確に言えば或斗のような境遇にある孤児の人生がクソなのであって、そうでない人間の方が多い世の中は一般的には安定している。
或斗は世の中の底辺に位置し、幸か不幸か現代社会のヒエラルキーは底辺の数が少なく出来ているようである。
さて、では現在の社会のヒエラルキーを構築している要素とは何か、という話をするならば、それは「ダンジョン適性」というものである。
ダンジョンが発生した25年前から、地球人類は変質を始めた。
その変質は、力が異様に強くなったり動きが速くなったり、どうなっているのかわからないが魔法なんか使えるようになったりするものである。
概ねは地球人類の戦闘民族化だと思ってもらっていい。
タイミング的にモンスターと戦うために与えられたのではないかという何だか都合の良すぎるファンタジー能力を、人々は「ダンジョン適性」と名付け、様々の研究の結果その適性の高さを測る術を手に入れたのである。
高く堅牢な壁に囲われた狭苦しい安全区域の中を除けば、大体昔で言うところの山で熊に遭うくらいの確率でモンスターに行き会う世の中だ。
力こそ正義。暴力はすべてを解決する。
そういった風潮が強まり、つまりはダンジョン適性の高い人間こそが有用であり、偉いのだという思想が定着した。
それもそうだろう、モンスター氾濫が起きても大丈夫な場所なんて安全区域内くらいのもの。
それ以外の場所に住まう人間の目線で考えたとき、仕事中モンスターに襲われた際ぶん殴って生きて帰ってくる社員と成すすべなく死んで今までの育成投資を無駄にする社員、どちらが良いかと言われて後者を選ぶ人間は居ない。
もちろんモンスターに出くわす可能性の多寡は場所によるし、ダンジョン適性の中でも治療系とか、直接の攻撃力を持たないものもあるし、本当に世紀末のように力こそ全てになっているわけではない。
ちゃんと昔ながらの天下りとかコネとか賄賂は受け継がれている。
世の中クソである。
ここまで言えばもうお察しのことと思われるが、或斗のダンジョン適性は「無し」。
「無し」である。
研究と分類の結果、ダンジョン適性の最低ランクとしてFランクが設定されているが、或斗は「無し」だ。ゼロ。
出生時適性検査のときはまだ良かった。
一般的に人間は10年ないし15年ほどはダンジョン適性が伸びる可能性があると知られてきていたし、なんだかんだ16年前はまだダンジョン適性が芽生えていない人間もいるにはいたから、異常というほどでもなかった。
が、1年前、15歳時の適性検査で堂々の「無し」を出したとき、研究施設はざわめきに包まれた。
この頃にはもう、ダンジョン適性が芽生えていない人間は90歳の老人だろうと居なかった上、その最低値はFで固定されていたのである。
研究者はそんなわけはないと色々と頑張って実験をしてくれたものだが、結論として或斗のダンジョン適性は無いだろう、というところに落ち着いた。
ダンジョン適性がFランクの人間の100m走のタイムは最も遅い人で8.23秒が記録されているのだが、或斗は万全を期した状態で13.54秒。
ダンジョン発生前であれば平均より早い、中々運動の出来る子だっただろう或斗はダンジョン社会において見事最弱の人類となった。
他に重量あげとか、動体視力だとか、体の頑丈さだとか、炎を出せるか水を出せるか雷を放てるか怪我を治せるか、色々と項目はあったが、結果は省かせていただく。
研究所の測ったところによると、或斗は2025年以前基準の普通の人間だった。
そして孤児。
この世の中は孤児に、というかもう伝わるだろうが、ダンジョン適性の低い孤児には厳しい。
孤児には社会的信用がない、これはまあ旧時代からそうであったが、ダンジョン社会になってからはより一層なくなった。
ダンジョン適性が低くとも親兄弟なんてものが居れば社会的に後ろ盾がある状態なので、真っ当な就職口も望めるのであるが、孤児にはそれがまったくない。
その上孤児院は15歳を迎えた子供を養育しないからダンジョン攻略者として登録してダンジョン近くの誰も住まない空き家を斡旋してもらうしかないし、国が出す補助金はお愛想程度だし。
以下に、ダンジョン適性の低い孤児代表として或斗の一日を紹介しよう。
或斗の朝は早い。
朝というか半ば夜中である、午前3時~4時に起きる。
これはダンジョンネズミが夜行性のためだ。
ダンジョンネズミというのは25年前から地球で確認されるようになったげっ歯類に似たモンスターで、頭に小さな角があり、体長は尻尾を除いて20cmほど。
大きな特徴はどこにでもいることだ。
ダンジョンの中でも外でも、それこそ安全区域外であればどこにでもいる。
繁殖力が高すぎる故か新時代基準ではトロいモンスターであるため、簡単につかまり、孤児や貧民の貴重な食料となっている。
周辺のボロい無人の空き家に適当に入り、適当にダンジョンネズミを4匹ほど捕獲。
太い尻尾を物干し竿に括り付け首を切って適当な血抜きをし、再び寝床へ入る。
7時頃もう一度起床、今朝採れたてのダンジョンネズミを2匹ほど丸焼きにして朝食に。残りは夜用だ。
食べ終わったら身支度をして学校へ向かう。
身支度といっても顔を洗って制服を着て、見るからにダンジョン適性の無さそうな黒髪を適当に櫛でとかすくらいのものだ。
ダンジョン適性の有無というのは割と外見に出る、というか、外見に出ている人間にはほぼ確実にダンジョン適性がある、というのが統計的に提唱されている話だ。
ダンジョンが発生して人類が変質してから、髪や目の色が真っ赤・青・紫・ピンク、金や銀は元々人種によっては居たけれども、元の色から変わる人間が多く居た。
黒目黒髪がスタンダードであった日本人はその外見的変質が特に顕著であり、ファンタジーな外見になった人間には大抵高めのダンジョン適性があるのだ。
外国ではまた変わるのだろうが、日本では外見でダンジョン適性を推し量ることが多い。
ひるがえって或斗は、顔立ちはそれなりに見られるものであるものの、黒髪黒目、これまた旧時代基準で一般的な日本人の色合いだった。
毎朝鏡を見るたび、ダンジョン適性という言葉が過るのも適性弱者あるあるらしい。
そして学校というのがまた、ダンジョン社会の階級制度をしっかりと反映している施設で、ダンジョン適性B以上は1組、C~Dは2組、それ以下は3組、と組み分けされている。
或斗がいるのはもちろん3組。通称ネズミ組だ。
ネズミ組というのは1~2組の生徒たちが主に使う蔑称で、進路としてパーティのポーターかモグリになるしかない将来を、コソコソするしかないダンジョンネズミみたいだと嗤う意図や、ダンジョンネズミを食料にするしかない貧乏人という直球の見下しが込められている。
登校中に1~2組の連中と顔を合わせるとこれが面倒くさい。
「お、ネズミが昼飯乞食に来てるぞ」
「やあ、ネズミよネズミよネズミさん、世界で一番弱い人間は誰?」
「ダンジョン適性無しの遠川くんで~す」
ギャハハ、とまあこんな感じで一通り小馬鹿にされ、面倒だからと反応しないでいると舌打ちと共につまらなさそうに小突いていかれる。
世にも珍しいダンジョン適性無しの話は学校中の知るところにあり、或斗は悪い意味での有名人であった。
そんなわけで、ちょっとした災難をやり過ごして3組の教室へ入っても、誰も挨拶しないし、誰も或斗に目を向けない。
ダンジョン社会においては同病相憐れむより下には下がいるという意識の方が強くなるものらしく、クラスメイトは全員或斗を見下しているし、関わろうとしない。
或斗としても誰かと親しくお喋りしたいタイプの人間ではないため、教室に着いたら机に突っ伏して授業が始まるまで3度寝をする。
そしてやる気のない教師のダラけた授業をこれまたやる気なく聞いて過ごし、昼食を食べ、授業が終われば放課後。
一旦帰宅して着替え、最低限の荷物をバッグに入れたら準備完了。
手近なダンジョンに潜り、浅い階層で薬草や
素材換金所で今日の稼ぎ2000円ほどを受け取って家路につく。
ダンジョンでの活動時間は大体3時間程度、時給にして660円、旧時代の最低賃金を余裕で割っている。
夜は時間があるときにまとめて炊いておいた雑穀米のおにぎりをレンチン、気持ちばかりの醤油味にしたダンジョンネズミの丸焼きをおかずにいただく。
細々した家事などを済ませたらまた夜中のネズミ捕りのため早めに就寝。
これで一日はおしまい。
驚くほどにつまらない人生だ。
ちなみに、義務教育期間を終えた或斗が学校に通う理由はいくつかある。
まずは昼食に完全栄養食のレーションが無料で配布されること。
政府からの援助によって高校までの学費が格安であること。
やる気のない教師から適当にとはいえ、ダンジョンの知識を教えてもらえること。
あとは単純に、学校にでも通わないとやることが無いのだ。
稼ぎが少ないからといって長い時間ダンジョンに籠って素材集めをしていれば良い、というものではない。
安い素材は供給が安定しているため、量を持ち込めば安く買い叩かれる。
何より長くダンジョンに居るということは、それだけモンスターとの遭遇率も上がるということだ。
死の危険を考慮すると、まだ体が出来上がっているわけでもない或斗くらいの少年は出来るだけ短い時間で素材をかき集めて売るのが良い。
高校を卒業したあとの身の振り方はまた別に考えなければならないだろうが、今考えても仕方がないことでもある。
ダンジョン適性の無い孤児の将来というものは限られている。
一番良いものは亡き親の伝手や個人的なコネなんかがあって、色んな大人の足を舐めて安全な仕事に就かせてもらうこと。
これは100%運で開く道であり、具体的なコネを持っていない孤児にとっては白馬の王子様を待つくらい現実味の無い話である。
女子であれば体を売る仕事に就くのが最も手っ取り早い。
男でもその道がなくもないが、需要は女子より低いので実際に選ぶ人間は少ない。
男の場合は、ギルド(国営のダンジョン攻略者管理組織)にパーティを紹介してもらってポーターになるか、今と同じように浅い階層だけに潜ってモンスターを避けてコソコソと素材をかき集め、少ない賃金をやりくりして暮らす通称モグリというダンジョン攻略者になるかといったところ。
ポーターになる道は、運が良ければ安定した賃金とパーティという仲間を得ることの出来る、若干希望のある道だ。
そう、運が良ければ、である。
ギルドに紹介されたパーティが良い人間だけで構成されていれば万々歳、何も問題はない。
現実にそんな幸運にありつけるポーターは1割いるだろうか、といったところである。
基本的にポーターを募集しているパーティはポーターを雇うことでギルドからもらえる補助金を目当てとしている。
補助金はポーターが死にさえしなければもらえるものなので、ポーターの扱いはどんなものでもかまわないのだ。
パーティ全員分の荷物運びは基本として、食事や飲み水の用意といった雑事、運が悪ければモンスターに対する肉壁要員。
最悪なところでいくと、人殺しをスリルのある娯楽としているサイコパスパーティに雇われて、ダンジョンの中で嬲り殺しにされる。
一応国営組織であるギルドがそんなことを許すのか、という話でいくと、対外的には禁止しているが、内心はどうでもいいといったところだろう。
ポーターを雇うことで出している補助金というのは結局ダンジョン適性が低い人間に向けた福祉事業であり、言ってしまえば金食い虫だ。
ポーターになるような人間は政府にとって有益なことを成せないし、その上金までかかる。
一応人道的な観点から福祉施策は打ち出しているが、本音で語れば居ても居なくても良い人間がどう消えようがいちいち気にするほどのことでもないということだ。
とはいえ或斗は、ダンジョン適性さえあれば将来が開けるとも、幸せになれるとも思っていない。
いかにダンジョン適性が高かろうと、他人を庇って死んだりする大馬鹿の大間抜けだって居るからだ。
或斗は自分の将来に少しの希望も、目的意識も持っていなかった。
まあ、とにもかくにも、世の中クソである。
その日は日曜日、学校が休みであるので、少し離れた場所にあるダンジョンへ出稼ぎに行くことにした。
或斗の家から近いダンジョンの低階層では相場の安い薬草や蒼鉄鉱石くらいしか採れないが、無料バスで1時間ほど行った先の旧渋谷ダンジョンは規模が大きく、低階層でも貴重な薬草や人気の
その分モンスターが強かったり、強力なダンジョントラップが多かったりと生存率が下がるわけだが、或斗は適性ゼロなりにモンスターの避け方、隠れ方、逃げ方、トラップの判別方法にはある程度自信がある。
流石の或斗も、たまには白米とか、レーションの中に入っている以外の野菜なんかを食べたいとは思うのだ。
そんなわけではるばるやってきた都会のダンジョン、その入口は何だか妙ににぎわっていた。
ダンジョン攻略者たちがざわざわと1つのパーティを見て噂しているようだ。
「おい、見ろよ! 『
「あの、適性B以上だけで構成されてるっていう、若手の有力パーティか!」
「あの武器、
どうやら知名度の高い人気パーティがダンジョンに入る時間と被ってしまったらしい。
人々の視線の先には、大剣を背負った背が高くガタイの良い赤髪の男、銀髪で立派な杖を持った男、しなやかな体つきで素早そうな斥候らしき女性、それから初心者セットの革鎧を身に着けたみすぼらしい少女が居た。
「おい、あのガキは誰だ? 見るからに弱っちそうだが」
「ポーター雇ったんだろ。ダンジョンの奥まで行くつもりなのかもしれねえな」
「運の良いやつだよな、『炎の継手』のポーターが出来るなんて」
確かに、みすぼらしい少女は一人だけ自分の背丈と同じくらいのリュックサックを背負ってよたよたとしていた。
特徴の無い黒髪に黒目、体つきも平均的で、いかにもダンジョン適性が低そうである。
高校を卒業したばかりだろう年頃、人気パーティにいる割に他人の目線に慣れていない様子を見るに、最近雇われたポーターっぽい。
まあ人気パーティとはいえ、ポーターの扱いについては他と変わらないのだろう。
さして興味もなかった或斗はさっさとダンジョンへ入ってしまおうと『炎の継手』を横から追い越そうとした。
すると『炎の継手』の赤髪の男が或斗を指して笑った。
「おいおい、モグリが急いでダンジョンに入ろうとしてやがる。慌てる乞食は貰いが少ないって昔から言うのにな」
するとポーターの少女以外のパーティメンバーも一緒になって笑う。
「どうしてモグリは決まってああいう汚らしい黒いローブを好んで着るんだろうな。見てるだけでダンジョンネズミみたいなにおいがしてきそうだ」
「ねえミクリ、お仲間なんだから挨拶くらいしてやったら?」
『炎の継手』の女が、ポーターの少女をちょいと小突いた。
ダンジョン適性B以上の人間の小突きというものは適性の低い者からするとほぼただの暴力である。
今回もミクリと呼ばれたポーターの少女は後ろから強く背を押された形になり、或斗の方へ突き飛ばされ転んでしまう。
「きゃっ、あっ、荷物が」
転んだ拍子に、すぐ取り出せるようリュックのサイドに入れていたのだろうレーションや水のボトルがバラけて床に落ちた。
ミクリは慌てて床に散らばったレーションを拾う。
突き飛ばした方の女はといえば、
「ちょっとやめてよね~、アタシが意地悪したみたいじゃん。マジどんくさいんだから」
と迷惑気に顔を顰めている。
一応、或斗の存在のせいで余計な手間を発生させてしまった状態である。
仕方がないので或斗もかがんで散らばったレーションを拾うのを手伝った。
「あ……ありがとう」
「別に。一応俺のせいでもあるから」
「そんなことないよ、貴方は親切だよ」
ミクリは眉を下げて笑う。
心底お人よしなのだろうその人柄に触れて、或斗は普段であれば言わない要らぬ世話を口に出してしまった。
「ポーターなんてやってたら、ずっとこんなだぜ。嫌にならない?」
そう言うとミクリはきょとんとしてから、今度は気持ちの強さを感じさせる笑みで答えた。
「せっかく強いパーティを紹介してもらったんだもん。私は荷物持ちでも、すごい荷物持ちになって、皆に認めてもらうんだ」
或斗は心底、馬鹿だなあと呆れた。
手間ついでにレーションを1本くらいくすねておこうと思っていたのに、そんな気もなくなってしまった。
「そう」
と返して、それきり口も開かず、荷物集めが終わったらさっと立ち上がってダンジョンへ向かう。
或斗の背に、あの赤髪の男が「お前もモグリに懲りたら荷物持ち2号として雇ってやるよ!」とからかいを投げかけてきたが、振り向かずに歩いた。
或斗は少し上機嫌であるのを隠して、慎重にダンジョンの中を歩いていた。
予測していたより多くの資源が採れたのに加えて、1本でも1万円の値がつく
これは奮発して何か果物でも買っても良いかもしれない。
が、そんな内心は外からは一切察せられないように、当ての外れたモグリの様子を意識して演じる。
ダンジョン内でのモグリに人権などないも同然であり、明らかに浮かれているモグリなんかは良くてカツアゲ、悪くて強盗殺人の対象になってしまうからだ。
ダンジョンの入口まで戻って、換金所で換金、口座にお金を入れるまでは油断してはならない。
そうして悄然と見えるように歩いていると、小部屋を挟んで向かい側の通路から、何人かの話し声が聞こえてきた。
「もう帰るのかよォ、俺はまだまだいけるぜ?」
「さっきからうるさいぞダイキ、今日は様子見だけだって話してただろ。足手纏いがいる状態でどのくらい進めるのかの確認なんだ」
「ホント勘弁してよね、このダンジョン罠も多いしさあ、トロいのが居るからイライラするし」
「す、すみません……!」
「謝られてもさあ、こっちが気ぃ遣うだけだからやめてくれる?」
「ハナエもうるさい。適性Eの人間なんてこんなものだろう、そのうち僕らのペースについて来られるようになれば良し、ならなかったら別のを雇えば良い」
「が、頑張ります私……!」
「頼むぜ~、俺こんな早くダンジョンから出るのなんて初めてだよ」
どうやらあの人気パーティ『炎の継手』の連中らしい。
今日はそんなに深層まで潜らなかったらしく、遠目に見て装備や体に目立った損傷はない。
しかし行きも帰りも一緒になるとは、今日の或斗は運があるのかないのか。
連中が小部屋を過ぎれば、あとは一本道、帰り路が同じになる。
また絡まれたら面倒極まりない、或斗はローブのフードを目深にかぶった。
大抵のモグリは初心者セットの革鎧に黒っぽいローブのいでたちをしている。こうしていれば朝のモグリと同一人物だと気づかれることもあるまい。
いっそ隠れて連中が通り過ぎるのを待ってから帰ろうか、そんな考えで小部屋の手前で逡巡していると、『炎の継手』たちはあまりにもダラけた様子で、無警戒で小部屋に入った。
あ、と或斗は思った。
強めのダンジョンといっても、入口付近だ、万が一など考えもしていなかったのだろう、そういった気の緩みで、ダイキと呼ばれていた赤髪の男は何気なく小部屋の床を踏んだ。
よく見れば分かる、ダンジョントラップの発動床を。
瞬間、床が光り、幾何学的な魔法陣がぐるりと部屋を囲う。
あの紋様はワープトラップだろう、と或斗は予測をつける。
ワープトラップには2種類あり、それぞれ踏んだ者がダンジョンの全く違う場所へ飛ばされるもの、踏んでしまうと強力なモンスターがその場に召喚されてしまうものだ。
今回は後者だったらしい。
『炎の継手』の目の前に、轟々と燃える毛皮と鋼のように銀に光る鋭く長い牙を持った双頭の獅子が現れた。
双頭の獅子は見上げるに3mほどはありそうで、少なくとも軽トラックよりはずいぶん大きい体躯をしている。
燃える毛皮のせいか、いきなり周囲の気温が10℃は上がり、小部屋の外に居る或斗もフードの中で急に汗が垂れるのを感じた。
「おい! 嘘だろ、何だよコイツ! 見たことないモンスターだぞ!」
「僕も見たことが無い、かなり深層のモンスターだ! 慌てるな、氷属性で迎え撃つから時間を稼げ!」
「ダイキの馬鹿! 最悪なんですけど!」
なるほど人気パーティだけあって、それなりに修羅場はくぐってきたのだろう。
突然の強敵に一瞬浮足立つも、すぐに立て直し、ダイキは前衛を、ハナエと呼ばれていた女は攪乱役の中衛を、もう一人の銀髪は後衛として魔法行使の準備に入ったようだった。
ダイキの大剣は盾の役割も果たしているようで、上手く敵の攻撃をさばき、ハナエが敵の気を引いた瞬間を狙って大振りの一撃を入れる。
銀髪の男も中規模の氷属性魔法を使い、獅子にいくらかダメージを与えているようだ。
或斗は迷った、ダンジョンの入口へ戻るにはこの小部屋の前を通らなければならない。
『炎の継手』たちが気を引いている間に逃げられるものか、その際こちらにあの獅子の注意が向いたりしないものか、ならば『炎の継手』たちが獅子を討ち取るのを待って行動すべきか、そもそも『炎の継手』らは勝てるのか……。
しかし、或斗が迷っていた僅かな間に戦況は大きく変化する。
「なんだよこれ! 剣が融けてきやがった!」
「馬鹿な、雷鋼製だぞ!」
ダイキの大剣が獅子の炎の毛皮によって溶かされ、武器としての用途をなさなくなってしまったのだ。
盾としても心もとない強度に落ち、それに動揺しているうちに、まずはハナエが落ちた。
2リットルペットボトルより太い獅子の前足の攻撃で吹き飛ばされ、小部屋の壁に叩きつけられる。
爪痕が焦げて人の肉の焼ける嫌な臭いが鼻につく。叩きつけられた衝撃を鑑みても、重要な骨のいくつかは確実に折れているだろう。
血は吐いていないようだから、内臓破裂まではいっていない可能性はある、が戦闘不能なのは一目で分かる状態だ。
次に落ちたのはダイキである。
融けかけた大剣で防戦一方だったダイキは銀髪の男を守りながら一発逆転の魔法を打ち込む時間を稼ごうとしていたが、ついに大剣がポキリと折れて獅子の牙に右腕を噛み潰されてしまう。
「ぐああああ!!」
獅子に咥えられたまま振り回されて、小部屋の隅に放り投げられる。
残った銀髪の男は青い顔で立ち尽くしていた。
勝ち目がないことを悟り、思考が固まってしまったのだろう。
或斗は決めた。
また生贄が残っているうちに全力疾走でここから逃げよう。
或斗が走り出そうと足を踏み出した瞬間、獅子が銀髪の男を食いちぎろうと大口を開けた。
そしてそのとき、弱すぎて獅子の視界にも入っていなかったミクリが銀髪の男の前に身を投げ出したのを見た。
2秒後にはミクリの体は真っ二つだ。
別に順番の問題だ、どうせ銀髪の男が食いちぎられた後、ミクリだって逃げられやしないのだから何らかの形で死体になって終わっていただろう。
或斗はそれを当然考慮に入れて、その上で逃げ出そうと足を踏み出したのだ。
ミクリを心底馬鹿だと思っていた。
今もう一度思った。
他人を庇って死ぬような奴は大馬鹿の大間抜けだ。
瞬きをして、再び開かれた或斗の目は"虹色"に光っていた。
「またダンジョンネズミなんか食べているのかい、それマズいだろ。どう見ても生焼けだし。配布レーションはどうしたのさ」
ボロい外装の孤児院の、雑草だらけの裏庭で、淡い桃色の髪を風に揺らした少女が或斗を見おろしている。
少女は柳眉といって間違いない細い眉にアーモンド形の大きな緑の目、すっと通った鼻筋の下に、桜色の小さな口、人形のように整った顔をしていた。
綺麗な服を着て黙っていれば、どこかの国のお姫様だとでも思われるかもしれないし、ここに詩人でもいれば、ボロの裏庭にただ一輪美しく咲く華が云々と謳いあげるかもしれない。
だが実態はかなりの変人である。
この最低ランクの孤児院の中にあって特に見下され、いびられ、ハブられる或斗をわざわざ見つけ出して何くれとなく構う変な少女。
少女は
綺麗な見た目をしているくせ、喋り方はどこか少年めいている。
孤児院ではその美貌と将来的なダンジョン適性への期待もあって、同じ孤児の子供たちからはもちろん、大人たちからもちやほやされていた。
「盗られた。言わなくてもわかるだろ」
反対に或斗はダンジョン適性無し、まともに育てる人もなかったから口数は少なく、性格も暗い。
立場として最低ランクの孤児院に入れられた子供たちの劣等感のちょうどいい吐き出し口であったし、大人たちもそれを黙認していた。
一応平等に食事くらいは配ってくれるけれども、或斗は食べ盛りの年上の少年たちに食料を奪われることが頻繁であった。
物理的な力も発言力も無い或斗に取り返す術はなく、夜中に孤児院の屋根裏でチウチウ鳴いているダンジョンネズミを捕まえて土の中に隠しておいて、大人からくすねたライターで焼いて食べるのが或斗の日常だった。
好都合にも孤児院の裏庭は幽霊が出ると噂があって、他の子どもは近寄ろうとしなかったから、或斗はいつもそこでダンジョンネズミを炙って食べていた。
「察することが出来るのと、事実を直接確認するのとでは違うのさ」
「何が違うんだよ」
「私が職員にねだってもらってきたレーションを君が食べたいと思うかどうか、とか」
そう言って未零は断りなく或斗の隣に座り、孤児院で配られる中でも一番上等のレーションを2つ取り出した。
或斗は顔を顰めてそっぽを向いたが、ぐう、と返事をした腹の音は正直だった。
くくく、と笑う未零を睨みつけても恰好が付かないだけなので、ぶすくれた顔で或斗は生焼けダンジョンネズミを放り出し、未零から押し付けられるようにレーションを受け取り、無言で食べた。
皮肉な話だが、孤児院でこの上等レーションを食べた回数は未零に次いで或斗が多いのかもしれない。
当時はそう思っていたが、実際には上等レーションを食べていたのはほとんど或斗で、未零は或斗に与える以外ではほとんど食べていなかったことを大分後になって知った。
何故未零がそんなことをしていたのかは、今になっても或斗には分からない。
変な少女だった。
何故或斗に構いつけるのかと訊いたことがある。
尋ねると未零は綺麗な緑の瞳を輝かせて、
「君の瞳はたまに虹色に光るだろう、それがとても綺麗なんだよ」
と言った。
或斗はそこで初めて、自分にある能力を知った。
完全に無意識で使っていた力だったが、未零と色々と検証したところ、いくつかのことが分かった。
1つ、力は目で見るだけで使える。
2つ、力を使うときは目が虹色に光る。
3つ、力は魔法ではないようで、力を使うのに魔力だとか、何かの代償は無い。
4つ、力とは、見ている対象に何か影響を与えることが出来るものだ。
以上が主にダンジョンネズミで実験した結果、未零の定義した或斗の目の力である。
4つめはかなり適当じゃないかと抗議した、これでは何が出来るのかよく分からない。
そもそも魔法なんかは何も使えないからダンジョン適性が無しだという話だというのに、この力は何なんだ、とも言ってみた。
すると未零も困り顔で、
「だって君の能力なんだから、私に細かいことが分かるわけがないじゃないか」
と言い放った。
適当である。
一応やってみて出来たことをまとめたところ、或斗の虹の目は見た対象に何かの力を与えるのではないか、という結論に落ち着いた。
未零の筋力を向上させることも出来たし、風力で木を騒めかせることも出来たし、引力でダンジョンネズミの動きを遅くすることも出来た。
まだ小さいうちは、ダンジョンネズミを捕まえるのに非常に役立った力だった。
未零は目の力について一緒に調べるうち、
「君が15歳になったらパーティを組もうよ、それでダンジョンを攻略して、一等有名なパーティになる」
などと楽し気に言うようになっていた。
「ダンジョン適性無しを捕まえて馬鹿なこと言うなよ」
と返しても、未零は一層面白そうに笑って
「それが良いんじゃないか」
と言うのだった。
「私はきっとダンジョン適性がBはあるだろう、そしたら有名なパーティで経験を積める。それで力をつけて、君が15歳になったら迎えに来るから、二人で大冒険をしようよ」
まだ15歳時の適性検査を受けてもいないのに、未零は自信満々にそう言ってのけた。
だが実際、未零の15歳時のダンジョン適性はAであり、本人の言った通り有名パーティに勧誘されて華々しく孤児院を出て行ったのだった。
最低ランクの孤児院から出た希望の星に孤児院の大人は異様なほど喜んでいたし(おそらく追加の補助金が出たのだろう)、未零を慕っていた孤児院の子供たちも誇らしげだった。
或斗はといえば、構いつけてくる相手も居なくなって、静かに裏庭でダンジョンネズミを炙りながら、そういえば或斗を構うのは何故かという疑問に対して目が光るからというのは何だか理由になっていない気がする、と今更ながらに未零の変人ぶりを実感するなどしていた。
そうして1年も経たないうちに、未零の訃報が孤児院に届いた。
パーティメンバーを庇って死んだとのことだった。
或斗はパッタリと目の力を使わなくなった。
5年も前の話である。
或斗が"虹色"の目を開いた瞬間、双頭の獅子は地面に叩きつけられ、グチャリと原型を留めず潰れて死んだ。
それは一瞬のことで、あまりにも圧倒的な蹂躙で、不可解な強者の死であった。
ミクリも、その後ろに庇われていた銀髪の男も、何が起きたか全くわからなかった。
ただ数秒後、静かになった小部屋の反対側の入口に、黒いフードを目深にかぶったモグリらしき人間が居るのには気づいた。
その人物は、フードの奥にある瞳が、光を受けた鉱石のように美しく虹色に光っていた。
ミクリたちが呼び止める声を発する前に、そのモグリは走り去っていった。
ミクリも銀髪の男も、一度は死を覚悟しただけに追いかけていく気力もなく、仲間の呻き声が上がるまでその場で放心していたのだった。
1週間後のことである。
或斗はいつものダンジョンの素材買取所でいつもの安い薬草と蒼鉄鉱石の換金を待っていた。
どうせダンジョン攻略者証明書に紐づけられた口座へほとんどのお金を入れておいてもらうのだから、勝手にやっといてもらえればそれが一番良いのだが、ここでもまた悲しいことに、小さなダンジョンの素材買取所の職員などは、孤児のモグリの手取りをパクることに罪悪感を覚えるような上等なコンプライアンス研修を受けていないのである。
買い叩かれれば理由を詰めて差額の横領を妨害しなければならない、証明書を長い時間預けたりなんかした日にはコッソリ資産を抜き取られる恐れだってある。
まあ或斗の資産なんてせいぜい5万円が良いところだが。
そんな面倒な事情によって、或斗はいつも通り、ダンジョン帰りの待機時間を買い取り所の安っぽいベンチに腰掛けて過ごしていた。
こうしているときは、主に周囲の話を盗み聞きしている。
意外と金になる話、強力なモンスターが発生した噂だったり、トラップの場所についてだったりと有益な話が聞けるのだ。
現代ダンジョン攻略者たるもの、スマホを使いこなし、SNSを開いてそのダンジョンの地名タグだとかを検索する、あるいは有名動画配信者のアカウントでも追っていれば簡単に手に入る類の情報であり、かくあるべしなのだが、ご存じだろうか、携帯電話の契約には信用が要るのである。
ダンジョン社会になってもそこは変わらなかった。
孤児であろうとダンジョン適性がDもあればスマホの契約くらい簡単に出来るが、或斗は残念ながらそういったクレジットの必要な契約にはご縁がない立場にある。
さすがに初めて行くダンジョンの情報を調べるときなんかは公共図書館のパソコンを使って事前調査を行うけれども、こういう買取所の噂などは日常の中では貴重な情報源であった。
少し離れた場所で、常連のおっさんたちが噂話をしている。
「知ってるか? あの『炎の継手』が旧渋谷ダンジョンで大怪我したって話」
「ああ、ダンジョントラップで魔法使いのリョウ以外が戦闘不能になったってな」
「怪我した二人はポーターに背負われて出てきたらしい」
「荷物持ちに持たれる荷物になっちまったってか。笑っちゃうな」
おっさん二人が下品な笑い声を立てる。
こんな場末のダンジョンでくすぶっているダンジョン攻略者にとって、他人の不幸は蜜の味なのである。
「じゃあリョウがとどめを刺したってことか。やっぱ魔法使いはデカい一発を撃てると違うよな」
「いや、どうもそれが違うらしい。なんでもモグリに助けられたとか」
「はあ? モグリがどうやって『炎の継手』を助けるんだよ。モグラよろしく穴でも掘ってましたってか?」
「詳しい話は知らんけど、『炎の継手』の連中は虹色に光る目のモグリを捜してるんだってよ」
「なんだそりゃ。そんな魔法聞いたことないぞ。オカルト話か?」
さあなあ、と言いあうおっさん二人から意識を外したところで、或斗は買取査定の終了で呼び出しを受ける。
今日は買い叩かれることもなく、平常通りに買取が終わり、或斗は口座にほとんどのお金を入れ、500円ばかりを現金化して持ち帰る。
買い叩かれるといえば、1週間前のあの日はさっさとダンジョンを出て帰ってしまったので、せっかく採った素材をすぐに売れなかった。
紅鉄鉱石など、品質が変わらないものはともかく、貴重な薬草と竜牙茸は買取に出すときには傷んでしまっており、随分と買い叩かれた。
しかも理由が正当なものだから、反発も出来ない。
変にごねようものなら、傷む前に売らなかったのはなぜか、盗品なのではないか、などと疑いをかけられる可能性もあった。
そんなわけで、今日も或斗の食事は雑穀米のおにぎりにダンジョンネズミの丸焼き醤油風味である。
あの日は本当に馬鹿馬鹿しいことをした。
或斗は『炎の継手』たちの前に名乗り出るつもりなど欠片ぽっちも無かったし、もう会うこともないだろうと思っている。
あの時或斗はミクリを助けるために双頭獅子の体に与える重力を増大させ、潰して殺したわけだが、類似の魔法は聞いたこともない。
ダンジョン適性無しの自分が名乗り出たところで嘘くさすぎるし、そもそもの能力自体がどこから出てきた何なのかが分からない、気味の悪いものなのだ。
この能力を人前で使うつもりはずっとなかった。
15歳の適性検査で目の力について言いださなかったのも、今後使うつもりがなかったからだ。
使わない力はないのと同じ。
それが一時の感傷じみた衝動で使ってしまって、こうして噂になんかなっている。
嫌な気分だ。
どうしてこんな能力が自分にあるのか、分からない。
よりにもよってダンジョン適性無しの、ひねくれものの、自分なんかに。
この力が例えばあのミクリという少女にあったなら、適性の不利を覆して華々しく活躍し、何を恐れることもなくたくさんの人を助けただろう。
この力がもし、あの日未零の近くに居た者に、未零自身にあったなら。
だから使いたくなかったのだ。
こんな益体も無いもしもの妄想を拗らせて、どうしようもない気持ちになるから。
或斗はやはり、自分の将来に少しの希望も、目的意識も持っていなかった。
今、この時点では。