普は或斗が居候をすることになった際、5~6部屋ある空き部屋のうち1室を或斗に私室として与えている。
わざわざその中へ立ち入って何らかをチェックするようなことはしないが、たまに見える或斗の部屋の中の様子には、思うところがあった。
或斗が居候を始めて1年2ヶ月ほどが経つのに、部屋の様子に一切変わりがない。
本当にない。
服や生活必需品は買い与えているが、或斗はすべてきちんとクローゼットにしまっているようで、表に出しっぱなしになっているものは1つもない。
与えた課題図書の類も本棚に綺麗に整頓されている。
常に散らかっていないし、何も私物がない。
ベッドのシーツや布団も、普の趣味でモノトーンのシンプルなものにしたため、或斗の部屋は17歳男子のものとは思えないほど生活感がなかった。
モデルルームにだってもう少し演出用の小物が置いてあるだろう、つまり見た感じはモデルルーム以下である。
まあ普自身、物をごちゃごちゃと置いておくのは趣味でないし、居候させているだけのガキの部屋の内装に物言いをつける義理も無いかと思い、今まで放っておいたのだが、この度バル=ケリムなるクソカス野郎の企てた『暁火隊』本部ビル襲撃事件によって2週間ほど普の家へ帰ってこられなかったことで、なにやら或斗の心理に変化があったらしい。
「家って安心するものなんですね」
前半のセリフは切り取ったが、意味するところは変わらない。
ここで普は思った。
このガキはもしかすると、家という概念をあまりよく理解していないのではないか、と。
確かに、育ちを考えれば、そして昔未零から聞いていた孤児院での或斗の境遇を思えば、家という概念を理解する機会があったとは思えない。
しかもこのガキ、普段は常識人ぶっているくせ、たまに意味の分からないところで5歳児以下の情緒の未発達さや非常識ぶりを発揮する。
普はよくよく考えた。
この機会に或斗へ情操教育を施すべきだ。
そのような普の思考などつゆ知らずの或斗が連れて来られたのは、郊外にあるドデカい海外系家具量販店である。
久々の風呂と熟睡で、頭はハッキリとしていたが、あまりに脈絡のない外出先に、或斗は疑問符を10個くらい頭の上に浮かべていた。
「普さん、あの、ここは……?」
普は言った。
「何か買え」
分からないが過ぎる!
何かって何だ、そして買えってどういうことだ、何を目的として何を期待されているんだ。
或斗は眉間に皺をよせ、真剣に悩んだ。
今、自分は何を試されているのかと。
しかし或斗の真剣さに反して、連れてきた普の方はその辺りに配置サンプルとして置いてある椅子を雑に見ている。
普の目的が分からない分、旧新宿ダンジョンの深層でソロで戦えと言われたときより困っているかもしれない。
とりあえず、或斗は普について歩いていくことにした。
何を買えと言われているのか分からないため、普が気に入るものを学ぶべきかと考えてのことだ。
そのようにピヨピヨと普の後ろをついて歩いていると、普が呆れ顔を向けてきて、或斗にデコピンをした。
ダンジョン適性Aの人間のデコピンは下手をすると脳震盪を起こしかねない威力を出すことも可能である、無論普はそんな下手を打つことはないのだが。
中々に痛む額を押さえ、「???」としている或斗に対し、普は深々とため息をつくと、注釈を入れた。
「お前の部屋に置くものを買え」
「俺の部屋……? 何でですか?」
その疑問が出てくることが問題なのだ、と言わんばかりに普は或斗を睨む。
「物が無さ過ぎてキモいから」
「キモ……な、何を買えば良いんですか?」
「それを自分で選べっつってんだよ」
「ええ…………?」
或斗は困った。
それはもう深く困った。
自分の部屋に置く物……必要なものは全て、当の普から買い与えられている。
ありがたいことに、困ったことは何一つない。
おそらく掃除用具を新調するとか、そういった話でもないのだろう。
何を買えというのか、せめて何かしらヒントがほしい。
或斗はダメ元で普に尋ねてみた。
「あの……何を買えば良いのか、ヒントとか……」
普は心底どうしようもないものを見る目で或斗を見下ろした。
なんだか以前、ダンジョンネズミを食べた話をした時と似たような雰囲気を感じる。
それでも普は一応、端的にではあるが答えてくれた。
「お前が、部屋にあったら嬉しいとか、安心するとか、そういうの」
或斗は首を捻り、思いつくものを口にした。
「…………? 普さん」
「俺は物じゃねえんだよぶん殴るぞバカネズミ」
ぶん殴るぞ、と言った瞬間にはもう殴っている男、それが此結 普である。
或斗は痛む頭を押さえて、確かにこの自動暴力発射装置が部屋にあったらポーションがいくらあっても足りないだろうな、と考えを改めた。
さて、ヒントをもらいはしたものの、何を買えば良いのかについてはサッパリきっぱりアイデアが浮かばない。
或斗は鬱陶しがられながらも、やはり普について歩くことを継続した。
というのも、都市郊外にあるこの大型家具量販店はドデカく、だだ広く、1度でも普を見失えば迷子になること請け合いであったので。
或斗はここにきて初めて自覚したのであるが、或斗には物欲というものが無いのかもしれない。
普の家に住む前、欲しいと感じたことのあったものはほぼ全て食材であり、それは物欲ではなく食欲に分類される。
今は衣食住すべてを普の手によって賄われているため、その上で何かを欲しいと思ったことはなかった。
一般的な17歳男子というものは何を欲しがるのだろうか。
何せ孤児院にも、通っていた学校にも同年代の同性の友達というものはいなかったため、というか今も居ないため、世間一般の感覚が分からない。
17歳男子の欲しがるもの……漫画? ゲーム機? 大人向けのホロ映像?
どれも或斗にはピンとこない。
娯楽目的ではないが、本も普から与えられているし、ゲームは生まれてこの方触ったこともないため遊び方がよく分からないし、大人向けの云々はもっとよく分からない。
未零以外の女性の顔だとか体だとかを見ても嬉しいとは思えないのが分かり切っている。
あったら嬉しいもの、安心するもの……未零の写真か、普の写真とか、だろうか。
或斗は頭を捻って考え出したが、どちらも現実的ではない気がする。
普はともかく未零の写真は『暁火隊』加入時用の証明写真くらいしか残っていなさそうだ。
未零は「証明写真の写りって微妙だよね、どうして人類はそこだけ旧時代から進歩していないのだろう」などと零していた覚えがある、或斗がその証明写真を後生大事に持っていたらそれこそ微妙な気持ちになるだろう。
普の写真については、まず普の写真を飾りたいなどと普に言ったとき「部屋の外に出れば本物が居るだろうが馬鹿かお前は」と言われそうな気がする、実際に或斗もそう思う。
ちなみに普の写真が手元にあって安心するのは、いざという時そこそこの値段で売れそうだからという金勘定によるところがある、のだけれどもその話をしたが最後顔の形が変わるまで殴られそうなので、この案は或斗の胸の内に秘めておくことにする。
或斗が1人頭を捻っているうちに、普は或斗の自主性に期待するのを止めたのか、渋々と或斗を引き連れて、部屋に置く小物が置いてあるコーナーへとやってくる。
ここには或斗にとって未知の、謎の物品がたくさんあった。
動物の置物はまだ分かる、陶器製の、木製の、あるいは毛皮が本物のようについているふわふわの、猫とか犬とか熊とか……いや熊はちょっとよく分からないが、まあ生き物が好きな人は多いし、そういう人向けに良いのだろう。
後は謎のガラスの玉、スノードームといって、上下ひっくり返せば玉の中で雪が降っているように白いものが舞う仕組みになっているらしい。
或斗はへえ、と感心はしたけれど、部屋にあって嬉しいかと考えると、よく分からない。
ただ動くものを見て楽しめるのは幼児か猫くらいのものではないだろうか、実際、スノードームは隣で親子連れが購入していった。
ケミカルカラーをした色水? 油? 材質の分からない液体状のものがポコポコと上下移動を繰り返す置物もあった。
「これって何の意味があるんですか?」
「知らん」
普がどうでもよさそうに答える。
普が知らないということは、多分意味がないタイプのものなのだと思う。
実用性があれば、普は知っているだろう。
他には外国の何とか塔を模った置物、こういうものって観光地で買うものなのではあるまいか。
あとは、棚の形に沿って滑り落ちそうにぐんにゃりと折れ曲がった丸く分厚い時計? ピザではないと思うが、それが何なのかから読み解けない飾りなどもあった、時計にしては針は絵で描かれてあって時間は分からないし、棚の中のものは取り出しにくくなるだろうし、完全に意味不明である。
小物コーナーだけでもこの意味不明具合、或斗はこの世には自分の知らない宇宙が無限に広がっているのだなあと現実逃避まぎれに再認識した。
或斗にサッパリ物欲の芽生える気配がないことを察した普は、やはり残念なものを見る目で或斗を見下ろした。
「今日は帰るぞ」
匙を投げたらしい。
或斗もちょっと流石に、もしかして自分って浮世離れしているのか? と思わなくもなかったので、その視線に抗議の声をあげることはなかった。
浮世離れ、という単語で、巳宝堂邸で会ったきりのミラビリスを思い出す。
或斗は思った。
あれと同じ分類にされるのは嫌だなぁ……。
しかし或斗には頼もしい助っ人が存在する、持つべきものは何とやらである。
翌日、或斗と普は『暁火隊』本部ビルに出勤した。
「まだ休んでいて良いんだぞ」
日明は驚きつつそう言って或斗と普の体調を気遣ってくれたが、普の家に居ても暇を持て余した普による普ブートキャンプがはじまるだけであったし、この2週間で処理待ちのデスク業務が山ほど溜まっているし、何より或斗には助っ人に救難信号を出す必要があった。
あの、目を離したらいつの間にか死んでいそうなカブトムシめいた浮世離れゆるふわお兄さんと同じカテゴリからは脱却するのだ。
そんなわけで昼休憩の時間を見計らって捜し出した助っ人、つまりミクリなのだが、彼女は戸ヶ森と一緒に休憩室でカップアイスを食べていた。
ミクリはイチゴ味、戸ヶ森はチョコ味っぽい。
或斗の姿を見て、戸ヶ森は何だか微妙な顔をしていたが、或斗はミクリに用があるので諦めてほしい。
いや、どうせならついでに戸ヶ森にも訊いてみよう、或斗は思い立つ。
「部屋に置くものについて?」
ミクリが首を傾げて、或斗の質問を反復した。
或斗は大きく頷く。
「昨日、普さんが急に家具量販店に連れて来たかと思ったら『何か買え』って、これまた急に。何を買えば良いのか分からなくてさ」
或斗が困り具合を真剣に相談すると、ミクリは何故か数秒遠い目でさもありなんとばかりの困り顔を浮かべていたが、或斗の質問については真剣に考え始めてくれた。
或斗は戸ヶ森へも話を振ってみる。
「戸ヶ森さんはさ、自分の部屋に何か置いてる? あったら嬉しいものとか、安心するものとか」
或斗が声をかけると、戸ヶ森はこちらも何故かビクリと肩を強張らせたが、顔をしかめつつ答えてくれた。
「ディフューザー、とか?」
「何だそれ」
或斗が初めて聞く単語である。
ミクリは「良いね~」と戸ヶ森へ同意しつつ、解説してくれた。
なんでも、部屋に好きな匂いを漂わせるための小物であるらしい。
好きな匂いを拡散させるため、蓋を開けたボトルに竹串みたいな棒を突っ込んでおくのだとか。
見かけが不可思議だなあとは思ったが、そういうものとして旧時代から存在しているそうだ。
「ああ、それでたまに戸ヶ森さんから何か良い匂いがするんだ」
そう言った瞬間、或斗はテーブルの下ですねを蹴られた。
下手人は戸ヶ森である、目元を赤くして或斗を親の仇のごとく睨んでいる。
蹴られた文脈を理解していない或斗に、ミクリが幼児へ噛んで含めるように、或斗の失態も優しく解説してくれた。
「或斗くん、人の、特に女の子に匂いの話をするのは、デリカシーに欠ける行いなんだよ」
なるほどな、或斗はまた1つ賢くなった。
とりあえずその場で戸ヶ森へ謝罪したのだが、戸ヶ森はいつものごとくキャンキャンと吠えたてる風でもなく「別に……」とだけ返して黙ってしまう。
何だか最近避けられている気がするし、話していてもこんな感じだし、何かあったのだろうか。
あとチョコアイスが溶けそうだから食べないのであれば譲ってほしい、これについては多分デリカシー案件であろうことが先に察せられたので、或斗は口に出さなかった。
或斗は学習する男である。
戸ヶ森の挙動を不思議に思っていると、次はミクリが自分の意見をくれた。
「私はお花を花瓶に飾ってるかなぁ。生花って旧時代よりはずっと高くなったものらしいし、そんなに長くはもたないんだけど、お花は綺麗だし、何だか自分のための贅沢って気持ちになれて嬉しいんだ」
なるほど、花か。
確かに或斗の白黒ばかりの部屋にあったら目立ちそうではある。
「お花に合わせて花瓶を変えたり、逆に花瓶と合うお花を選んだりするの、意外と楽しいよ」
ニコニコと楽しみ方まで教えてくれるミクリの背後からは休憩室の蛍光灯が後光のように差していた。
やはりミクリ、ミクリしか勝たない、或斗は頷いた。
あまり休憩時間を邪魔するのも問題だろう。
或斗はアロマディフューザーと花瓶と花、と脳にメモをして、女子2人に丁寧にお礼を言ってその場を去った。
次は勝てる、何にかは分からないが。
数日後、もう1度普に家具量販店へ連れてきてもらった。
或斗はミクリと戸ヶ森の助言通り、アロマディフューザーと花瓶を探す。
「女みたいなチョイスだな。つか女に訊いただろお前」
普は洞察力の高さを発揮し、或斗に呆れ顔を向けていたが、止めはしなかった。
とりあえず良しとはするらしい。
しかし、或斗は花瓶を選ぶのには非常に苦労をした。
花瓶と一口に言っても色々ある、あり過ぎる。
陶器製のもの、木製のもの、プラスチック製のもの、ガラス製のもの、色、大きさ、細さ、決める項目が多すぎる。
前衛芸術のようなボコボコの陶器の塊と、7色の原色の重なったド派手なガラス花瓶を見比べて唸る或斗へ、普がふと尋ねる。
「お前、アロマの方は迷わなかった癖に何で花瓶はそうグズグズ悩んでんだ」
「アロマはだって……普さんっぽい匂いを選べば良かったので」
花瓶は何だかよく分からない、と続けて答える前に、何故か頭を引っ叩かれる。
どうして、と見上げれば普がゴミを見る目で見下ろしてきていた。
「何ですか?」
「キモい」
普の家に置くものなのだから、普らしいイメージの匂いのものを選ぶのは当然だと思うのだが、何かが普の気に障ったらしい。
相変わらずよく分からない人である、或斗はそれについて考えるのを放棄した。
代わりに前衛美術と屋台の景品色の花瓶を両手に持ち、うんうんと唸っていると、横から普がひょいと1つの花瓶を取り上げる。
「これにしろ」
普の手にあったのはマットな質感の黒色の陶器に、螺鈿細工というのだったか。或斗の虹眼の色に似たマーブル模様の花柄の描かれた細くシックな花瓶である。
普は或斗の手にしていた時代を先取りし過ぎている花瓶を棚に戻させると、「レジ行くぞ」と花瓶コーナーから出る。
結局普が決めるなら、初めから全部決めてくれれば良かったのではなかろうかと思ったものの、ミクリたちから話を聞けたことは無駄でなかったと思うし、或斗は自分が美的センスに欠けていることも自覚しているしで、まあひとまず、ありがたく普のチョイスに従っておくことにした。
普についてレジへ向かう途中、椅子のコーナーに、椅子の足の下が弓なりになっている、いわゆるロッキングチェアがあるのを見かける。
そういえば、未零の話してくれた絵本の中で、優しい魔女が暖炉の前のロッキングチェアで休んでいる場面があって、幼い頃に憧れていたのをふと思い出した。
ぼうっとロッキングチェアを見ていると、頭上から「欲しいのか?」と声がかかる。
或斗がロッキングチェアを見ている間にさっさと花瓶類の会計を済ませてきたらしい普は、尋ねつつも買い物袋を或斗に押し付けた。
或斗は考える。
欲しいかどうか……部屋にあったら嬉しいかどうか……嬉しいかもしれない。
或斗がこくりと頷けば、普はしげしげとロッキングチェアを眺めてから店員を呼んだ。
「ババアみたいな趣味だがまあ良いだろ」
様々を敵に回しそうな余計な発言を挟んではいたが、笑うでも呆れるでもなく手早く購入手続きをしてくれる。
床に傷がつくから、とロッキングチェアの下に敷くカーペットは普が独断で選んでいた。
やはり初めから普が全部選んだ方が早かったのでは?
そんな気持ちは不思議なことに、すぐ消えた。
普の家に帰って、或斗に与えられた私室を普と2人で眺めてみる。
モノトーン調の部屋に普の選んだ花瓶はよく似合っていた。
帰りがけに花屋で買った、合計5000円くらいした(或斗は値札を5度見した)トルコキキョウの薄桃色とグロリオサの真っ赤な色が花瓶にも部屋にもよく映えている。
アロマも或斗の読み通り、普が嫌がらない程度の爽やかでキレのある香りだ。
部屋の中心に運び込まれたロッキングチェアだけが謎の存在感を放っていて少々浮いてはいたが、何故か普はフンと鼻を鳴らして満足げにしている。
或斗は改めて部屋を眺めて、ここは或斗のための部屋なのか、と今更過ぎる実感を覚えた。
それは先日、初めて理解した家への安心感と似た温かさをもって或斗を包む。
何故だか急に涙が出そうになって、或斗は慌てて普の背に隠れる。
訝しげにした普だったが、しばらくは何も言わずにその場に立っていてくれた。