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第8話 それぞれの決断

 アロンがマンションを契約し、梨沙子とヒカルの3人での生活が始まった。

「ヒカルー! 可愛いなぁ。自分の子どもってこんなに可愛いかったんだ」

「あら雄一郎くんは可愛いくなかったの?」

「雄一郎も可愛いよ。だけどこうして見るとヒカルが一番だ」

「ふふ……」


 そして夜になりヒカルが眠ると梨沙子とアロンだけの時間が出来る。

「あぁ……アロンさん……」

「梨沙ちゃん……あんまり声を出すとヒカルが起きちゃうよ」

「だって……アロンさんがこんなことするからぁっ……」

 2人だけの時間はまだ始まったばかりだ。



 そろそろ自分も働きに出ようと思った梨沙子だが、ヒカルの預け先は簡単には見つからなかった。

「僕が頑張って働くから、預け先はゆっくり探していこう」

 アロンはそう言って仕事に向かう。ヒカルが2歳や3歳になれば、プリスクールや幼稚園を検討しようと思う梨沙子であった。それまでは愛する人と、愛する人との子どもとの生活を楽しもう。

「マーマ!」

 ヒカルは「ママ」「パパ」を認識できるまでに成長した。


 そしてヒカルが2歳になった頃だろうか。梨沙子の元に一本の電話がかかってきた。朔太郎だ。

「もしもし……?」

「梨沙……」

 電話口の朔太郎の声はか細くて小さい。

「俺たち……やり直せないかな……?」


 電話で話すのもどうかと思った梨沙子は、休日に自宅へ朔太郎を呼んだ。朔太郎は随分やつれたようだ。アロンも彼のその姿に何とも言えなかった。テーブルで向かい合わせになり話をする。

「ヒカル……大きくなったね」

「そうね……」

「もう君たちは一緒に住んでいるのか。そりゃそうだよな……本当の父親と母親だからな」

「……」


「梨沙……あの時、俺の判断で勝手に家を追い出してしまってすまなかった。梨沙とヒカルがいなくなってから、俺は家にいることに孤独を感じて辛くなった。その時初めて気づいたんだ。たとえ本当の父親じゃなくても……ヒカルと一緒に過ごした時間はかけがえのない、宝物のようなものなんだって。そして梨沙……君の笑顔がこれまでどれほど俺を救ってきたか……考えれば考えるほど……俺は壊れていってしまった」

「朔ちゃん……」


「だからどうか……もう一度俺にもチャンスをくれないか? ヒカルと本当の家族になりたいんだ……」

「朔ちゃん……あたしの方こそごめんなさい……でももう遅いの……あたし達は終わったんだよ……」

「まだ……俺達は夫婦だ。やり直せる……!」

「無理なのっ……」

「ヒカルのことか? それなら俺は気にしない」

「違う……」

 梨沙子は深呼吸して話し出した。



「2人目が出来たの……アロンさんとの間に」



「え……」

 朔太郎が目を見開いて信じられないような表情をしている。

「これがエコー写真。心拍も確認できたの」

 目の前のエコー写真を見て朔太郎は大きなため息をついた。そして少しずつ怒りの形相へと変化してゆく。


「お前ら……俺がこの期間どれだけ苦しい思いでいたのかわからないのか? 勝手に子どもを作られても俺は今……受け入れようと努力したんだぞ? なのに何だよ、2人目って……おかしいだろう? まだ俺達は離婚が成立していない! お前らを訴えることだってできる!」


 急に怒鳴り声をあげた朔太郎に驚いたのか、昼寝をしていたヒカルが目を覚まして泣き出した。

「ヒカル……大丈夫だよ」とアロンがヒカルを抱っこする。

 梨沙子はこれまでに見たことのない朔太郎の姿に唖然とする。自分達のしたことは決して許されないことだ。よってそこまで怒りを露わにする気持ちもわかる。しかし……梨沙子の心の中はアロンとヒカル、そしてお腹にいる子どもで占められているのが現実である。


「朔ちゃん……陽子ちゃんの息子の雄一郎くんのこと……知ってる?」

「え……あ……それは……」

 先ほどまで大声を出していた朔太郎が静かになった。

「雄一郎くんは朔ちゃんの子どもなんだよね? どうして……」

「あれは……俺だって騙されたんだよ! 陽子ちゃんに検査するって言われて……」

「そういうのは……先にあたしに相談してくれても良かったんじゃないの?」

「……」


 確かにそうだ。毎日の慌ただしさに病院にいるならその方が効率的かと思い、つい陽子ちゃんに検体を渡してしまった。デリケートな内容なのに俺は何も気にせず……


「だからさ、朔ちゃん……お互い様だよ。もうやめよう。こういう話するの……あたし達はどうしたって元には戻れないよ……ごめんなさい」

「わかった……」

 そして梨沙子と朔太郎は離婚届を記入した。あらかじめ梨沙子が準備していたのだ。

「元気でな」

 朔太郎は最後にそう言って帰って行った。



 これで全て終わったんだ。

 あたしは看護師として、いや人間として過ちを犯してしまい、その結果朔ちゃんを傷つけた。だけどこのまま何事もなく過ごしていた場合、朔ちゃんは果たしてあたしと結婚しようと言ってくれただろうか。


 ほんの些細なきっかけで、人は愛されていると実感して毎日……自分なりに頑張り続けることができるのではないだろうか。あたしの場合はそのきっかけを作ってくれたのがアロンさんだった。ただそれだけのことなの……

「ヒカル、泣き止んでまた寝ちゃった」

 そう言ってアロンが来てくれた。


「アロンさん、ありがとう。そばにいてくれて。朔ちゃんが来るって聞いてちょっと怖かったんだ。でもあなたがいてくれたから落ち着いて話せたわ」

「うん……きっとこれで良かったんだよ。僕は本当は最初、梨沙ちゃんのことが好きだったんだから」

「え……そうなの?」


「君の近くにいたくて陽子と付き合った。彼女も尊敬できる素敵な女性だけど、入院した時に梨沙ちゃんに会えて……気持ちが抑えられなかった。僕だって過ちを犯してしまったんだ」

「アロンさん……もう終わったことだよ」

 2人はソファに座り、口付けを交わした。

「梨沙ちゃん、改めて言わせて。僕は梨沙ちゃんと子ども達のことを一生守り続けると誓います。僕と……結婚してください」


 梨沙子は涙を流して頷いた。

「はい……お願いします」

「梨沙ちゃん……」

 アロンは梨沙子を抱き寄せて、もう一度キスをする。



 一方その頃、陽子が自宅で雄一郎と過ごしながら呟いていた。

「そろそろ雄一郎にもきょうだいが欲しいわね。今度はどの先生にしようかしら……そうだ、千葉ちば先生がいいかな」


 翌日、陽子は早速彼に声をかける。

「千葉先生、今度婦人科で研修をするのですが……私は体外受精や顕微受精のことをもっと調べたいのです。協力してもらえませんか?」




 終わり

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