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第26話『6月24日 夜中のスイング』

 今日も相変わらず暑い。

 このまま問答無用で夏に突入するのだろうと考えると溜息が止まらないのだが──散々外で火照った身体を一気に冷やしてくれるエアコンの気持ちよさ。これがあればまだ許せるかもしれない。いや、無理があるか。

 そんなわけで今日もバッティングセンターへ足を運ぶと、先輩が毒々しいシルエットの細長い缶ジュースを傾けていた。

「なに飲んでるんですか?」

「ん、エナドリってやつ。ママに貰ったからキンキンに冷やしたの持ってきた」

 ふふ、得意げに差し出した缶は緑のラインが走るコンビニでよく見かけるものだ。僕もたまに飲むが、美味しいかどうかと言うか癖になる味だ。

 ただこれを飲んでやる気が出た試しは……。

「前から気になってたんだけど結構甘いんだね。美味しいっていうより癖になる? 不思議な感じだ」

「わかります! 結構カフェイン入ってるらしいので寝れなくなるかもですよ」

「へぇー。徹夜できそうな味してるなって思ったけど納得だよ」

 楽し気に缶を傾けるのだが、ごくごくと言うよりはちびちび飲んでいるのがよくわかる。

「気合入れる様の飲み物のなんだよね。キミはどういうときに飲むの?」

「うーん……気合入れるためには飲まないですね」

「えっ。じゃあどうして?」

「癖になる味なので……。そもそも引きこもりがエナドリで気合入れても意味ないですから」

 あはは、自嘲気味に笑う間も先輩はちびちびエナドリを傾けている。

 ふぅ、と息をついたかと思ったら急に立ち上がる。くるりと一回転、冬用セーラーのスカートを翻しながら僕へ向く。黒タイツ越し太ももがちらりと覗き、思わず目を奪われてしまう。

 しかしすぐさま先輩の興奮に似たものを孕んだ眼差しで我へ返る。

「ど、どうしたんですか?」

「なんか気合出てきたかも! どうしよう、なんかしたい!」

「と、突然ですね……」

 エナドリってそんな即効性のあるものだったっけ……。

 普段薬を飲まない人間がよく効くのと同じように、飲みなれていない先輩にはすぐ効果が出たという事か?

 その場で腕を伸ばし、屈伸運動と準備体操を始めた先輩がここまでになるとは……。

 そして躊躇うことなくバッティングコーナーのネットへ手をかけた。

「キミも空振りしたって言うし、わたしも空振りしてくるよ」

「が、頑張ってください。あの……お金入れたらすぐボール出てきますから先にバッド持ってくださいね」

「任せてよ」

 こちらへピースをする余裕っぷり。

 手慣れた様子でバットを手にお金を入れて右打席に立つ。

 肩幅程度に開いた足、僅かに腰を下ろし、ゆったりとバッドを構える──野球に全く詳しくない僕でも経験者のような風貌であることはわかる。

「先輩、野球やってたんですか?」

「小さいころに遊びでね。でももう何も覚えてないからッッ!」

 そうして飛んできたボールへ思い切りのいいスイングをする。

 しかし残念なことにボールはネットへ吸い込まれる形となり、風切り音だけが勢いよく響く。

「あれ、当たったと思ったんだけどなぁ……」

 そうして続く二球目。

 飛んできたボールは再びネットへ吸い込まれたのだが、僅かに何か金属が擦れる音を聞く。もしかしたら掠ったのかもしれない。

 僕は何球かスイングしたら息が絶え絶えな情けない状況だったが、先輩はまだまだ余裕な様子だ。

「今の惜しかったかなぁ」

「先輩めっちゃ上手いじゃないですか」

「空振り二回で上手いって言われてもなぁッッ!」

 そうして三球目、四球目──。

 飛んでくるボールへ次々バットが当たる。前にこそ飛んでいないが、それも時間の問題なんじゃと思えるほど金属音が大きくなっていく。

「わたしもあまり運動しないけど……こうしてたまにやると楽しいかもね」

「エナドリ効果ですかね?」

「確かに! 今やる気に漲ってるから次はホームランかもね」

「でしたらジュース一本おごりますよ」

「ほんと!? じゃあ気合入れちゃお!」

「お兄さんが言うには脇を絞めるといいとか……」

「あぁー。何か聞いたことあるかも」

 開いていた脇をギュッと閉めた。ゆらゆら揺れていたバッドが安定を得たのか、その動きをぴたりと止めた。ゆっくり呼吸するのが肩の動きでわかる。

 錆びついた機械アームの音が聞こえた直後、勢いよくボールが飛んでくる。

「ッッッ!

 スカート姿で起用に左足を上げた先輩のバットが勢いよく風を切った。

 直後に響く金属音と共に白球が宙を舞う。

 二人してボールを追いかけるのだが──飛距離は決して長くない。以前の僕と全く同じピッチャーフライ。数メートル先でぽてんと落ちたのだが、

「当たった! 当たったよ! 見た? 見たよね?」

 バッドを持ったまま、まるでホームランを打ったかのようにこちらへ振り返って子どものように飛び跳ねるのだ。雪のように白い肌が興奮で紅潮しており、

「当たった! 当たるもんだねぇ~!」

 バッドを置いてこちらへ飛び跳ねながら歩み寄ってくる。そして最高の笑顔でハイタッチを求めてくる。このテンションに置いて行かれないようにハイタッチをするとそのまま両の指がギュッと絡まる。

「フルスイングって気持ちいいなぁ。なんか楽しい」

「エナドリ、気合の成果ですね」

「キミの前だからかな。アドバイスもあったし」

「あれはお兄さんの受け売りですから。元々先輩のセンスが良かっただけですよ」

「そんなことないって。キミの前でいい格好したかっただけ」

 ふぅ。

 両手を繋いだまま高いテンションでひとしきり喜んだ先輩が息をついた。ベンチへ腰かけると残っていたエナドリを一気に煽る。

 手のひらをジッと見つめては嬉しそうに頬を緩ませた。

「全力でスポーツやったのなんていちぶりかな」

「先輩は陸上やってましたもんね」

「そうだねぇ。だから中学以来かも?」

「僕はずっとインドア系だったので……少しやっただけで筋肉痛になりましたよ」

「まだまだだなぁ」

「スポーツって少し苦手で。でも先輩となら楽しめそうです」

「じゃあまたやる?」

「そうですね……全力の先輩が楽しそうだったので」

「全力で何かやるのは楽しいからさ」

 またやろうよ。

 僅かに汗が滲んだ赤い顔の先輩の微笑みにドキッとしてしまった。

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