今日はいるだろうか……。
先輩からの連絡は今のところなし──昨日までは家を出る頃には連絡が入っていたことを踏まえると今日はかなり期待していいかもしれない。
自然とバッティングセンターへ向かう足は軽くなり、昨日までの肌寒さとは打って変わり夏を匂わせる蒸し暑さすらも気にならない。
二日会えなかっただけでここまで楽しみになってしまうのだ。僕も随分と単純な性格らしい。
そうして相変わらず車、自転車の一台も止まっていない駐車場を行き自動ドアをくぐる。心地よい冷房の風に迎えられ──いつものあの席へ念願だった背中が映る。
綺麗な星空が浮かぶ夜空のような深く濃い藍色のボブカットを後ろへ束ねた女の子だ。一歩、また一歩とベンチへ近づくごとに鮮明になる彼女の姿。
これが夢じゃないと確信し、自然と頬がほころんでしまう。
「久しぶりだね」
鈴の音を奏でるように髪が踊り、僕へ振り向く。
もう体調も回復したのだろう。ぱっちり開かれた瞳が微笑を結び、軽やかな声で僕を呼ぶ。それが嬉しくて歩を進める速度は早まり、先輩の隣へ久しぶりに腰を下ろすことができた。
「久しぶりです。もう体調はいいんですか?」
「ばっちりだよ。二日会わなかっただけなのに随分会ってない気がするね」
「毎日だとそう感じますよね。まぁ……熱出してふにゃふにゃだった先輩はそれはそれで新鮮でしたけど」
照れくささを誤魔化そうと記憶に新しいぼんやりぽわぽわ顔の先輩について切り出した途端、げしげし足を蹴られる。
「思い出すだけで恥ずかしさでどうにかなりそうだからやめて」
「かわいかったですけどね。先輩もあんな顔するんですね」
「しばらく会わないうちに生意気になりおって! この! この!」
ぷくっと頬を膨らませながらスニーカーをローファーで蹴り続ける。大して痛くもないし、何より先輩のこのリアクションが嬉しい。
自然と笑ってしまう僕へ先輩が溜息を落とす。
「全く……。キミはわたしがいない間なにしてたの?」
「なにって……そうですね。先輩のお兄さんが伝言を届けてくれて空振りしたり……店長と話したりですかね」
「あー、本当に空振りしたんだ」
「一球は当たりましたけどね。と言うか疑問だったんですけど……なんでお兄さんに伝言頼んだんです? 僕ら別にもう連絡先知ってるのに」
「あぁー」
確かにと言わんばかりの相槌だが、途端に僕から眼を逸らしてしまった。俯き気味な顔。後れ毛を気にするように触るとほんのり赤い耳がちらりと覗いた。
「あ、あれはなんて言うか……」
「は、はい?」
そして歯切れが悪くなるのだ。
これじゃあまるで照れているような──て、照れてる!?
先輩がこんなあからさまに照れることがあるなんて驚きだ。いつもは僕ばかりが照れたり驚いたり、先輩の手玉に取られることばかりだっただけに新鮮でもある。
「どうしてです?」
それが楽しくてつい前のめりに追及してしまう。するとますます顔を逸らしてしまい、一向に目が合わない。照れているのを確信するともう止められない。
昨日店長に言っていたガツッと行く、とはこういうことか……いや、違うか。
しかしそれで先輩の胸の内を少しでも知れるならば──。
「きょ、今日のキミは随分グイグイくるんだね」
「気になるんですもん。あと……僕は先輩と会えなくて寂しかったですけど……先輩はどうだったのかなぁって」
「そ、そりゃわたしも会いたかったけど……で、電話ってなんか照れるから」
「チャットとか……」
「なんか変に心配してほしくなかったし……」
「それでお兄さんに伝言を?」
「……そ、そうだよ!」
次の瞬間、羞恥に耐え切れなくなったのか。色白の顔を真っ赤に染めながら声を大にしたのだ。僅かに潤んだ目が抗議を訴えてくるのが愛らしい。
「先輩も寂しく思ってくれてたんですね。嬉しいです」
「ばか……今日のキミはかわいくないよ」
「先輩はかわいいですよ?」
「き、キミだって赤い顔で恥かしそうに言って……どうするのさ、この空気」
「どうもしなくていいと思いますよ。だって彼氏彼女ですし」
僅かに開いた先輩との距離を埋め、再び俯こうとする顔を覗き込む。ふと目線が重なり、赤い顔が諦めたように微笑する。
「今日のキミは急に男の子なんだから……昨日一昨日でなにがあったの?」
「さぁ、なんでしょう」
「教えてくれないんだ」
「まぁ大したことじゃないですよ。単純に……さ、寂しかっただけですから」
「キミも照れてる」
クスクス笑い、なにか馬鹿馬鹿しくなったのか先輩が天井を見上げながら大きく溜息した。
「あーあ。なんかキミも照れながらだしなんだこの空気」
「すみません、なんか」
「謝らなくていいけどさ。キミは電話してほしかった?」
「そりゃまぁ……心配ですから。僕から連絡するのは気を使われそうでしたし……」
「気にしなくていいのにって……お互い様か」
ポツリと呟くや、ゆっくり腰を上げた。
その姿を目で追いかけると、くすりと先輩が苦笑する。
「ジュース買ってくるだけだよ。ちょっと待ってて」
「あっ、はい」
ひらひら手を振りながら案内脇の細い通りへ消えていく。完全先輩が見えなくなってからようやく一息つくことができたのだが──今日は僕もテンションがおかしい事を今になって自覚する。
先輩に会えなかった反動か。
店長に言われたことを無意識に実行しようとしてのことか。
その真意は定かじゃないが──今も羞恥に顔を染めた先輩の顔が頭から離れてくれない。かわいかったし、あんな反応をしてくれることが嬉しかった。
先輩も心を開き始めているという事なのか……。
この調子で今以上に仲が深まれば胸の内に隠しているヒミツを話してくれる日も近いかもしれない。そんなことを思っていると、ズボンのポケットでスマホが震える。
「先輩……?」
手に取ると画面へは先輩からの着信が表示されていた。
同じ建物内で電話……? ど、どういうことだ?
「も、もしもし……」
しかし電話が切れてしまうのは惜しいと耳へ当てた途端、小さく先輩の声が鼓膜を突く。
『もしもし。聞こえる?』
「え、えぇ……。あのどうしました?」
『ん、キミが電話してほしいって言うからさ。電話してみた』
「まだ自販機前ですか?」
『うん、何にしようか悩んでるところ』
「そっち行きましょうか?」
『平気だよ。電話を楽しんで。ねっ』
ふふ。
楽し気に笑う先輩は今どんな顔をしているのか。
顔が見えない分、声に意識が集中するのだが──鈴の音を奏でるような優しい声が聞こえる度に顔が緩んでしまう。
『顔が見えない分……なんかこっちの方が逆に緊張するかもね』
「で、ですね……。声に集中しちゃうので」
『でもさ。風邪ひいて寝込んでた時にこうしてキミの声を聞けたらよかったって今思ったよ。今度は電話してもいい?』
甘えるような愛らしい声だ。
「も、もちろん……風邪ひいたとかじゃなくても。いつでもいいんで」
『そっか。じゃあこれからはいっぱい電話できるね』
「は、はい」
『うん。じゃあもうジュース買って戻るから』
「わ、わかりました」
そうして着信は切れた。
時間にして五分も経っていないだろう──それでも数時間電話したような充実感がある。そして電話の主、先輩は今から戻ってくるのだ。
このにやけ顔を見られたらどんな反応をされるだろうか。
それを知られるのが怖くて、慌てて席を立ちトイレへ逃げるのだった。