別に先輩が来ないなら来る必要がないのは確かなのだが──やはり今日も僕はバッティングセンターに足を運んでいた。昨日慣れない運動をしたせいか、若干手に豆ができているし、情けなくも筋肉痛だ。
だから今日はバッティングコーナーで遊ぶこともない。
本当に何しに来たのか……。
かれこれ三十分はジュース片手にベンチでスマホを眺めている。
「今日はもう帰ろうか」
これが飲み終わったら……。
缶ジュースを一気に煽ろうとした途端、サンダルが地面を擦る音を聞く。その方へ目をやり、思わず言葉を失ってしまった。
赤のスカジャンに緑のジャージズボン。咥えたばこに携帯灰皿。短い白髪頭だけど見た目は最高にファンキーなここの店長だ。普段は入口傍の受付で気だるげに過ごしているのだが、何の用だろうか。
僕から少し離れたところへ腰を下ろすや煙草をもみ消して一息つく。
「あの娘がいないのに毎日飽きもせずよく来るわな」
「す、すみません……」
「別にいいさ。ここは昔からそう言うやつばっか集まる。バッティングセンターなのに遊びもしねぇで。酒飲むわ、ただぼんやり過ごすわ。昔っからお前さんみたいにうまく生きれない不器用な人間ばっか集まるんだ」
「たまに宴会になったり……なんか賑やかな時もありますもんね」
「うちは飲み屋じゃねぇってんだ。バッティングセンターなんだから打ちに来てくれねぇかね」
「あはは……」
ほんと乾いた笑いしか出てきてくれない。
そうして二本目の煙草に火をつけ、紫煙をくゆらせる。
何か言いたいことがあって店長もここにいるのだろう──沈黙が気まずくてどうにか話題を探そうと頭をフル回転。
「そう言えば店長は先輩と知り合いなんですか?」
「いいや」
「いつ頃からよく来るようになったとか」
「アンタと同じだよ」
「えっ」
「ババアの趣味で続けてるような店だからね。新しい客は忘れないんだ。夜中にアンタらみたいな学生が来るなら尚更ね。あの娘はアンタと同じ日に初めて来たんだよ」
「同じ日に……」
そんな僕らが今はこうして形式上は付き合っているのだから何とも運命的だ。
しかし先輩はどうしてこの場所に来たのだろうか。
「こんな若い娘が寂れた店に来るんだからね。訳ありなんだろうさな」
「ですね……」
「遊ぶでもなくぼうっとベンチに座って……最近の若いもんはよくわからないよ」
やれやれ、と言いたげに紫煙を吐き出し、煙草をもみ消す。
「まぁそれで言うとお前さんもわからない若もん筆頭だけどね」
「そうですか?」
「こんな寂れた店に来てる時点でお察しだよ」
ふんっ、と苦笑し新たな煙草を口にして火をつける。
以前から思っていたけどかなりのヘビースモーカーだ。父さんでもここまで乱暴な吸い方はしてないだろう──まぁ最後に顔を合わせたのはいつか覚えてないけど。
「アンタもよくこんな店見つけたな」
「近所だったので。なんとなく……思い立って深夜徘徊をしたら見つけて」
「そうかい。そんなアンタが常連だもんなぁ」
しわくちゃの目元が笑みを結ぶ。
喜んでいるのかどうか、真意はわからないが少し嬉しい。
「それでアンタはあの娘が来ないのにどうして来てるんだい? いつもろくに遊びもしねぇ。別に気にしてないが、デートコースなんだろ?」
「ま、まぁそうなんですけど……どうしてでしょうね」
自分自身もどうしてなのかわかってない。
ただ家に居ても落ち着かずに出てきたのだから──会えないとわかっていても先輩に触れていたいと思っていたのかもしれない。
そう思うと僕は本気で先輩の事を好きになっているらしい。
「まぁたまに会話は聞こえるけど……なんていうのかなぁ。危なっかしいな」
「そ、そうですか?」
「別れるんじゃねぇかってくらい危なっかしい。ババアは勘がいいんだよ」
「……冗談ですよね?」
「冗談でお節介なんかしないよ。アンタ、あの娘の事どう思ってるのさ」
「ど、どうって……」
ここで馴れ初めを話すのはこっぱずかしい──出会いはどうあれ、今僕は確かに先輩を好きになり始めている。
それを言葉にしようとした途端、こみ上げる羞恥に言葉が出てこない。
ただ真剣な眼差しで僕を見つめる店長が紫煙と共に盛大に溜息した。
「まぁいいさ。ただあの娘がなにか抱えてるのは知ってるね」
「えぇ。なにか隠してるのは……ただ無理やり聞いてもごめんって謝られて。だから話してくれるのを待つしかないかなって……」
「なんだそれ」
僕なりの思いやりのつもりだったのだが、店長の眼差しは冷たさを帯びていた。
「優しい人ならアンタの事を健気だの彼女思いだの思うだろうさね」
ただアタシは違うよ。
僕を見つめる眼差しはそう語り掛けているようで居心地が悪い。しかし逃げることは許されないし──逃げる気もない。
「僕はまだ先輩の事を深く知れるほど……仲が深まっていない気がするんですよ」
「だから待つってかい?」
「そうですね……」
すると店長は盛大に溜息をついた。
じれったいと思われているのか、煙草を吸っては吐いて、吸っては吐いて。イライラを誤魔化しているようだ。
「色々知るにしても相手を知らないと……胸の内を話してくれないと思うんですよ」
「男ならガツッと行けばいいんだよ」
「いやぁ……その勇気は……」
「精神的にもってことだよ。相手を知るにしてもただ待ってればいいってわけじゃないんだ」
「それはそうなんですけど……」
僕のキャラでもないよな……。
我ながらガツッといこうとしては失敗する姿が見えて苦笑してしまう。
「店長はどう思います? 先輩についてとか……」
「知らないよ。そりゃアンタが考える事だろ」
「そうなんですけど……どうしたら先輩ともっと仲を深めていけるか……」
「それこそガツッて行くんだよ。男なら男らしく、自分の彼女になに遠慮してんだい」
やれやれ。
呆れ気味に溜息し、煙草をもみ消した。
「遠慮しない、ですか……」
「まずはそこからだよ。遠慮してるようじゃ彼氏彼女とは言えないだろうからね」
それだけだよ。
店長はそれだけ言い残すやゆっくりと腰を上げた。
サンダルを引きずる様な足取りで受付まで戻っていくその背中を見つめ、その姿が見えなくなるころにようやくベンチへ深く腰を下ろす。
「はぁ……遠慮しないか。先輩に笑われそうだな」
でもそれで先輩を知れるなら……。
「あーあ。先輩に会いたい」
そして胸の内に思いが溢れ、零れたのだった。