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第23話『6月21日 フルスイング』

 今日は先輩は来ない。

 あらかじめチャットが届いていたからわかっていたが──それでも僕の足はバッティングセンターへ向かい、こうして今。誰もいないベンチでコーラを傾けている。

 特にやることもなく暇である。

 どうして自分でもここに来たのかわからないのだから本当に困ったものだ。

「どうしようかな……」

 もう帰ってもいいが、これでも引きこもり。何かこの外出に意味を求めてしまう。  

 先輩と会う以外にここでの用事。

 目の前にはバッティングコーナーが並び、壁沿いには格闘ゲームやユーフォーキャッチャーなどのアーケードが並ぶ。しかしどれも興味が湧かない。だからこそベンチへ座りスマホをポチポチするだけの時間が流れているのだが──ふと外からバイクのエンジン音が響く。

 程なくして自動ドアが開いたかと思えば、踵の鳴る音が近づいてくる。

 身に覚えのある物だけに自然と背筋が伸びてしまう。

「やっぱ今日も来てたのか」

 お兄さんだ。

「ど、どうしたんですか?」

「どうって……アイツが様子見てきてくれってグダグダ言うからよ。丁度出先だからついでだ」

「そうですか」

 それにしてもこの人……。

 先日の一件と言い、それ以外にも先輩からの頼みだったり気遣いが熱心と言うか何と言うか。歳が離れているからこその愛情なのだろうか?

 妹に弱い、なんて見た目じゃないけど実はのパターンか?

「まぁなんだ。別に気にしちゃいないが普段通りで安心したよ」

「あの……先輩は大丈夫なんですか? 風邪ひいたって聞きましたけど」

「その通りだよ。最近の気温差でやられたらしいが……まぁよくあることだ。季節の変わり目だの寒暖差だのでしょっちゅう風邪ひいてるからな」

「そ、そうですか」

「何日かすればよくなるだろ。それで伝言を預かってきてんだ」

「で、伝言ですか……?」

 そんなの連絡先を交換したんだ。

 チャットなり電話で伝えてくれればいいのに──どうしてわざわざお兄さんに伝言を託すなんてことをしたのか。声を出すのが、文字を打つのがそれだけ辛いという事か……?

「あ、あの……先輩は本当に大丈夫なんですよね?」

「ん、あぁ。よくあることだって言ったろ? 直接伝えてほしいなんてヤキモチだのジェラシーは管轄外だ。アイツに直接言ってやんな」 

 静かに口元だけで笑う。

 僕と少し離れたところで腰を下ろすや、足を組んでこちらを見やる。

「それで伝言だが……」

「え、えぇ」

「わたしが居なくて泣いてるかもしれないって。子どもじゃねぇのにな」

「そ、そうですね……」

 あはは……。

 先輩の事になると面倒な顔をするくせに、心配したり嬉しそうだったり──本当にコロコロと感情が変わる人だ。

「それで伝言の続きだ」

「まだあるんですか?」

「まぁな。お前らようやく連絡先交換したんだってな。なら直接言えばいいのにな」

「そうですね。ちょこちょこメッセで話してるんですけどね」

「ほんとわかんねぇな。直接伝えればいいのに。それで伝言の続きだが」

 咳払いを一つ。

「なんだ。俺もよくわかんねぇけど、一人で退屈ならバッティングセンターで空振りしてるといいよ、だとよ。どういうことだ?」

「空振り……」

「よく遊んでたのか。あれで」

 顎でバッティングゾーンを示す。

「いやぁ……一回もないですね」

「お前らバッティングセンターに集まって打たないって……」

「ほんとですね。でも空振りしてこい、か……。先輩らしいですね」

 今まで一度も遊んだことがないわけだし、たまにはいいかもしれない。

 それにいい運動、いい暇つぶしだ。

「せっかくだし遊んでみますか」

 腰を上げ、目の前のネットを掻き分けてバッティングコーナーへ入る。

 お金を入れるところの説明が書いてあるので初心者にも優しい新設設計だ。お金を入れる前にまずはバットを持つ。お金を入れたらすぐにボールが飛んでくるらしい。

 左右どちらの打席に入ればいいのか。

 左利きだから左でいいか?

 まぁモノは試しで適当に金属バットを手にお金を投入。そうして左打席に入った途端、すぐに明りに照らされた打席へボールが飛んでくる。

 とりあえず振ってみるが素人のスイングが当たることはない。

 後ろのネットへ吸い込まれ、二球目、三球目とボールが飛んでくる。

 しかしどれだけバットを振ったところで掠ることもない。次第に手のひらが擦れて赤くなり、痛くなってくる。自然と息が上がり、汗が滲む。

 疲れた……。

 何回スイングしただろうか。

 膝に手をついても容赦なくボールはネットへ吸い込まれていく。

「バテすぎだろ。そんなめちゃくちゃに振ってちゃ当たるもんも当たらんわ」

「そ、そうなんですか……? この細い棒に当たるなんて思えないんですけど」

「もうちょっと脇締めて……。ボールの通るとこ、ちゃんと見てみろ」

「と、通り道……?」

 息を切らせながら顔を上げる。

 目の前で何度も横切るボールは言われてみればほぼ同じことを通り続けている。その軌道へバットを重ねれば当たる。それはわかるが、できれば苦労しない。

「それができれば苦労しないって顔してんな。そりゃそうだ、それができればみんなプロ野球選手だからな」

 くふふ。

 サングラスを外し、楽し気に口元を緩める。

「ボールをしっかり見るのは基本だ。大事なのはバットをめちゃくちゃに振るんじゃなくてコンパクトに。大振りだから当たんねぇんだ」

「そんな事言われても。こっちは素人ですよ」

「素人でも楽しめるのがバッティングセンターだからな。脇を閉めて、バットを肩から斜めに振り下ろすイメージ。それで今はいい」

「そんな事言われても……」

 呼吸も落ち着き、手の痛みも若干引いてきた。

 せっかくお金を払ったのだからこのまま終えるのは惜しい──その思いで再びバットを構える。真っ直ぐにこちらへ向かってくる白球。

 ボールをよく見て、脇は絞めて、斜めに振り下ろすイメージ。

 頭の中でそれだけを意識しながらスイングした途端、

「おっ」

 バットを通じて何かがぶつかる感覚を覚える。しかしその衝撃は軽いもので、スイングの勢いにあっさり押し返すことができた。

 響く金属音。

 目線は音を追いかけるように上がり──数秒の後、数メートル先でぽてんと落ちた。

「ピッチャーフライ、バッターアウトだな」

「当たりましたね」

「そりゃ当たるだろ」

「めっちゃ疲れましたけど」

 先輩が居たらどんな反応をしてくれただろうか。

 今のが丁度最後の一球だったらしい──もうボールがネットを叩くこともない。いつもと変わらぬ静寂が戻ってきたのだ。二回目をやる体力はなく、バットをしまってネットをくぐる。

「お兄さん、野球詳しいんですね」

「そうか? まぁこれでも高校球児だったからな」

「お兄さんが……!?」

「意外か? まぁそうかもな。今じゃ煙草吸ってバイク乗り回してるおじさんだからよ」

 口元で笑みを作りながらゆっくり腰を上げる。

「まぁ俺は帰るけど、ほどほどにな」

「はい。なんかいいストレス解消になったかもしれません」

「そりゃよかった」

 じゃあな。

 それだけ言い残してお兄さんは帰っていく。

 あともう一ゲームしていこうか……。

 そんなことを思いながら僕は先輩へチャットを送るのだった。お兄さんと話したこと、初めてバットにボールが当たったこと。

 そして早く会いたいという願いを。


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