それは、冷たい曇り空の午後だった。
雪がちらつき始めた頃、孤児院の裏庭でセレフィーナは、ひとつの小さな命と出会った。
物置の影。木箱のすき間に押し込まれるようにして、弱った小鳥がいた。
羽は泥と血で汚れ、片方の翼は折れていた。
細い脚には糸のような紐が巻きつけられ、締めつけられた跡が赤く腫れていた。
その傷が、痛々しかった。
近くには使いかけの空き缶や石ころが転がっており、誰かがそれを弄んでいたのは明らかだった。
かすかに残る靴の跡。
セレフィーナはそれが誰のものか、すぐにわかった。
リオと、その取り巻きの子どもたち。彼らは、声が届かない場所では、虫や動物を使って“遊ぶ”ことがあったのだ。
セレフィーナは小鳥をそっと両手にすくい上げた。
その体はかすかに震えていたが、命の灯はまだ、残っていた。
彼女は何も言わず、小屋の裏手にある小さな丘まで歩いた。
誰も来ない静かな場所。
雪が音を吸い込むように降りてくる中、彼女は傷ついた小鳥に向かって、そっと囁いた。
「……ごめんね。痛かったね。でも、もう行けるよ」
そう言って、解きかけた羽を空へ向けて持ち上げた。
小鳥は、一度だけセレフィーナの指先を見た。
まるでその目が、彼女に何かを伝えようとするかのように。
そして、風に乗るように羽ばたいた。
不器用ながらも、確かに、空へと昇っていった。
白い雪の中、まるで小さな祈りのような影を引いて。
セレフィーナは、その飛び立つ姿を見上げた。
空に溶けていくその背中に、自分の想いを重ねていた。
飛べたらいいのに。
この場所から、どこか遠くへ。
痛みのない世界へ。
その夜だった。
誰よりも早く就寝するセレフィーナが、静かにベッドに潜ろうとしたときだった。
布団の感触に、違和感があった。
めくったその瞬間、彼女の赤い瞳が大きく見開かれた。
そこにあったのは、血に濡れた小鳥の亡骸だった。
あのときの、小鳥だった。
羽はむしられ、脚は折れ、赤黒い血がベッドの白いシーツににじんでいた。
セレフィーナの口から、声は出なかった。
ただ、呼吸が浅くなり、胸の奥で何かが強くひび割れた。
誰かが殺したのだ。
彼女が自由にした小さな命を、嘲笑うように。
まるで彼女に「飛ぶな」と言い聞かせるかのように。
心が悲鳴を上げていた。
涙は流れなかった。けれど、彼女の中で何かが壊れた。
その夜。孤児院が深い闇に沈む中、セレフィーナはそっと布団を抜け出した。
何も身につけず、裸足のまま、扉を開いた。
雪が舞う夜の庭へ、一歩。
冷たい石畳が足の裏を焼くように冷たい。
けれど彼女は、迷わなかった。
走った。何かから逃げるように、誰かに呼ばれるように。
木々の間を、白い足が音もなく駆け抜ける。
赤い瞳が、夜の森の中で淡く光る。
月が雲間から顔をのぞかせると、セレフィーナの銀色の髪が淡く輝いた。
その姿は、まるで雪の精のようだった。
ただひとつの小さな命に、寄り添いたかっただけなのに。
それすら許されなかった。
だから、彼女はもうこの場所にいられなかった。
そしてその夜から、世界はゆっくりと軋み始める。