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第2話 異変

冬の気配が濃くなるにつれて、セレフィーナの心は、静かに、けれど確実に凍りついていった。


向けられるのは冷たい視線、冷たい言葉、冷たい仕草。

それが、彼女に与えられる世界のすべてだった。


朝、孤児院の教室に入ったセレフィーナの白銀の髪に、何かが絡みついていた。

そっと指先で確かめると、それは噛みかけのチューインガムだった。

粘りついたそれは、引き剥がそうとしても取れず、かえって白い髪をぐしゃぐしゃに絡め取った。

繊細な糸のような毛先が何本も千切れて、床に落ちた。


その様子を見ていた子どもたちは、笑い声をあげた。

「見てよ、呪いの糸が切れた!」

「きっとあの髪、毒があるんだよ。触ったら死ぬって!」


声を上げたのは、リオ。十歳の少年で、いつも群れの先頭に立っていた。

セレフィーナは教室の隅の椅子に座ったまま、目を伏せていた。

一言も発せず、顔も上げず、まるで自分がそこに存在していないかのように。


笑われても、髪を切られても、押されても、彼女は何も言わなかった。

けれど、何も感じていないわけではなかった。


その痛みは、胸の奥で静かに沈殿していった。

やがて、小さな黒い染みのようになって、心の中をじわじわと染め上げていく。

その黒い染みは、名前のない想いとなって、彼女の奥深くで静かに広がっていった。



わたしなんて、いないほうがいい。

どうしてあの子たちは笑っているの?

どうして誰も助けてくれないの?



声にならない問いかけが、彼女の中でこだまを打ち続ける。

それは祈りではなかった。けれど、呪いでもなかった。

ただ“強く、静かに、思った”だけだった。


すると、周囲の空気が不自然に冷たくなることがあった。

教室の窓ガラスが白く曇り、吐く息は朝でもないのに真っ白になる。

静電気のような緊張が空間を満たし、誰もその理由をうまく説明できなかった。


ある昼休み、リオが階段から落ちた。

「誰かに背中を押された!」と彼は泣き叫んだが、そこに他の子どもはいなかった。

ただ、踊り場の角に立っていたのは、たった一人、セレフィーナだった。


誰も彼女が押した瞬間を見ていない。

だが、誰もが「きっとそうだ」と思った。

疑いではなく、確信のように。


それから、孤児たちは彼女に近づかなくなった。

その瞳に見つめられることを避け、目が合えば息を呑み、背を向けた。


「セレフィーナに睨まれたら、災いが起きる」

「呪われる」

「アイツは死神の娘だ」


そんな言葉が、空気のように院内に広がっていった。


数日後、リオの妹のマリエが突然鼻血を出して倒れ、高熱で入院した。

医師たちは原因を特定できず、彼女はうわごとのように「白い目が見てた」と何度も繰り返した。


その午後、セレフィーナは廊下の隅にひとりで立っていた。

目を閉じ、口元をかすかに動かしていた。

それは誰にも聞こえない囁き。祈りにも呪文にも似た何かだった。

けれど、彼女自身さえ、その意味を知らなかった。


ただ、“強く思う”ことが現実を歪めてしまう。そんな力が、確かに彼女の中には眠っていた。



夜になると、孤児院の空気が変わっていった。

電球が何の前触れもなく消え、暖炉が突然止まり、壁の奥からはすすり泣くような音が聞こえるようになった。

異変は日を追うごとに増え、誰もが見えない何かを恐れるようになった。


ある夜、セレフィーナに「人間じゃない」と叫んだ少女サラが、夢遊病のように歩き、二階の窓から落ちた。

雪に助けられ、命に別状はなかったが、目覚めてから彼女は何も話さなくなった。


その夜、セレフィーナは自分のベッドの上で静かに横たわっていた。

赤い瞳を伏せ、唇にはかすかな笑みのようなものが浮かんでいた。

だがそれは、決して喜びの笑みではなかった。



なぜ、こんなことが起きるの?

私は、何もしていないのに。



そう思いながら、彼女は胸に手を当てた。

そこには、まだ消えきらない温もりが、わずかに灯っていた。

けれどそれも、いつまで残るかはわからなかった。


世界は、彼女に氷のような孤独だけを与え続けていた。

そしてセレフィーナもまた、ただ静かに、それを受け入れ始めていた。


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