森は、まるでこの世から切り離されたかのように、静かだった。
焼け焦げた孤児院の匂いだけが、かすかに風に乗って漂ってくる。
セレフィーナは裸足のまま、ひとり、深い木々の間をさまよっていた。
足裏はすでに裂け、血と泥が混じり合っていたが、彼女の赤い瞳はただ、前を向いていた。
涙や痛みすら、彼女の内にはなかった。
――帰る場所は、もうない。
けれど、不思議なほど、心は静かだった。
まるで、長い檻の中からようやく外へ出られた鳥のように。
背中から伸びる羽が、どこまでも遠くへ運んでくれるような感覚。
孤児院があった場所から吹き荒れる、生暖かい風が、彼女を後押しする。
夜が深まり、空には変わらず、無数の星がまたたいていた。
それは、誰のものでもない、だからこそセレフィーナは星達に見守られているような気がした。
星たちは、何も語らず、何も裁かなかった。
ただそこに在り、セレフィーナを静かに照らしていた。
人間たちが彼女に向けた怯えや蔑みとは違って、星々は何ひとつ奪わなかった。
だからこそ、セレフィーナは思ったのだ。
――もし願いをかけるとすれば、こんな夜空に。
けれど、その祈りが口からこぼれる前に、男たちの影が森を裂いた。
そして、星の下の静寂は、何もできずにただ瞬いていた。
そのときだった。
森の奥から、誰かの声が聞こえた。
彼女が歩いたその森の奥、乾いた草を踏む音に混じって、かすかな話し声が近づいてきた。
「本当にいた……こんな奥まで……」
「白い髪に赤い目……こいつがそうだ、噂の“呪いの子”……」
現れたのは、よれた外套を着た男たちだった。
猟師でもなく、騎士でもなく、ただ人の影を追って生きる薄汚れた目をした“買い手”の男たち。
セレフィーナの赤い瞳を見ると、彼らは顔を見合わせ、声を潜めて笑った。
「こんなガキでも、珍しい見た目してると値がつくもんだ」
「見つけた俺たちは幸運だな。どうせどこの誰にも必要とされてないんだろうし」
逃げようとした足がもつれた。
寒さに震える体は、もはや反応すらしなかった。
「おとなしくしろよ、小鳥ちゃん。お前には“居場所”が必要だろ?」
その言葉の意味を、幼いセレフィーナはまだ知らなかった。
けれど、男たちの手が腕をつかむその力強さに、なにか恐ろしいものを感じていた。
小さな悲鳴さえ出すことができず、セレフィーナはそのまま森の闇に飲まれていった。
――――――
のちに語られる。
あの夜、聖アメリア孤児院で起きた火災は、村人たちの口により、やがて“伝説”へと姿を変える。
「呪いの子・セレフィーナがいた場所は、たちまち災厄に飲まれる」
「彼女に微笑まれれば、命を落とす」
そう、語り継がれるのだ。
セレフィーナという名と共に――。