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第32話 その頃、ベルトン子爵家では……

 ある日の午前。

 秋朝の冷気がやや和らぎ、陽光が家屋の上端をなぞりはじめるころ。


 ラクスジットで、誠実かつ辣腕として知られる商会の主――ゴルド・フィン・ベルトンは、自身の生家である『ベルトン子爵家』の本邸を訪れていた。お供として、腹心の部下のケネト・テリールが付き従っている。


 来訪の目的は、商談が主である。ベルトン子爵が、『イカイ・サクタロー』と名乗る異邦人由来の世にも珍しき品々を強く所望したのだ。


 そして二人が屋敷の絢爛なサロンへ通されるや否や、客人をもてなす茶が出てくるよりも早く、此度の席を設けた張本人が扉を豪快に開いて姿を現す。


「よくぞ参った、ゴルドよ! 久しいな、会いたかったぞ!」


「歓迎痛み入る、兄上。だが、いつもながら大げさかと。私の記憶が確かならば、つい先日にも顔を合わせたばかりではありませぬか」


 凶相を帯びた中年の男二人が壮絶な笑みを浮かべ、挨拶と共に抱擁を交わす。


 大げさな身振りでゴルドを歓迎した偉丈夫は、ガルヴァン・フィン・ベルトン――ベルトン子爵家の当主だ。気品漂う上質な衣服を纏い、身につけた装飾品が室内の光を反射して煌めいている。


「何を申すか、ゴルドよ! お前は、この世でたった一人の弟なのだぞ! たとえ束の間の別れであっても、この胸には幾年もの隔たりとして刻まれて当然であろう!」


 そう言って豪快に笑い声をあげるガルヴァンと、困ったように眉を寄せるゴルド。

 この二人は、よく似た兄弟としてこのラクスジットでも有名だ。


 豪放磊落な兄と冷静沈着な弟。性格は大きく異なるが、二人とも凄まじい強面に反して誠実で慈悲深く、女性や子どもに対して優しいと評判である。もちろん使用人たちからの信頼も厚い。


「まったく。お前ときたら遠慮ばかりして、なかなかこの家に寄り付こうとせんのだからな。ここは生家でもあるのだぞ? 何かと用事を作り、度々呼び出さねばならん俺の身にもなれ。ケネトにも苦労をかけるな」


「お気遣いいただき恐縮でございます、ガルヴァン様。支え甲斐のある主のおかげで日々を楽しめております」


 またこの強面の二人は、和気あいあいとした会話からもわかるように兄弟仲も非常に良好だ。


 幼少期より兄のガルヴァンの豪放さは筋金入りで、時に周囲を巻き込むほどの失態を演じていた。しかしそのたびに、弟のゴルドが陰から手を差し伸べ、共に助け合って育ってきた。


 そのうえ両者は、ケネトとも親交が深い。焦げ茶色の髪と同色の髭をたたえた彼は、かつてベルトン子爵家で執事を務めていた経歴を持つ。


「そうだ、ゴルドよ。昼餐はともに過ごせるのであろうな? 妻や子どもたちも会えるのを楽しみにしていたのだぞ」


 当主のガルヴァンは妻帯しており、すでに跡継ぎとなる長子にも恵まれている――これが、ゴルドが家を離れた理由である。


 貴族家と後継者争いは、切っても切れない関係だ。爵位や財産、多くの利権が絡むため深刻化しやすいのである。


 加えて、彼らの属する『リベルトリア王国』は世襲制を採用しており、長子継承が基本。仮にゴルドを担ぎ上げようとする勢力が現れた場合、ガルヴァンの子どもたちに危害が及ぶ恐れがある。


 無論、それを本人が良しとするはずもない。

 ましてベルトン子爵家は、莫大な利益を生む『迷宮都市ラクスジット』の支配者である公爵家の覚えも良い。もとを辿れば譜代の家臣でもあるのだ。


 いくら家族関係が良好でも、まったく火種がないと断言できるほどではない――だからこそ次男であるゴルドは、兄に男児が生まれ、ある程度成長するのを待ってから子爵家を離れ独立した。万が一の際の『スペア』としての役割を終え、自ら後継者争いの火種を摘むために。


 ただし、このことは明言されていない。

 家族に心配をかけまい、というゴルドの心遣いだ。


 もちろんガルヴァンも、すべて理解したうえで弟の決断を受け入れた……が、他人となることまでは許容しなかった。ゴルドが今も貴族としての籍を残しているのは、兄が強く希望したからに他ならない。


「兄上、もちろん昼餐にはご一緒させていただくつもりだ。しかしそのためにも、奥方への貢物を手早く選んでしまわねば怒られてしまうぞ」


「おお、そうであったな! して、また今回もずいぶんと素晴らしい品々を手に入れてきたようだ……ぬお!? これなど、もはや国宝と言われても驚かんぞ!」


 サロン内には長卓が運び込まれており、本日ゴルドが持参した品々が展示するかのように並べられていた。使用人たちの手腕が光る。


 そして思わず歩み寄ったガルヴァンの目を真っ先に引いたのは、白磁に高貴な金彩がふんだんに使われたティーカップ。


 ラクスジットの社交界では『ヨウレンの磁器』が有名で、高い人気を誇る。しかし今このサロンで光を浴びるそれは、段違いの白さに繊細で優美な装飾が映え、おまけに『取っ手付き』という極めて珍しい特徴を備えていた。


 同種のティーカップをゴルドも所持しているが、そちらはサクタローからの贈答品であり、現在も自身の屋敷で大切に保管している。


 従って、目の前にあるのはあの日に別途購入した一客だ。価格の判断が難しかったため、利益を還元するという約束を交わしていた。


「ううむ……どれも凄まじいな。これほどの品を立て続けに用意できるなど、どこぞの大国の王族か、それに準ずるやんごとなき御仁なのではあるまいか? もしくは、神に導かれて迷い込んだ御使いであるやもしれん」


 ガハハ、とガルヴァンは思いつきで口にした冗談を笑い飛ばす。それから、ゴルドが持参した品々の検分を続けた。


 長卓には他にも、真っ白な砂糖や上質な胡椒、ハチミツや茶葉などがたんまり並べられている。こちらはすべて、陶器の壺瓶に移されて運び込まれていた。それとは別にとりわけ多く見受けられるのは、並外れた腕を持つ針子によって繕われた衣服。


 意匠はやや珍妙に感じられるものの、『これぞ神業』と唸ってしまうほど完璧に仕立て上げられている。生地も尋常でなく精良で、目を奪うほど白い胴衣はまさに王侯貴族の真髄――白を尊ぶ文化が根付くリベルトリア王国の上流階級であれば、誰もが欲しがる逸品に違いない。 


「ところで、ゴルドよ。公爵閣下より、近々開催される晩餐会の招待状をお届けいただいたのだ。それで、献上品を持参しようと思うのだが……」


「公爵閣下の……そうなると、生半可な物は選べぬな」


 迷宮都市ラクスジットを治める公爵家は、リベルトリア王国で随一の権勢を誇る貴族として知られている。王家とも縁深く、その財力はそこらの小国にすら劣らない。


 そんな大御所への献上品だ。ちゃちな品では目を楽しませることすらできまい。逆に関心を引くことができれば、この街での立場はますます安泰。自家のさらなる繁栄のためにも、覚えが良いに越したことはない。


 ましてや、前回サクタローから購入した品が少数ながら貴族街に流通していた。もちろんゴルドが売却したものだ。となれば、珍しい品が流れていると公爵本人の耳に入っていてもおかしくはない。


 それだけに、ゴルドとガルヴァンの目は真剣だ。さらにケネトの知恵も借り、三人でうんうんと頭を悩ませつつ長卓に並ぶ品々を吟味していく。

 やがて、ひとつの衣服に注目が集まる。


「ふむ……ゴルドよ、これならば問題あるまい。きっと公爵閣下もお喜びになられるはずだ」


「然り。献上するに、これほどうってつけの品は世に二つと存在しないであろう。ケネトはいかが思う?」


「ええ、異存ありません。なんとも素晴らしき意匠ですな……叶うのならば、私が着てみたいものです」


 格に対して過分な富を蓄える子爵家の当主、迷宮都市と名高いラクスジットでも有数の商会の主、及びその腹心の部下――リベルトリア王国内でも卓越した見識を持つ三人が選びだしたのは、先ほど目にした一枚の真っ白な胴衣だった。


「うむ、やはり素晴らしい! 特にこの胸の意匠が際立っておるな!」


 バサリ、と。

 ガルヴァンは畳まれた白い胴衣を手に取り、広げて目の前で高々と掲げる。

 その胸部には、大きく力強い墨文字で『海人』と書かれていた。


 公爵への献上品が無事に決まると、三人はしばらく歓談のひとときを楽しむ。

 その後、屋敷のダイニングルームへ移動して昼餐の席についた。ところがほどなく、ゴルドは中座せざるを得なくなる。


 それというのも、商会の下働きの者から『奇抜でありながら非常に仕立ての良い服を着た御仁が、獣人の童女を連れて不警戒に街をぶらついている』という情報がもたらされたのだ。


「奇抜ながら仕立ての良い衣服、獣人の童女……おそらく、サクタロー殿で間違いあるまい。ケネトよ、いかが思う?」


「ええ。あの方なら、のんびり街中を歩いていても不思議はありません……」


「それに、ここまで聞こえてくるほど噂が広まっておるのだ。いくらサリアが護衛についていようと、不埒者どもの関心を買うのは避けられぬ……こうしてはおれん! 兄上、火急の用件ができたゆえ、ここで失礼させていただく!」


 サクタロー殿に何かあってはいけない、と二人は慌ただしく子爵邸を飛び出した。


 しかし結局のところ、会えずじまいの取り越し苦労に終わる――共に行動していたという薄汚い探索者の四人組を探し当て、引き連れていた大勢の護衛で囲んで事情を聴取してみれば、『当人たちはすでに帰還した』と聞かされた。


 何事もなくて良かったと安堵しつつも、なんとも言えない微妙な気持ちを抱くゴルドとケネトであった。

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