一ヶ月だけの仮住まいとは思えないほど、白石家が鹿乃のために用意してくれた部屋は、広さも日当たりも備品も、すべてが整っていた。
その完璧さに、鹿乃は思わず目を見張った。――これって、本当に一時的な滞在?それとも視察でも来たの?
と疑いたくなるほどだった。
白石理咲もこの部屋に入るのは初めてで、中には化粧品まで揃っているのを見て、珍しく息子を褒めた。
「悠真って普段は口数少ないのに、やることは意外と抜かりないのね。鹿乃ちゃん、何か足りないものはある?」
鹿乃は慌てて首を振った。驚きと喜びが、そのまま表情に浮かんでいた。
依織にそっくりなその顔で、こんなに素直な反応をされては、理咲はすっかり心を打たれてしまい、つい頬をつねりたくなった。
だが、その手が上がった瞬間――
ちょうど入ってきた白石悠真が、理咲の手を掴んで荷物の上に押さえつけた。計画は失敗。
ふくれた口で悠真を見上げた理咲は、疑いの目で息子を見やった。「今日、何か変なものでも食べたの?いつになく世話焼きじゃない。」
気にも留めず、悠真はふてぶてしい母を一瞥し、きょとんとする鹿乃に視線を移すと、丁寧な口調で告げた。
「天気予報を見たけど、ロンドンは朝晩けっこう冷えるらしい。きみはたぶん夏服しか持ってきてないでしょ。クローゼットに新しい上着を何着か入れてあるから、寒くなったら着替えて。」
たった十日間、オンラインでは一言しか交わしていなかった彼が――
こんなに気が利くとは、鹿乃にはまったくの予想外だった。飛行機の中で、自分が彼を冷たい人間だと決めつけていたことを思い出し、鹿乃は少し恥ずかしくなった。
気まずさと、心からの感謝の入り混じった気持ちで、彼にお礼を言った。そんなふたりのやりとりを、背後から白石理咲がにんまりと見ていた。
理沙が黙って部屋を出ると、自室に戻り、スマホを手に取り、遠く離れた親友にメッセージを送った。
「ねえ、依織。やっぱりうちらの
そのメッセージを受け取った依織は、思わず顔が綻びた。
添付されていた写真には、美男美女のツーショット。どこから見てもお似合いで、つい口元が緩んでしまう。
ちょうど依織の隣にいた神崎誠司も、画面を覗き込みながら微笑んだ。
「この子が鹿乃と
依織もうなずき、口元の笑みが消えない。
「湊と窈子、鹿乃と悠真、どっちも本当にいい子に育ってくれたわね。もし鹿乃が悠真とうまくいったら、海外暮らしかぁ……それだけがちょっと心配。」
「でも、子どもはいつか巣立つものだよ。幸せになってくれるなら、それが一番だろう。距離なんて大したことないさ。あと数年もすれば俺も定年だし、おまえが鹿乃に会いたくなったら一緒に行けばいい。
ほら、半年日本、半年ロンドン。旅行みたいでいいじゃないか。」「ロンドン? 旅行の予定でもあるの?」
そのとき、ふらりと扉を開けて入ってきたのは、神崎湊だった。
最後の言葉を耳にしたようで、何気なく問いかけた。だが、酒の匂いを漂わせて帰宅した彼を見て、父親の表情は一気に険しくなる。
「朝からどこに行ってたんだ。電話を何度もかけても出なかったのに、まさか飲みに行ってたのか。おまえの妹が今日……」
その厳しい口調に、神崎湊の表情も徐々に冷たくなっていった。
依織は、また親子喧嘩にならないよう急いで場を取りなして言った。
「お仕事のつきあいで飲むこともあるでしょ? 責めなくてもいいじゃない。」
「湊くん、具合悪いの? まずは顔を洗ってきなさい。あとで私が酔い覚ましのスープ作ってあげるからね。」
だが、すでに機嫌を損ねた神崎湊は、うわべのやりとりにも応じず、ただ一言だけを投げて階段を上っていった。
「いらない。」