「鈴奈ちゃんの言ってること、私にはよく分からないよ」
予想通り、利恵子が困惑した視線をあたしに向けてきた。
ここまで言われても、あたしに対する怒りで顔を歪めないなんて。
もうあたしの完敗だ。
利恵子にはまるで勝てる気がしない。
「きっと人間には天使が堕とせないように、あたしには利恵子を自分の隣まで堕とすことが出来ないのね」
利恵子が少しも顔を歪ませない一方で、あたしの顔はぐちゃぐちゃに歪んでいる。
利恵子を堕とそうと画策した結果失敗して、それを咎められもしない。
せめてあたしのことを口汚く非難してくれれば良かったのに。
「利恵子なんて大っ嫌い」
捨て台詞のようにそう言った。
我ながらカッコ悪いことこの上ない。
だけどもういい。カッコ悪い捨て台詞を吐いたまま逃げてしまおう。
「そんなこと言わないでよ!!」
あたしが個室から出て行こうとすると、利恵子が叫んだ。
ドアノブにかけた手を離して振り返る。
「え?」
振り返ったあたしの目に映ったのは、これまで何を言っても歪まなかった利恵子の、悲痛に歪んだ顔だった。
「どう、して……」
「私には鈴奈ちゃんの言ってることの意味は全然分からないけど、でも嫌いって言葉くらいは分かるんだから!」
「利恵子……?」
こんな風に誰かに向かって叫ぶ利恵子を見たのは初めてだ。
利恵子は叫び慣れていないらしく、少しぎこちない。
それでも、また叫ぶ。
「鈴奈ちゃん、勝手に私のことを嫌いにならないで!」
「……なにそれ、変なの」
利恵子が顔を歪ませて叫ぶ理由が、あたしに嫌いと言われたから、だなんて。
考えたこともなかった。
自分にそんな価値があるなんて思ったこともなかった。
……これまであたしがやってきたことは、全部茶番だったのかもしれない。
あたしの隣まで堕ちなくても、利恵子は利恵子のままで、綺麗なままで、あたしと向き合ってくれている。
それで十分だ。
それが利恵子だ。
利恵子は綺麗すぎて目が焼けるように感じることもあるけれど、あたしはそんな利恵子を愛したのだ。
お綺麗で眩しいところは欠点として受け入れるしかない。
そんな利恵子に恋をしてしまったのだから。
「本当に変。あたしも利恵子も」
「変でも良いよ。でも私のことを嫌いにはならないで。それだけは譲れない!」
「あーあ。負けよ、負け。降参」
あたしは両手を挙げて、利恵子に敗北の意を示した。
何をしても自分が利恵子に勝てるビジョンが見えてこない。
惚れるが負けというやつだ。
「……へ?」
「歪ませようとしても全然歪まないのに、こんなことで顔が歪むなんて。利恵子には勝てる気がしないわ」
利恵子はあたしの言葉にきょとんとした後、ぱあっと顔を綻ばせた。
「それって鈴奈ちゃんが私のことを嫌いにならないでくれるってこと!?」
「最初からただの捨て台詞よ。利恵子のことを嫌いになるわけがないじゃない」
本当は好き、大好き。
この世の誰よりも愛している。
私の言葉に感極まった様子の利恵子が勢いよく抱きついてきた。
「ちょっと!? 急に飛びついたら危ないじゃない!」
「平気だよ。だって鈴奈ちゃんは私のことを絶対に受け止めてくれるもん」
「そりゃあ、ね」
ふと個室の端を見ると、葉介が両手で自身の口を押さえながらあたしたちのことを見ていた。
「もしかして……百合!? 俺って邪魔者!?」
「あっ、葉介君がいたんだったね。葉介君とは婚約破棄するからよろしくね」
葉介にちらりと視線をやった利恵子が、あっけらかんとしながら言った。
さすがに利恵子のあっさり具合はいかがなものかと思うものの、あたしも葉介とは婚約破棄をした方が良いと思う。
葉介はきっとまた浮気をするから。
「婚約破棄!? 待ってくれよ、俺はちょっとした遊びのつもりで」
「破棄だから」
「あの、でも」
「帰って」
無粋なことを口走る葉介にあごで合図をすると、葉介は唇を噛みながら個室から出て行った。
了