「二人は、私と葉介君が付き合ってることを知ってるよね?」
「ええ、知っているわ」
「……はい」
葉介は借りてきた猫のように縮こまっている。
浮気がバレて委縮するなら、浮気なんてしなければいいのに。
お前が言うな案件だけれど、小さくなる葉介を見ているとそんなことを思ってしまう。
「葉介君はうちの両親とも会ってるよね? 私も葉介君のお父様とお母様に挨拶してるよね?」
「……はい」
「そんな結婚間近の状態で浮気をしたら駄目なことは分かるよね? 結婚間近じゃなくても浮気が駄目なことは分かるよね?」
「……はい」
横で見ていて笑ってしまいそうなほど、葉介の返事はか細く小さくなっている。
今にもカラオケのプロモーション映像の音に掻き消されてしまいそうだ。
「こういうときは、なんて言うのかな?」
「ごめんなさい。もうしません」
「よく出来ました。鈴奈ちゃんは?」
利恵子が視線を葉介からあたしに移した。
これに素直に応える。
「ごめんなさい。もうしません」
「鈴奈ちゃんもよく出来ました」
そこまで言った利恵子は、パンと両手を叩いて明るい声を出した。
「じゃあこの話はこれで終わり! せっかくカラオケに来たんだから残りの時間は歌おっか」
「…………はあ!?」
利恵子のあまりにもあんまりな発言に、心からの「はあ!?」が出た。
ごめんなさいをして終わり?
幼稚園児じゃないのだから、それで終わって良いはずがない。
利恵子にとって葉介は結婚する予定の相手で、あたしはその葉介と隠れて付き合っていた浮気相手なのだから。
「これで終わりってどういうことよ!」
あたしは立ち上がってテーブルを力いっぱい叩いた。
これで終わりなんて、許さない!
「おい、鈴奈!? 許してくれるって言ってるんだから、それでいいだろ!?」
声を荒げたあたしを、葉介が焦りつつなだめようとしてきた。
しかしここで話を終わらせるわけにはいかないのだ。
だって。
「それじゃああんたと付き合った意味が無いのよ」
「俺と付き合った意味? 何の話だ?」
話について来れていない葉介を無視して、あたしは利恵子に向かって再び大声を出す。
「もっと怒りなさいよ! 泣き叫びなさいよ! あたしのことを引っぱたきなさいよ!」
あたしが怒鳴ると、利恵子が困惑した顔であたしのことを見た。
その利恵子をキッとにらむ。
立場的にあたしが利恵子をにらむのはおかしいけれど、それでもにらまずにはいられなかった。
このまま甘い対応で終わるくらいなら、めちゃくちゃになった方がずっとマシだ。
「あたしは利恵子の嫉妬で醜く歪む顔が見たかったからこの男と付き合ったのよ! 特に好きでもないこの男とね!」
「えっ……」
指を差された葉介がショックを受けた顔をしているけれど、そんなものは無視をする。
浮気をしていた葉介には落ち込む資格なんて無い。
「利恵子は学生の頃からいつもヘラヘラヘラヘラしちゃって! まるで不幸なことなんか何も無いかのような態度で! あたしはそれがムカつくのよ!」
「……鈴奈ちゃん、私のことをそんな風に思ってたんだ」
「そうよ。いつもいつも上機嫌で、気味が悪いったらないわ! 良い子ちゃん過ぎて反吐が出る!」
次から次へと言葉が溢れ出てくる。
きっと心のダムが決壊したのだ。
そのせいであたしの醜い心が溶け出した濁流が押し寄せてくる。
「いつだって綺麗なところで自分だけは穢れ無き存在みたいな顔をして! どうせあたしを見下しているんでしょう!?」
「見下してるなんて、そんな。鈴奈ちゃんのことはずっとすごいと思ってて」
「お綺麗な場所から見下ろしながら言っても説得力が無いのよ!」
あたしは再度テーブルを叩いた。
葉介はどうすればいいのか分からないようで、部屋の隅で小さくなっている。
「綺麗な場所って言われても、私は普通に……」
「ええ、利恵子には普通でしょうね! 利恵子が普通だと思っているところは、あたしのような人間から見たらお綺麗な場所なのよ!」
あたしから見て、利恵子は理想そのもののような生き方をしている。
嫌いな人もおらず嫌いなものも無く、罪を憎んで人を憎まず。
不器用だったとしても、何に対しても正々堂々正面からぶつかる。
そうやって生きようとして出来なかった人間からしたら、目が潰れるほど眩しい存在なのだ。
近付きたくて手を伸ばすけれど、自分に利恵子のような生き方が出来るわけもなく、手を伸ばしたまま堕ちていく。
たぶんあたしだけじゃなくて、ほとんどの人間がそうなる。
利恵子以外のほとんどの人間は、とても弱いから。
最高の環境が揃うことなんて、滅多に無いから。
あたしは目立つ外見のせいで、いじめられたことがある。
だから進学して周りの人たちの顔ぶれが変わってからは、誰にもいじめられないようにトゲトゲと尖った。
いじめられるくらいなら、相手を跳ね退けた方が楽だから。
いじめとは関係なく、あたしはズルだってしてきた。
大学ではデートの約束と引き換えに講義のノートをコピーさせてもらったし、会社員になった今でも同じようなことをしている。
そうした方が、楽に生きられるから。
人間とは、楽な方に流れる生き物なのだ。
それなのに利恵子は、楽な方に流れない。
それなのに利恵子は、順調に生きていられる。
不器用で要領が悪いのに、誰からもいじめられることもなく、綺麗な顔で綺麗な道を歩いている。
あたしはそんなお綺麗な利恵子の顔を歪めたかった。
あたしと同じように、普通の人のように、嫉妬や憤怒で歪む顔が見たかった。
だけど利恵子は綺麗なままで、そこにいる。
結婚間近の彼氏と親友が浮気をしたのに、そのどちらにも醜い表情を見せない。
両方に反省を促して、それで終わり。
そんな人間……堕としてやりたいじゃない。あたしの隣まで。
きっと、利恵子にはあたしのこの気持ちは理解できない。
綺麗なことのどこが悪いの?と不思議そうな顔をするに決まっている。
どこも悪くない。
だからこそ、タチが悪いのだ。