目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第3話


「おっ、今日も目立つな!」


 待ち合わせ場所へ行くと、あたしに気付いた葉介が大きく手を振った。


「派手な服装のつもりはなかったのだけれど」


「服が目立つんじゃなくて鈴奈自身が目立つんだよ。洗練されてるからすぐに分かる」


 そういえば利恵子もそんなようなことを言っていた。

 他人に注目されるのはパンダみたいで好きではないのだけれど、褒め言葉のようだから素直に受け取っておく。


「水族館なんて久しぶりに来たわ」


「魚好きじゃない限り滅多に行かないよな。俺は二日連続だけど」


 葉介が勝手知ったる様子でチケットを購入してパンフレットとともに渡してくれた。


「何時のショーを観る? 観るショーを決めてから回るとスムーズなんだ」


「さすが、昨日来ただけはあるわね」


「まあな! ちなみに鈴奈は朝食とってきたか?」


「何その質問。食べてきたけれど」


 葉介は十二時からのイルカショーの案内を指差すと、ニカッと笑った。


「じゃあ少し昼食を遅くして、十二時開始のイルカショーを見よう」


「いいわね。それまではゆっくり館内を歩きましょうか」


「おうっ!」


 二人で並んで水族館内を歩く。

 どこを見ても魚ばかりで、まるで海の中にいるみたいだ。


「魚も良いけどクラゲの展示も神秘的で良い感じだぞ。それとも鈴奈は深海魚が見たい?」


「クラゲが良いわ。クラゲのコーナーはこの先を右みたいね。右へ行きましょう」


 葉介と二人で水族館を歩いていると、不覚にも穏やかな気持ちになってしまう。

 気を遣わなくてもいい気安い関係性がそう感じさせるのだろうか。

 浮気中のはずだけれど、とても居心地が良い。

 一緒にいてこんなに穏やかな気持ちになる相手はなかなかいない。

 親友の利恵子だって、あたしをこんな気持ちにはしてくれない。

 ……むしろ利恵子と一緒にいると、あたしは身体の底から醜い感情が湧き上がってくることを感じるくらいだ。



   *   *   *



「魚を見ながら食べるアクアパッツァはどうかと思ったけれど、なかなかイケるものね」


「日本人にとって魚は身近な食材だからな。むしろ生きてる魚を見る方が珍しいだろ」


「確かに日常で見るのは食材としての魚ばかりよね。ちなみにあたしは刺身よりも焼き魚が好きよ」


「俺は両方好きだぞ。煮魚も好きだな」


 水族館に来てする会話とは思えない話を葉介と交わす。

 ……いや、水族館に来る客は案外こういった会話をしているのかもしれない。


「それにしてもイルカショーは期待を裏切らなかったわね。すごかったわ」


「水族館の目玉だからな。昨日は利恵子が大はしゃぎだった」


「それ、あたし言うのはどうなの?」


 浮気相手の前で本命彼女とのデート内容を口走るデリカシーの無さには呆れるけれど、あたしたちはこういうのもアリな関係だから別にいい。

 こういう適当な付き合いでちょうどいい。


「前から思ってたんだけど、鈴奈は本当に利恵子の親友なのか?」


「どうしてそんなことを聞くの。あんたと浮気しているから?」


「それもあるんだけどさ。利恵子の話になるとたまにすごい顔してるだろ、鈴奈」


「すごい顔ってどんな顔よ」


 そんな顔をしていた覚えはない。

 無意識に心の内が表情に出てしまっていたということだろうか。


「そりゃあ近くにいれば、いろんな感情を持つわよ。でも親友だと思う感情も確かにあたしの中にあるわ。同時にそれ以外の感情も持っているけれど」


「言われてみればそうだな。一人につき一つしか感情を抱いちゃいけないわけじゃないもんな」


 その通り。

 親友として利恵子の幸せを願う気持ちと、そのお綺麗な顔を歪めて堕としてやりたいと思う気持ちは、同居する。

 矛盾しているようだけれど、これは矛盾ではない。

 同じ人物相手にたくさんの感情を持ってしまうことはままある。

 あたしは役割の決められた物語上のキャラクターではなく、現実を生きる人間だから。そんなに分かりやすく出来てはいない。


「それよりこの後は何を観る? やっぱりペンギンショー?」


 葉介がパンフレットを広げ、館内図を指差しながら尋ねた。

 片手にはスマートフォンを持って、ショーの時間を調べているようだ。


「ショーもいいけれど、魚たちのごはんタイムもいいわね」


「じゃあ両方観よう。時間的には両方観れるはずだから」


「そう……ね」


 突然動きを止めたあたしを、葉介が不思議そうな顔で見てくる。

 そんな風に不思議がらなくても、あたしが動きを止めた理由は前を見ればすぐに分かる。


「えっ!? 利恵子!?」


 あたしの視線を追って前を向いた葉介が、裏返った声を出した。

 分かりやすいやつだ。


「利恵子、どうしてここに!?」


「昨日お守りを落としちゃって……電話をしたら水族館で預かってるって言われたから、受け取るついでに水族館を観ようと思って……」


「そうなんだー……あ、いや、誤解だぞ!? これには理由があるんだ」


 彼女以外の女と水族館でデートをする理由とは何だろう。

 いくら利恵子相手だとしても、浮気の現場を押さえられては誤魔化しが利くわけがないだろう。


「えっと、そのだな……なっ!? 理由があるんだよな!?」


 言い訳が思いつかなかったらしい葉介があたしに話を振ってきた。

 そんな無茶振りをされても、ここから巻き返すのは無理だ。


「……場所を変えましょうか」


 誰かの思い出になるだろう水族館で修羅場を展開することははばかられたため、あたしたちは水族館から移動することにした。



   *   *   *



 あたしたちが修羅場の場所に選んだのはカラオケボックスだった。

 レストランや喫茶店で騒ぐのは申し訳がないし、誰かの家へ行くには水族館は誰の家からも遠すぎた。


「…………」


「…………」


「…………」


 修羅場中に店員が個室に入ってくる事態は避けたかったため、じっとドリンクが運ばれてくるのを待つ。

 その間誰も一言も喋らず、気まずい時間が流れた。


 数分後にやってきた店員は、あたしたちの間に流れる緊張感を察したらしく、ドリンクを置くと逃げるように個室から出て行った。


「始めてもいいかな」


 準備が整ったところで、利恵子がぽつりと言葉を紡いだ。

 これにあたしと葉介が頷く。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?