──札幌駅の南口。
日本有数の都市の玄関口にして、観光客とスーツの民と雪とビルと、いろんなものが密集する混沌の聖地。
そのど真ん中、ベンチに座り込んでいるスーツ姿の女。それが私だ。
「……はい、片桐千歳さん、残念ながら……ええ、今回も……」
耳に残るのは、先ほど面接官が放った断りの声。優しい言葉遣いが逆に心をえぐる。
スマホの画面には“選考終了のお知らせ”のメールがぽんぽん積まれていく。まるで墓標。
「ぜんぶ、落ちた……」
就活、全敗。ゼロ勝。パーフェクト負け。
カジュアルなOL風のコーデに、ぱつんと揃えた前髪。
メイクだって朝から気合い入れたし、鏡の前で「よしっ!」って10回くらい気合い入れたのに。
「……札幌、風つよ……」
駅前の風は、今日も情け容赦がない。スカートがバタついて、トートバッグの中の履歴書がぐしゃっとなった。
──と、そのとき。
視界の端に、ありえない“何か”が映った。
歩道の向こう。ガラス張りのオフィスビルの一角。
……っていうか、あそこって確か“テナント全撤退”って張り紙されてたはずだけど?
そこに――
「は?」
まぶしいくらいに銀髪の、そして目を疑うほどの美人が、すっとビルの中へ入っていった。
ふわっと浮いてるようなドレス。
きらきらとした装飾。
足元、裸足。
背中、羽根(に見える何か)。
オーラ、ゴリゴリ。
完全に、女神。
「コスプレ……じゃないよね?」
現実の札幌の街中で、あのビジュアルは“非現実”すぎる。
たしかに今は観光シーズンだけど、あれは何か違う。
無意識のうちに立ち上がっていた。
気がつけば、足が勝手にそっちへ向かっていた。
「えっ、ちょ、待って、私……追ってる……?」
自分でもよくわからないまま、私は廃ビルに入っていた。
電気がついてない。
エレベーターも止まってる。
ガラスのひび割れ、かすかに焦げ臭い匂い。
どこをどう見ても、もう“人が使ってない場所”。
その奥に――
「ふうむ。天井が少しばかり低いが、よき空気よな」
優雅に佇んでいる女神らしき人が、窓の外を眺めながらため息をついていた。
「……あなた、何者?」
「そなたは? ここに来る者があろうとは」
「いやいやいや、そっちが先に不法侵入してるじゃん!?」
「不法……? ああ、“神”という身分はこの世界では通じぬのか。面倒な」
しれっと言った。
しれっと「神」って名乗った。
いろいろすっとばしてるけど、彼女曰く──
・名前はリィナ=フェルゼン
・かつて世界を統べた女神(本人談)
・異世界からここに落ちてきた
・元の世界には戻れない
・この世界のお金も仕事もない
・なので、どうしよう?
という、わりとヤバい状態。
「神って……職なしなんだ……」
「うむ。この世界は実に、厳しい」
「ってか、生活どうしてるの!? 食べてる? 家は? 貯金は!?」
「お腹が空いたときは木の実を探し、雨が降れば軒下に……」
「野生か!!!」
ショックのあまり、私は思わず椅子から立ち上がる。
「……ってことは、この廃ビルが“住処”? ここに居座る気? あの札幌駅前で?」
「うむ。冬になる前に火鉢を設けねばな」
「いや、だから野生かっつってんの!!」
女神、野宿決意済み。
このままでは、冬を待たずして凍死エンドである。
「……もう、いっそ会社でも作る?」
「あい?」
「働こう? 会社つくろう? そして、ちゃんと暮らそ?」
「ふむ、会社……か。面白い。“神が経営する会社”、まことに神秘的だな」
ノリで乗るな神。
でも、もうこうなったら勢いだ。
就活に負けた私が、神と一緒に会社を作る――!
というわけで、
女神・リィナと無職OL・片桐千歳の、前代未聞のベンチャーがここに爆誕したのである。
「で、どうやって社員を集めんの? いや、社員って言っちゃってるけど、そもそも会社って設立ってどうやるんだっけ? 印鑑? 登記? てか何の業種なの? てか、なんで私が仕切ってんの!?」
「静まれ、千歳」
「静まれってあんた、これ全部あんた発端なんですけど!?」
椅子も机もない薄暗いフロアの真ん中で、私は女神に突っ込まずにはいられなかった。
このビル、空気も冷たいし、Wi-Fiも飛んでない。さっきから4Gがとぎれとぎれで、調べ物もできやしない。
「まずは“人材”が必要だろう。我、そなたに従うゆえ、会社の形はそなたが決めるとよい。経営方針も福利厚生も、すべてお任せするぞ」
「丸投げすんな女神!!」
「うむ。有能な臣下は、主に進言と指示を求めぬものよ」
「何そのブラック上司の金言みたいなやつ!?」
ぐぬぬ、と言いながら、私はスマホを取り出してメモアプリを開く。
求人票の下書きだ。やるしかない。やらなきゃ始まらない。
「……とりあえず、名前は……“ピコリーナ・カンパニー”でいいか」
「おお! 可愛らしい響きよな。“ピコリーナ”……響きに魔力がある。耳に残るぞ」
「深い意味はないんだけど……まあいいか」
勢いだけで決めた社名とともに、私はスマホのキーボードをポチポチと叩きはじめる。
⸻
ピコリーナ・カンパニー
第一期社員 緊急募集
【募集職種】
異世界由来の特異技能を活かした業務全般
(企画・営業・魔法・戦闘・空飛ぶなど)
【歓迎する人物像】
・世界を渡ってきた自覚のある方
・肉体が物理法則に従わない方
・契約書が読める方(当社は多言語対応です)
・魔王のいる職場に耐性のある方 ←NEW!
【勤務地】
現代日本・札幌市駅前ビル(水道なし・電気微妙)
【報酬】
・異世界通貨応相談(換金不可)
・屋根あり
・暖房は祈りと根性で
⸻
「ふむ、よくできておる。では、これを“迷い人”たちに届けようぞ」
そう言ってリィナがスッと手を伸ばすと、
スマホの画面からもやもやとした光の玉が浮かび上がった。
「ま、また何か出たーーーッ!!」
「これは我の神術により、他世界との隙間へ情報を投げるものでな」
光の玉はゆらゆらと揺れて、まるで魂みたいに天井を突き抜けていく。
そのまま、ぴゅーんと音もなく消えていった。
「……うそでしょ、ほんとに飛んだ……」
「これで、次元の裂け目をさまよう者たちに、届くやもしれぬ」
「本当に届くの!?」
「知らぬ」
「神、だろーがァァァ!!」
くわっ、とリィナに詰め寄ったとき、
地下から――
ずん……ずん……という、低い地鳴りのような音が響いた。
「な、なに今の!?」
「ん? ああ、そろそろ起きる頃かもしれぬな。地下に封じた“冥府の王”ガル=ザラドが」
「地下に!?」
「封じた!」
「冥府の王ッ!?!?」
「うむ、かつて世界を滅ぼしかけた我が宿敵。“暗黒の覇王”とも呼ばれておった。なんと20世紀以降のファンタジーではテンプレ扱いらしいぞ。人気者だな!」
「いやいやいや!!! なんでそんなのが地下にいんの!? てか人気の話じゃないし!!!」
叫びながら、私は求人票をもう一度見返す。
「……ていうかさ、これ、会社って名乗ってるけど、結局“何の会社”なの?」
リィナは小首をかしげた。
「ふむ。考えておらぬな」
「考えてよ!? 今!? 起業する前に考えてよ!!!」
気がつけば、私の人生はとんでもない方向にぶっ飛んでいた。
札幌駅前で拾った女神。
魔王がいる廃ビル。
異世界人向けの求人票。
なにより、明日からの生活がまだ決まっていない。
「……で、異世界から誰か来るのは、早くていつ?」
「早くて、今宵」
「遅くて?」
「100年後」
「それ、間違っても先に言っちゃダメなやつ!!!」
肩を落として膝に手をついた私に、女神リィナは優雅にほほえむ。
「だが安心せよ、千歳。人材が来る前に、我らには“乗り越えるべき試練”がある」
「試練……?」
リィナが、くるりと踵を返しながら言った。
「まず――衣・食・住、である!」
「現代人と女神、抱える問題がいっしょォォォ!!」
⸻
◆◆◆
最上階のフロアをぐるりと見回して、私は再確認する。
「……椅子なし。机なし。電気は切れ気味。トイレは……封鎖中。エレベーター止まってる。てか床がベコベコ言ってるの怖い」
「まるでこの建物が、我らの試練を見ておるかのようだな……」
「いやただの老朽化でしょコレ!!」
私はカツカツとパンプスで床を踏み、建物の強度を確認しながら言った。
「ていうかさ、リィナ。寝る場所とか食べ物とか、ほんとにどうすんの?」
「それを解決するのが、経営者の手腕と聞いたが?」
「私!?!? 経営者、私ぃ!?」
リィナはビルの隅に置いてあった段ボール箱を、まるで王の玉座のように腰かけながら、神のごとき微笑を浮かべて言った。
「そなたの名は、社長・片桐千歳。神より“経営”を託された、唯一無二の人材――」
「いや、口はうまいけど騙されないからね!? 説得力ゼロだからね!? 無職のOLに夢持たせないでよ!?」
「だが、そなたには魅力がある」
「……へっ?」
唐突に言われ、私はちょっとだけ目をぱちくりさせた。
「可憐な容姿。無職ゆえの必死さ。あとその、口が悪いのもポイントだな。我、すこぶる気に入っておる」
「気に入られてる場合じゃないんだけど……!」
思わずほっぺが熱くなる。やめてくれ、そういうのに弱いんだ。
「と、とにかく! まず寝る場所! 水道も電気もろくに通ってないビルじゃ寝泊まりできないし、ご飯だって……」
「ふむ。であれば、スーパーというところへ行くとよいのではないか?」
「へ?」
リィナがまるで当然のように言った。
「人間界の食糧供給機関。知識としては知っておるぞ」
「スーパー……って、あんたお金持ってるの?」
「む、ない」
「はい解散ーー!!」
両手を上に投げたくなるのを堪えて、私は深く息を吸った。
「じゃあ、家も飯も服も、お金がないから買えない。寝泊まりできる場所もない。会社名だけは決まってるけど、業種も方針も決まってない。なんなら地下に魔王がいる……」
「うむ」
「何も整ってないじゃんこの会社!!!」
突っ伏した私の背中に、リィナがぽんぽんと手を置いてくる。
「千歳。大丈夫だ。我がついておる」
「その“我”が全部の元凶なんだけど!?」