――朝。
「……うぅ……あと、五百年くらい寝ていたい……」
耳元で、神のくせにダメ人間っぽい寝言が聞こえる。
私は目を開けた。
自室、ベッドの上。隣の部屋では佳苗とリィナが一緒に寝ているはず。
なのに、なぜか私の布団にも女神様が侵入していた。
「……あんたさ……自分の部屋、あるよね?」
「神は孤独を恐れる存在……ぬくもりを求めて、人の隣に……」
「こっちは迷惑なんだよ!!!」
神の威厳とは。
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我が家は、3LDKのマンション。
本来は佳苗と私、それぞれの個室+共用のリビングで、快適なルームシェア生活だった。
それが今では、
• 千歳の部屋 → 神が侵入
• 佳苗の部屋 → 神がもともと寝ていた
• 空き部屋 → 初日から「神の物置」として勝手に使われている
……どこにいても神がいる。
私の精神が崩壊する日も近い。
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リビングに出ると、ソファの上で佳苗がゲームコントローラーを握ったまま寝ていた。
「……はっ。朝なのです……?」
「朝だよ。寝ながらゲームするのやめて」
「私は器用だから寝ながらでもゲームできるのです……」
「スティックにヨダレたれてるけどな」
「うそぉ……?」
「ほんとだよ。今拭いた」
「ありがとぅ……千歳は今日も天使なのです……」
「口の悪い天使で悪かったな」
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朝食タイム。
冷蔵庫には安売りの玉子のみ
「今日のメニューはね……スクランブルエッグだよ」
「神の目には、何故か毒の光を放っているようにしか見えぬが……?」
「やっぱ食べるのやめよっか!!!?」
「私も今日はちょっと、胃にやさしいほうが……なのです……」
「文句あるなら作れよ!! あたしは食べるぞ!!!」
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騒がしくも朝食(?)を済ませ、ようやく出社。
会社……といっても、例の札幌駅前のビルの一室だ。
ところが、ビルの前でふと振り返ると――
「……ねえ、リィナいなくない?」
「またですの?」
「まただよ!!!」
私は愕然としていた。
「いや、さっきまで一緒にいたよね?!」
「一緒にいたのです。でも消えたのです」
「なにその現象。神、ワープした……?」
「神は、気まぐれですの」
「軽すぎるんだよ、うちの神!!」
ため息をついてエレベーターに乗る。
札幌駅前ビル。そこに私たちの会社――ピコリーナ・カンパニーがある。
無人のはずだったビルを、勝手に会社にしたんだけど……。
「今日も変わらず誰もいないわね……」
「この静けさ、好きなのです」
「従業員ゼロだからね!」
──と思った、その瞬間。
ポストの中に、封筒が一通。
「……え? 郵便?」
「昨日、求人票を異空間に投げ込んだから……?」
「マジで届くの? そっち界隈、ちゃんと郵便制度あるの?」
開けてみると、毛筆で書かれた履歴書と、やけに丁寧な職務経歴書。
しかも写真は――
「……耳……長っ!!?」
めちゃくちゃキリッとしたイケメンのエルフが写っていた。
そして、彼の名前は――
「セラス・ヴァルティリオン……営業希望?」
「神の啓示により参上しました、的なノリっぽいですの」
「……あれ、てことは……来るの?」
「来るのです」
「来んのかよ!!!!」
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数時間後。
札幌の空に、雷と光のスパークが走った。
「また派手な入場だな!? 火災報知器なるって!!」
バチン!! と空気が割れたかのような音。
事務所の真ん中に突如現れたのは、スーツを着こなした長身のエルフ。
金色の髪に、深緑のマントを翻して――
「私はセラス・ヴァルティリオン。異世界営業部の者である」
「異世界営業部って何!? 前からあった!?!?」
「神託の求人票を見て、我が魂が震えた。ここに来るしかないと……」
「その結果がド派手な次元移動か……」
⸻
「ふむ。面接か……神の出番だな」
気がつくと、女神リィナがちゃっかりソファに座っていた。
紙コップ片手に、なぜかコーンスープを飲んでいる。
「戻ってたのかよ!! どこ行ってたんだよ!!」
「コンビニだ」
「行動が人間味ありすぎんだろ!!!」
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「では、セラス。そなたを面接いたす」
リィナが神々しく(?)言うと、セラスはひざまずいた。
「私の全力を、この会社に捧げましょう」
「よし、採用だ」
「はやっ!! 面接、秒で終わった!?」
「神の判断に間違いはない。即採用、即給料発生、これ定めなり」
「だから勝手に制度作るなっての!!」
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セラスは無事(?)入社。
だが、ひとつ問題が。
「で……住むとこあるの?」
「ないが?」
「だよねぇ!!!!」
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「そもそも、私たちもそろそろヤバいのです」
佳苗が、給与明細のような紙(実際は手書きメモ)をひらひらさせる。
「家賃が払えないのです。3人で割っても4人で割っても無理ですの」
というわけで、神もぶりっ子もエルフもいる貧乏会社にまた一人、営業が加わった。
私は……本当にこの求人出したこと、後悔しはじめていた。
「……人はいる。才能も、たぶんある。女神の謎パワーもある。ないのは――」
「お金なのです」
佳苗がうんうんとうなずいた。
家から持ってきたこたつ(電気は通ってない)に入りながら、スウェットの袖で鼻をこすっている。
「そもそもさ、あたしたちの今の住まいって、私と佳苗の二人で借りてる3LDKじゃん?」
「そこに女神が転がり込んで、今は3人ルームシェアなのです」
「そこにエルフも追加って、無理あるでしょ!!」
「ベランダは空いてるが?」
「神はまたそういうこと言う!! エルフにベランダで寝ろって言える!?」
「我は神だぞ?」
「神以前に人としてどうなんだよ!!!」
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セラスはというと、いつの間にかキッチンで麦茶を作っていた。
ガラスのピッチャーに丁寧に注ぎ、やたら優雅にソファに戻ってくる。
「この世界の住環境は……思っていたより厳しいのだな」
「そりゃそうでしょ。この国の家賃、あんたがいた森とはわけが違うんだから」
私は頭を抱えた。
「……社宅、かぁ」
「そなたの名義で金を消費者金融から借りればよいのでは?」
「ご利用は計画的にできないよ!!!」
「そなた……“お金の神”を信仰せぬから……」
「信仰しても通帳は増えねぇのよ!!!」
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「ですが、仮に社宅を借りたとして……」
セラスが麦茶を置いて、手帳を広げた。なぜか革製。筆記具は羽ペン。
「入居者4名、収入0、資産0、保証人なし。信用スコア、地に落ちてるな」
「ちゃんと分析しないで!? 現実に打ちのめされるから!!」
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結論:
社宅を作ろうにも、お金がない。
住む場所を増やしたいのに、全員お金がない。
しかも、家賃の支払日がそろそろくる。
こたつの上に麦茶のみ。女神、ぶりっ子、そしてエルフ。
社内会議、開催中――だが部屋は暗い。というか、電気が通っていない。
「神の住処にしては、ここはちと寒いのです」
「……そういえば、入居のときに“電力会社との契約”とかせんかったからな。なにせ金がない」
「してなかったのかよ!! いや、女神! あんたが最初に勝手に入ったんでしょこのビル!!」
「それに神に契約は不要なものである」
「おまえそれでよく現代に適応する気になったな!?!?」
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「とにかく! 電気がないと仕事なんかできないでしょ!」
「では、火を焚いて光と温もりを……」
「やめろ、消防法に引っかかる!!」
セラスが真顔でたいまつを持ち出そうとするのを、全力で止める私。
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「じゃあ収益モデル考える以前に、インフラ整備からってこと? 電気契約して、ネット通して、水道もチェックして……」
「ガスは……?」
「ガスはこのビル、最初から使えないぽい。てか、そもそもこのビル本当に借りていいの? 勝手に入ってるだけじゃないよね?」
「神の力により“空室に見せかけた神の物件”にした」
「こわい! 法的に一番ヤバいやつじゃん!!」
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「……ねえ、リィナ。マジで一度、市役所とか区役所行かないとだめなんじゃない?
電気止まってるし、登記とか、書類とか、会社としての存在も怪しいっていうか……」
「神は役所が苦手だ。何せ、住民票がない」
「そもそも現代日本に神の戸籍は存在しないからな……!」
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「……とりあえず、佳苗。スマホのバッテリーまだある?」
「昨日で切れたのです」
「詰んだ!!」
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こうして、「ピコリーナ・カンパニー」最大の課題――
“そもそもこのビル、電気すら来てない問題” に直面した私たちは、
まず「人材」ではなく、「インフラ整備」というあまりに地味な戦いに挑むことになったのだった。
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でもさ。
あたしは気づいた。
目の前の麦茶に!
すぐにトイレに行っては
──ジャアアアアア……
「…………えっ? 出てるんだけど?」
驚く私の後ろで
「おおっ! 水の恵みは通っておる!」
「え? なにこれ? 逆にどういうこと? 水だけ生きてるの?」
「それは、私が今日このビルに来たとき“水の神”にだけ許可をもらっておいたからだ」
「神界にも縦割り行政あるのかよ!! てか、その申請通ったの!? すごすぎん!? 水道局より仕事早いじゃん!」
「水の神は、茶をいれることに理解があるのだ」
「どうでもよっっ!!」
私はトイレから出る水を見つめながら、しばらく絶句してしまった。
電気はダメ。ネットも死んでる。だけど水道だけは、なぜか生きている。
「……うん、これはもう完全にバグだな」
「バグではなく、神の采配である」
「どっちにしろ現代で暮らすには致命的におかしいんだわ!!」
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水が出ることに妙な安心感を覚えながらも、私たちはなおも“インフラの闇”と戦わねばならなかった──。