朝。
「ふああ……」
伸びをかみしめながら、私はビルの前でコーヒー片手に立ち止まった。
鼻に抜けるのは、インスタントだけどわりと良い感じの香り。そして目の前には、明らかに“異質”な存在。
白装束、銀髪、黒タイツ。無駄に神々しい雰囲気。だが目はうつろで、口元では
「神は死んだ……神は……お肌の代償を……」
などと、ちょっとしたホラーみたいなセリフをぼそぼそ呟いている。
「お、おはようございます。ここが……ピコリーナ・カンパニー……ですよね……?」
声がか細い。ボリューム0.5倍速って感じ。
いや、そういう問題じゃない。まず何その見た目。なんか、うちの会社に降臨する系の人?
「はいはい、こちらピコリーナですが、どちら様ですか?」
私は営業スマイルを忘れずに聞く。すると、彼女はうっすら笑って答えた。
「求人広告を見て……異次元より参りました……姫巫女、レミット=イアソールです……」
異次元から来たとか、すんなり名乗るあたりもうツッコミどころが多すぎる。
「姫巫女……巫女って、神様に仕える人だよね? ちょうどウチにも一柱いま──」
「ぬっ」
背後で声がした。リィナだ。女神スタイルで登場し、いつもの神々しい威厳を纏って彼女を凝視する。
「そやつ、神に仕える身ながら呪われとるぞ。しかも解く手段がない」
「えっ」
そのセリフに、私含む全員が硬直。
「ど、どんな呪い……?」
「その者を信仰すると、近くにいる女性のお肌のツヤが1下がる」
女子陣、物理的に距離を取った。私も半歩下がった。
いやいや、ツヤは大事、人生において最重要資産。
「そなたも信仰してみるか、千歳よ」
「お断りしますっ!!」
心なしか、ビルの蛍光灯が一つパチンと弾けた。
さて、どうしたものかと考えていると、隣からセラス(イケメンエルフ。筋肉担当)がぼそりと一言。
「受付、空いてるぞ」
「あっ、ナイス筋肉──じゃなかったナイスアイデア!」
ということで、あっさり配属。
こうして、レミット=イアソールさん。異次元からやってきた姫巫女、呪い付き。
弊社のジム受付嬢に就任しました。
女性スタッフの半分が一歩引き気味なのがちょっと気になるけど……うん、大丈夫だよね?
(お肌のツヤが減るくらい、ね? ね!?)
翌日。
ピコリーナジムの受付カウンターには、白装束の少女が鎮座していた。
そう──レミット=イアソールである。
隣には筋トレ民を癒す存在、筋肉の貴公子セラスが立っていたが、彼の威圧感で初心者客が引き返すこともしばしば。
なので受付は重要ポジションなのだ。
「いらっしゃいませ……どうぞ……神の加護は……ありますん……」
声が小さい。接客ボリュームじゃない。ていうか、末尾が聞き取れない!
「レミットさん、もうちょっと元気出そっか!」
私は無理やりポジティブな笑顔を向けた。するとレミットは、たじたじと立ち上がり、名簿を手にした。
「お名前……を……お……お名前……」
「はい、田中ですけど」
「たなか……さん……あなたの明日の運勢は……方位、南南東が……血塗られるかも……」
「えっ」
「あと……顔まわりのシミに気をつけて……」
「それいらないからッッ!!」
新規のお客さん、静かに帰っていった。お願い、帰らないで田中さん。
「レミットちゃん、占いは任意でいいから! ていうか、ジムに“血塗られる”とか怖すぎるから!」
「……すみません……」
落ち込む姫巫女。うつむき気味に椅子へ戻ろうとして──ガシャッ!
「え、ちょっ──その椅子、さっきガルドが修理中って──」
バキィッ!
見事に脚が折れて、レミット、尻もちで着地。もはや儀式でも始まるんかってレベルの静寂。
「わ……私、器物を……破壊……して……しまいました……」
うるんだ目でぽつりぽつりと呟く。あまりの神妙さに、その場にいた筋トレ客たちもダンベルを置いた。
レミットはそっと立ち上がると、受付カウンターの裏から神棚のように佇むリィナのもとへ進む。
「……女神リィナ様……このたびは、不始末をお許しください……お裁きを……」
「うむ、仕方あるまい。裁くぞ」
「裁かれるのはやめよう!?!?」
即座に私が割り込む。やめて、本気で裁きそうな雰囲気だから。
とはいえ──レミットの動きには真剣さがあった。おそらく、誰よりも“役に立ちたい”と願っている。
でも呪われてて、信仰すると肌が荒れるから、誰も近づいてくれない。
……でも。
(それでも頑張るなら、応援しない理由はないよね)
「レミットさん、まずは“血の予言”を抑えようか」
「……努力します……」
静かにファイトを燃やす姫巫女。受付カウンター、今日も呪いとともに開店です──。
「……リィナ様、申し訳ありませんでした……受付台の脚を、2本、折りました……」
その日、受付に立ったレミット=イアソールは、いつになく意気込んでいた。
瞳の奥に微かな狂気と覚悟を湛えたまま、彼女は口元に小さく笑みを浮かべると、ジムの玄関マットを5回磨いた。
そしてその5分後、器用に雑巾が滑って転倒、受付台を下敷きにしてしまったのだった。
「レミットちゃん……その身体、軽そうでいて破壊力高いのよね……」
佳苗が眉をひそめつつ、ポーズだけは可愛く胸に手を当てる。
受付台は二つに割れ、ガルド製の天然木が無惨にひしゃげていた。
セラスが眉一つ動かさず台を持ち上げると、レミットは膝をつき、闇属性らしからぬ反省ポーズでぶつぶつと詫び始めた。
「リィナ様、神の不始末を……どうか……制裁は神罰で……」
その瞬間、部屋の空気がピタリと止まった。
女神リィナが、どこかうんざりしたような視線をレミットに向ける。
「お主、なにかあると拙者を召喚する癖、治さんか? 拙者の神性、無駄にされておる……」
呆れ顔の女神の言葉に、千歳がこっそりとつぶやく。
「ていうか、呪いって本当に効いてるのかな……。誰か信仰してたっけ?」
クロエが眼鏡をクイッと持ち上げた。
「わたくしは5メートル以内には近寄っておりませんわ。お肌の管理、経営者のたしなみですもの」
「でもさ、呪いって、そもそも“信仰”が条件でしょ? うちら全員避けてるし」
「ワタクシは信仰してないけど……でもさっきレミットちゃんと目が合ったとき、ちょっと肌カサついたような……」と佳苗。
そして、恐る恐る、みんなが互いの顔を見合う中。
「ひっ……白髪っ!?!?」
誰かの叫び声が上がった。
そう、千歳の後頭部に……細い、一本の白髪がピンと立っていたのだ!
「な、なにこれ!? 昨日まではなかったのに!!」
「恐るべし……闇巫女の呪い……!」
リィナがわざとらしく神々しい声で呟いた。
そしてなぜか、その瞬間だけレミットの頬に微かな赤みが差し、口元が綻んだ。
「……信仰、されましたか?」
「してないしてないしてない!!」
騒然とする受付フロア。セラスは沈黙のまま受付台の修復を進めていた。
「……本日の占い、やります……。詫びとして……」
受付台の残骸の前で、レミット=イアソールが、ボソッと宣言した。
彼女の手には、どこから取り出したのか、銀の鈴とおみくじのような木札。見た目はなぜか本格的だ。
「え、占いって神通力じゃないの? 使えないんじゃ……」
佳苗が小声で尋ねると、レミットはどこか影のある笑みを浮かべた。
「……これは“神通力だったもの”です……的中率……40%くらい……」
「微妙~~!!」
思わず叫んだ千歳の声がビルの吹き抜けに反響する。しかし興味は抑えきれず、レミットが一人ずつ札を配っていくと、妙な期待が場を包んでいった。
「わたくしは“大吉(偽)”とありますが、これは……?」
「……見かけほど吉じゃ……ないです……」
「それ、どこ情報よッ!?」
一方で千歳の札には「金運:何かが当たるかも」──そんな曖昧な言葉が。
「これって、宝くじとか買えばいいってこと……?」
「……スクラッチとか……コンビニで……」
千歳は札を握りしめた。
「よっしゃ、200円だけなら会社の経費でも痛くない! いってくる!」
5分後。セブンイレブンのレシートを持って戻ってきた千歳が、みんなの前でスクラッチを削る。
「大当たり来い大当たり来い大当たり来い……ッ!」
ゴシゴシゴシ……
「……よっしゃ、出た! ……あ、200円当たった」
――沈黙。
「……それって……買った金額と同じでは?」
「……プラマイゼロ?」
「もはや経済的にも精神的にも当たってないのでは?」
言葉を失う面々。だが、千歳はなぜか胸を張っていた。
「いいのよ……! こういうのは“運が巡ってきた前兆”なの! 次は1000円当たるかもしれないし!」
「ポジティブゥゥゥ!!」
佳苗が後ろでバタリと倒れる。
その様子を見て、レミットがほわっと笑った。
「……なんか……笑ってくれて……うれしい……」
占いで200円が当たったことに、笑うべきか微妙な空気が流れたそのときだった。
「……あの、何か……ざわざわしてます……」
受付の奥に置かれていた埴輪の山が、ひとりでにカタカタと震えだしたのだ。
次の瞬間、ビル全体が薄っすらと光に包まれ、まるで何かの結界が張られたかのように、外界の音が遠のいていく。
「え、何これ!? 地震じゃないよね!?」
「ちょ、ちょっと……あの埴輪たち、光ってない!?」
「セラスが組んだ配線が爆発した!? いや、これは魔力だ!」
叫ぶ千歳たちの後ろで、レミットはぽつりと呟いた。
「……この気配……封印の気……まさか、埴輪が……?」
そのとき、神のようなオーラを纏った埴輪の王らしき像が、光の中からぬぅっと現れた。
「うわー出た! 王埴輪だコレ!」
「ヨモツさん、なんかヤバいの呼び起こしてない!?」
ヨモツは肩をすくめて笑った。
「俺じゃないよ? たぶん、あの姫巫女の波動が古墳時代の霊脈に触れたんだろうね。よくあるよ」
「どこで!?」
そして、空間の中心で優雅に腕を組んでいたリィナが口を開く。
「ふむ……不思議なこともあるものじゃ。この空間の中だけは、呪いの力が中和されておる。つまり、肌のツヤも保たれる」
「えっ!? じゃあ、受付のときだけ一緒にいても問題ないってこと?」
「やったじゃんレミット!」
「……はい……でも、なんか……複雑です……」
ひとまず、呪いの影響を受けない“埴輪バリア”の中でなら、レミットも普通に働けることが判明。みな安堵した——が。
「ていうかさ……女神様より埴輪の方が“加護感”あるよね……?」
「えっ……? そ、そんなこと……わらわの方が……!」
女神リィナ、ちょっと傷ついていた。
おまけ