ムリ。ほんっとムリ。
段ボール寝生活とか、文明への裏切りでしかない。
会議室の端っこ、クロエが毛布を巻いてわめいていた。見た目はゴスロリ系OL、中身はわりと堅実な文明主義者。
「……慣れる」
セラスが短くそう言いながら、床の上で腕立てを続けている。
ごつい体躯、感情の読めない無表情。たまに動く筋肉だけが意思表示みたいな男だ。
「慣れる問題じゃないのよ、そこ! 人間には文化的な寝床が必要なの、特にわたしとか!」
「地べた、あったかいぞ」
ヨモツが湯飲みをすすりながら静かに言った。縄文の末裔らしい、竪穴式推しの陶芸家である。
「出たな原始人! その思想、平成でも無理だったから! てか、うち土地ないから!」
「木の上とかどうだ」
セラスが急に言い出す。目は合わせない。
「……いや、いくらあんたでもそれは無理あるでしょ」
「風、通る」
「……それがいいのか悪いのかも教えて?」
現代的生活に飢えるクロエ、縄文回帰のヨモツ、そして木の上で風通しを語るセラス。すでに方向性が散らかっている。
「さすがにこの状況、なんとかしないと……」
千歳がぽつりとつぶやく。
寝不足がデフォになってきた目元をこすりながら、会議室の奥に目を向ける。
そこにあるのは、ギー……と変な音を立てる、立て付けの悪いドア。
「このドア……異世界とつながってたり、しない?」
「お、出たねーそういうの!」
クロエが乗ってきた。
「異次元とつながったら一発逆転じゃない? 高級マンション直通とか!」
「……ムリ」
セラスの一言で切り捨てられるが、クロエは止まらない。
「誰かDIY得意な異世界職人いないかな。魔法で直せて、筋肉あって、住み込みOKで……」
「あと管理人も欲しいよね。ドアに防犯カメラつけたいし」
千歳が現実に引き戻そうとするが、クロエはもうスマホで求人票を打ち始めていた。
『異世界DIY人材募集! 筋肉・魔法・管理人経験者歓迎』
「……この求人、来るのか?」
「来る!わたしのカンがそう言ってる!」
「……カン、ね」
セラスがまた腕立てを始めた。無言のまま、地面に沈むように。
そしてこの日も、文明に程遠い雑魚寝が続くのだった――。
だが、まだ知らなかった──
千歳の家賃未納通知が、ちょうど今朝郵便ポストに投函される頃だったことを。
会議室の壁にベタリと貼られた一枚の紙──
《DIY経験者・異世界出身歓迎!建築・修繕・空間把握が得意な方!異次元ドア経験者は尚可》
「……求人票って、こんなポエムみたいな内容で応募くるわけないじゃん」
千歳がコーヒー片手にげんなりしていると、
「来たのです~♡」
と佳苗がパンケーキ片手に入口を指差した。
「……来た?」
ギイィィ……と、ドアがきしみながら開く。
そこに立っていたのは、ずんぐりした体にフル装備、腰には金槌、口にはパイプ。
いかにもアニメに出てきそうなドワーフだ──
「求人見てきた」
「出たーーーッ!職人きたああああ!」
クロエが歓喜の叫びとともに、椅子を蹴った。
「ほんとに来ちゃうんだね……異世界求人」
「ほれ、まずドア見せな」
事情を話すとドワーフのオジサンは慣れた手つきで道具を取り出し、パキパキとドアの蝶番を外していく。
まるで長年の相棒のようにドアをなでながら、
「これは構造的に……ん。空間ゆがみの前兆あるな」と呟いた。
「それ! そのゆがみ! 異次元ドアにできるんじゃない?」
「無理だな」
「一蹴!?」
「やるなら、ビル丸ごと社宅化した方が早い」
「……ビルごと?」
オジサンは工具箱をポンと閉じて言った。
「このビル、元はオフィスと住居の複合型だ。上の階、ほとんど空室らしいな。なら二階から四階をオフィス、五階以上を社宅にすりゃええ」
「天才なのです~♡」佳苗がぱちぱち拍手。
「それ、マジでいけるかも……!」
クロエの瞳がギラリと輝く。
「神の審判は……?」
「なんか、ふわっと聞いてくれるなら、いいかも?」
リィナがお茶を飲みながら肩をすくめる。
「じゃ、やるわよ。全フロア改装、着手開始!」
「徹底的にやるぞ」
セラスがドカンと壁を拳で叩いて気合を見せた。
案の定、壁が崩れた。
「おおっと……やっちまった」
「無駄な破壊は神の怒りを買うであろうぞ」
リィナが白い指でセラスを指さす。
「善き住まいとは、神聖にして清らかなもの。秩序と静謐、そして風呂の追い焚き機能が要る」
「やっぱ追い焚きは正義なのです~♡」佳苗はバスタブの図面に花丸を描いている。
「セラス、壊す係に向いてるから、再構築は私に任せてくれる?」
クロエは図面をくるくる丸めて設計サイドに回った。
「命令があれば動く」
セラスは無愛想にうなずき、黙々と瓦礫を積み直した。
ヨモツは風呂釜を土から造形して、リィナに審査される。
「湯加減、良し。気泡、良し。神の沐浴に値するであろう」
七階では謎の異空間に繋がった押入れを封印したり、八階では大家の置き忘れた仏壇と契約書に震えたりしつつ、着々と工事は進む。
数日後、ガルドが工具を置いた。
「完成や。現存社員ぶん、1DKずつ部屋を用意したぞ。おまけにバリア付きドアも付けといた」
「これで、会議室寝生活とさようならね」クロエが満足げに頷く。
「自分の布団で寝れるって最高なのです~♡」佳苗がその場でゴロゴロ転がる。
「神も、人も──各々の聖域を持つがよい。もはや私は、押入れで寝ずに済むのだな……!」
リィナは誇らしげに、自分の間取り図を胸に抱いた。
こうして、ようやく社員一同に快適な“社宅”が完成。千歳と佳苗は久々に「家」に帰ろうとする。
「じゃあ、会社の鍵閉めておくね」
「明日はふかふかのお布団なのです~♡」
その瞬間、千歳のスマホに通知が届く。
《家賃滞納による契約解除通知(遅延金あり)》
「……うっそでしょ?」
社宅はできた。だが帰宅先は、消滅していた。
「……え? 退去?」
千歳が封筒を読み終え、頭を抱えた。
「な、なにがあったのですぅ!? ちとせちゃん、まさか家燃やしたのですか!? 火の玉ストレートなのですか!?」
「佳苗、うるさい……違うってば。……“信頼関係の破綻”って書いてある。要は、ずっと家賃滞納してたから……」
「そ、そんな~~! 家主様のご慈悲が尽きてしまったのですぅ~~~~!!」
「千歳、荷物まとめといたぞ。冷蔵庫はもう無理だった」
無愛想なセラスがダンボールを抱えて現れる。初日に来た時に忘れ物があったからだそうだ。
「あんた、なんで一番に動いてんの!? 心が軽すぎるよ!?」
「時間ムダにすんの嫌いだからな」
「はっ、ふむ……ならば我が神力で時間を巻き戻し──」
とリィナが言いかけたところで、
「女神様、そんな力きっとないのです」
「……ちっ」
「あたしたち、もうこの家には住めないってことよね。だったら……」
「もう家具も運べないのです~~! ダイニングセットとか、でっかすぎるのです~~!!」
「なら、リサイクル業者に全部引き取ってもらって、そのお金で社宅に家具揃えよう。10階の角部屋、陽当たり良かったしね」
「ちとせちゃん……その判断、正解なのです……!」
「ま、社宅なら誰に文句言われることもないし、鍵もついてるし、風呂もある。文明、バンザイってことで」
「ふむ……帰る場所を持つということ、それは人の魂の拠り所なり──」
「でもあたしらの魂、いま予算ギリギリだけどな」
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その日の夕方、千歳と佳苗はリサイクル業者に家具一式を“引き取ってもらい”、わずかばかりの現金を握りしめて会社の10階へ向かう。
「このローテーブル、三百円だったのです……! 買い物上手なのですっ!」
「いいよ佳苗、それ言うたびに涙出そうになるから……」
「……ま、住めば都でしょ。なにより――やっと布団で寝れるし!」
そう、長きにわたる雑魚寝生活に終止符が打たれたのだ。
──ただし、全員の就寝地が**“同じビルの中”**という点は、何一つ変わっていない。