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第8話 雑魚寝からの解放宣言

ムリ。ほんっとムリ。


段ボール寝生活とか、文明への裏切りでしかない。


会議室の端っこ、クロエが毛布を巻いてわめいていた。見た目はゴスロリ系OL、中身はわりと堅実な文明主義者。


「……慣れる」


セラスが短くそう言いながら、床の上で腕立てを続けている。


ごつい体躯、感情の読めない無表情。たまに動く筋肉だけが意思表示みたいな男だ。


「慣れる問題じゃないのよ、そこ! 人間には文化的な寝床が必要なの、特にわたしとか!」


「地べた、あったかいぞ」


ヨモツが湯飲みをすすりながら静かに言った。縄文の末裔らしい、竪穴式推しの陶芸家である。


「出たな原始人! その思想、平成でも無理だったから! てか、うち土地ないから!」


「木の上とかどうだ」


セラスが急に言い出す。目は合わせない。


「……いや、いくらあんたでもそれは無理あるでしょ」


「風、通る」


「……それがいいのか悪いのかも教えて?」


現代的生活に飢えるクロエ、縄文回帰のヨモツ、そして木の上で風通しを語るセラス。すでに方向性が散らかっている。


「さすがにこの状況、なんとかしないと……」


千歳がぽつりとつぶやく。


寝不足がデフォになってきた目元をこすりながら、会議室の奥に目を向ける。


そこにあるのは、ギー……と変な音を立てる、立て付けの悪いドア。


「このドア……異世界とつながってたり、しない?」


「お、出たねーそういうの!」


クロエが乗ってきた。


「異次元とつながったら一発逆転じゃない? 高級マンション直通とか!」


「……ムリ」


セラスの一言で切り捨てられるが、クロエは止まらない。


「誰かDIY得意な異世界職人いないかな。魔法で直せて、筋肉あって、住み込みOKで……」


「あと管理人も欲しいよね。ドアに防犯カメラつけたいし」


千歳が現実に引き戻そうとするが、クロエはもうスマホで求人票を打ち始めていた。


『異世界DIY人材募集! 筋肉・魔法・管理人経験者歓迎』


「……この求人、来るのか?」


「来る!わたしのカンがそう言ってる!」


「……カン、ね」


セラスがまた腕立てを始めた。無言のまま、地面に沈むように。


そしてこの日も、文明に程遠い雑魚寝が続くのだった――。


だが、まだ知らなかった──


千歳の家賃未納通知が、ちょうど今朝郵便ポストに投函される頃だったことを。


会議室の壁にベタリと貼られた一枚の紙──


《DIY経験者・異世界出身歓迎!建築・修繕・空間把握が得意な方!異次元ドア経験者は尚可》


「……求人票って、こんなポエムみたいな内容で応募くるわけないじゃん」


千歳がコーヒー片手にげんなりしていると、


「来たのです~♡」


と佳苗がパンケーキ片手に入口を指差した。


「……来た?」


ギイィィ……と、ドアがきしみながら開く。


そこに立っていたのは、ずんぐりした体にフル装備、腰には金槌、口にはパイプ。


いかにもアニメに出てきそうなドワーフだ──


「求人見てきた」


「出たーーーッ!職人きたああああ!」


クロエが歓喜の叫びとともに、椅子を蹴った。


「ほんとに来ちゃうんだね……異世界求人」


「ほれ、まずドア見せな」


事情を話すとドワーフのオジサンは慣れた手つきで道具を取り出し、パキパキとドアの蝶番を外していく。


まるで長年の相棒のようにドアをなでながら、


「これは構造的に……ん。空間ゆがみの前兆あるな」と呟いた。


「それ! そのゆがみ! 異次元ドアにできるんじゃない?」


「無理だな」


「一蹴!?」


「やるなら、ビル丸ごと社宅化した方が早い」


「……ビルごと?」


オジサンは工具箱をポンと閉じて言った。


「このビル、元はオフィスと住居の複合型だ。上の階、ほとんど空室らしいな。なら二階から四階をオフィス、五階以上を社宅にすりゃええ」


「天才なのです~♡」佳苗がぱちぱち拍手。


「それ、マジでいけるかも……!」


クロエの瞳がギラリと輝く。


「神の審判は……?」


「なんか、ふわっと聞いてくれるなら、いいかも?」


リィナがお茶を飲みながら肩をすくめる。


「じゃ、やるわよ。全フロア改装、着手開始!」


「徹底的にやるぞ」 


セラスがドカンと壁を拳で叩いて気合を見せた。


案の定、壁が崩れた。


「おおっと……やっちまった」


「無駄な破壊は神の怒りを買うであろうぞ」


リィナが白い指でセラスを指さす。


「善き住まいとは、神聖にして清らかなもの。秩序と静謐、そして風呂の追い焚き機能が要る」


「やっぱ追い焚きは正義なのです~♡」佳苗はバスタブの図面に花丸を描いている。


「セラス、壊す係に向いてるから、再構築は私に任せてくれる?」


クロエは図面をくるくる丸めて設計サイドに回った。


「命令があれば動く」


セラスは無愛想にうなずき、黙々と瓦礫を積み直した。


ヨモツは風呂釜を土から造形して、リィナに審査される。


「湯加減、良し。気泡、良し。神の沐浴に値するであろう」


七階では謎の異空間に繋がった押入れを封印したり、八階では大家の置き忘れた仏壇と契約書に震えたりしつつ、着々と工事は進む。


数日後、ガルドが工具を置いた。


「完成や。現存社員ぶん、1DKずつ部屋を用意したぞ。おまけにバリア付きドアも付けといた」


「これで、会議室寝生活とさようならね」クロエが満足げに頷く。


「自分の布団で寝れるって最高なのです~♡」佳苗がその場でゴロゴロ転がる。


「神も、人も──各々の聖域を持つがよい。もはや私は、押入れで寝ずに済むのだな……!」


リィナは誇らしげに、自分の間取り図を胸に抱いた。


こうして、ようやく社員一同に快適な“社宅”が完成。千歳と佳苗は久々に「家」に帰ろうとする。


「じゃあ、会社の鍵閉めておくね」


「明日はふかふかのお布団なのです~♡」


その瞬間、千歳のスマホに通知が届く。


《家賃滞納による契約解除通知(遅延金あり)》


「……うっそでしょ?」


社宅はできた。だが帰宅先は、消滅していた。


「……え? 退去?」


千歳が封筒を読み終え、頭を抱えた。


「な、なにがあったのですぅ!? ちとせちゃん、まさか家燃やしたのですか!? 火の玉ストレートなのですか!?」


「佳苗、うるさい……違うってば。……“信頼関係の破綻”って書いてある。要は、ずっと家賃滞納してたから……」


「そ、そんな~~! 家主様のご慈悲が尽きてしまったのですぅ~~~~!!」


「千歳、荷物まとめといたぞ。冷蔵庫はもう無理だった」


無愛想なセラスがダンボールを抱えて現れる。初日に来た時に忘れ物があったからだそうだ。


「あんた、なんで一番に動いてんの!? 心が軽すぎるよ!?」


「時間ムダにすんの嫌いだからな」


「はっ、ふむ……ならば我が神力で時間を巻き戻し──」

とリィナが言いかけたところで、


「女神様、そんな力きっとないのです」


「……ちっ」


「あたしたち、もうこの家には住めないってことよね。だったら……」


「もう家具も運べないのです~~! ダイニングセットとか、でっかすぎるのです~~!!」


「なら、リサイクル業者に全部引き取ってもらって、そのお金で社宅に家具揃えよう。10階の角部屋、陽当たり良かったしね」


「ちとせちゃん……その判断、正解なのです……!」


「ま、社宅なら誰に文句言われることもないし、鍵もついてるし、風呂もある。文明、バンザイってことで」


「ふむ……帰る場所を持つということ、それは人の魂の拠り所なり──」


「でもあたしらの魂、いま予算ギリギリだけどな」



その日の夕方、千歳と佳苗はリサイクル業者に家具一式を“引き取ってもらい”、わずかばかりの現金を握りしめて会社の10階へ向かう。


「このローテーブル、三百円だったのです……! 買い物上手なのですっ!」


「いいよ佳苗、それ言うたびに涙出そうになるから……」


「……ま、住めば都でしょ。なにより――やっと布団で寝れるし!」


そう、長きにわたる雑魚寝生活に終止符が打たれたのだ。


──ただし、全員の就寝地が**“同じビルの中”**という点は、何一つ変わっていない。


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